手を離した理由 前編
ショートストーリー

「じゃあ、今からスタートね」

サキさんは、そう言って悪戯っぽく笑った。サキさんというのは、今、僕がお付き合いしている年上のお姉さんだ。年齢については、伏せておくことにする。怒られかねない。

年齢のことを口にすると、可愛らしい感じで怒ってしまうあたり、やはり、サキさんは、年齢不相応の中身をお持ちだと思う。

「はい。って言いましたけど、やっぱり、僕からはあまり、お話しすることないんで、サキさん、お話ありますか?」

今現在、僕が陥っている状況は、今の時代では、なかなか、珍しい状況である。というのも。サキさんが、“本当に只の二人きりになってみましょう”と、言ったのだった。

「じゃあ、質問しても良い?」
「構いませんよ」

で、だ。アルコールとその他の飲み物、食べるもの、嗜好品等々、かなりの額を買い込んで、ラブホテルの、これまた、結構なお値段の部屋にいる。

「ナツくんはさ、普段、どんな生活してる?」
「朝起きて、飯食って、学校行って、みたいなことですか?」
「そうそう」

サキさんは、缶酎ハイのプルタブを起こして、一口飲んでから頷いた。

何で、今さらこんな、解りきったことを、言うのだろう。僕は良く解らなくて、サキさんの真似をして缶酎ハイを傾けた。

僕とサキさんの声以外に、音はない。BGMも、代わりのテレビも、DVDが流れているわけでもない。携帯電話は、今、只のガラクタ。さっきの、サキさんの言葉の直前に、電源を切ってしまった。“携帯じゃなくても、ラブホテルには、アラームがあるから便利よね”

「や、本当に、朝起きて、朝飯は、食ったり食わなかったりですね。それから、電車で通学です。あ、駅までは、チャリですよ。雨の日は歩きます。危ないですから。で、授業こなして、学校帰りは、デートかバイトか友達と遊ぶ感じです」

大したことはない話だったし、サキさんには、一度と言わず、二度も三度もしてるような話のはずだったけれど、サキさんは、うんうん、と楽しそうに話を聞いていた。

「じゃあ、その時間の中で、ナツくんは、どれくらい、あたしを思い出す?」

僕は、それが、本題だったのか、と今更ながら、思い至る。

「とりあえず、のんでのんで」
「あ、はい」

上手い言葉を探そうとして、探しそびれて、上手い具合に、酒を飲まされた。自棄にクラリとする。良く見れば、度数の高い酒だった。

「ナツくん、酔ってるの?」
「えーっと、はい、少し」
「可愛い。ほら、もっと、呑んじゃえば?明日休みなんだしさ」

今度のサキさんは、悪戯っぽくと言うより、悪魔みたいに笑っていた。“ラブホテルって、すごいと思わない?夕方から次の日の昼前まで居て、ウェルカムサービスに、モーニングサービスでしょ。アメニティもそろってるし、本当、いくら酔っても、問題ないわよね”

「でね。ナツくん」
「はい、なんですか、サキさん」
「こうでもしなきゃ、あたしを見てくれない君は、普段、やっぱり、これっぽっちも、あたしのこと、考えてくれてないのかな?」

サキさんの悲しそうな顔に、酔った頭で反省する。サキさんの隣で、友達とメールしてるよな、とか。課題が終わってなくて、とか。読みかけの本があるから、とか。このゲーム面白いんですよ、とか。すみません、眠いです、とか。

「あたしは、君にとって、何なのかな?」
「可愛い彼女です」
「それだけ?」

僕は、言葉を探しながら、グラスを傾けた。さっきと同じ度数の高い酒。

「居てくれて、当たり前の様に感じています。僕は、サキさんが居なくなるなんて、考えられないし、考えようともしていない」

サキさんは、お酒のせいか、あるいは、僕のせいか、少し顔を赤らめて潤んだ瞳をしていた。

「ナツくんがね、学校を卒業して、就職して、社会人として、あたしと同じフィールドに立ったとき、君が、それでも、あたしをそんな風に思ってくれるとは、あたしは思えないの。今だって、君には、君の世界が確立されてて、あたしなんて、居なくても大丈夫そうに、してるじゃない?きっと、今に、君がもう少しだけ大人になったら、あたしなんか、要らなくなるわ」

サキさんは、潤んだ瞳のまま優しく笑って、僕にキスをした。言ってることと、やってることが、滅茶苦茶だった。僕は、腹立たしさからか、単なる欲望からか、サキさんをソファに無理矢理、押し倒した。

「ねぇサキさん。僕のこと、嫌いになったんですか?そんな、不確定な未来の話なんて、僕は、知りませんよ。そんな風に言って、僕から逃げて、ねぇサキさん。サキさんは、何が、何がそんなに、怖いんですか?僕から、逃げないでくださいよ」

押し付けようとした唇を阻まれて、僕は、仕方無く、サキさんの耳元にそっとキスをした。サキさんは、それでも、落ち着いて、僕の耳元で言葉を吐く。

「怖いわよ。先が見えないのは。ナツくんは、真っ暗闇のとき、どうやって歩く?きっと、摺り足で何か、捕まるモノがあれば、捕まりながら、ゆっくり、ゆっくり、歩くはずよ。それと同じなのよ。今、あたしは、先が見えなくて怖い。ナツくんとの未来が見えなくて、だから、怖い」

怖いの。僕の耳元に直接囁かれた、それは、恐ろしいくらいに威力を発揮して、僕は、サキさんを押さえ付けていた腕の力を弱めてしまった。

「だから、ねぇ、ナツくん?あたしのこと、抱いても良いよ。代わりにさ、あたしのこと、安心させてよ」

サキさんは、何時ものように笑って、僕自身を撫でた。ぞくり、と腰から背中にかけて、快感が昇る。でも、今は、まだ、ダメだった。ダメだと気付けた自分を誉めてやりたい気もする。でも、こんな状況に陥ったのは、自分のせいだった。

「サキさんの、ばか。僕は、まだ子供です。成人式すらまだ迎えていない。だから、サキさんに、大きな口叩けなかった。でも、今なら。ねぇ、サキさん。子供の戯言です。でも、真剣に言います。僕は、サキさんが欲しい。サキさんのこれからが欲しい。こんなクソガキのことを、そんなに想ってくれる人、サキさん以外に居るとは、思えない」

僕は、出来る限り、紳士的に、大人ぶって言った。言い終わってから、サキさんを抱き締めた。あらん限りの力で抱き締めてから、サキさんと向かい合った。サキさんは、泣いていた。笑いながら泣いていた。

「ほんっと、クソガキ」

それから、どちらからともなく、キスをした。




話題:SS


13/06/09  
読了  


-エムブロ-