雑居ビルの片隅に、その事務所はある。
「少しよろしいかしら。ここでは、呪術を扱ってらっしゃるのよね?」
酷く高圧的な女が、事務所の扉を開けるなり言う。その声に反応して、ソファから起き上がったのは、ラフな格好をした、黒髪の女だった。
「梓さんとは、あなたで良かったかしら?」
「うん。で、なぁに、仕事?」
「呪詛返しを、お願いにきたの」
《術者の憂鬱》
ローテーブルを挟んで、高圧的な女と、梓という女は、対面していた。ローテーブルの上には、湯気のたつコーヒーが置かれている。
「んで、あなたにかけられた呪術を、そのまま、術をかけた相手に返せばいいのね?」
梓は、無感情に言った。
「そう。よろしくね。それで、お値段は、おいくらかしら?」
女は、高圧的な態度を崩さない。梓は、にこりともせずに、言った。
「お代は、呪術がちゃんと、返ってからで良いよ」
「そう。じゃあ、よろしく」
そう言って、女は事務所を出ていった。梓は、女を見送ってから、ため息を吐き出した。
***
ちょうど、三日後。あの高圧的な女が、再び、事務所を訪れてた。
「どうなってるの!!」
女は、事務所の扉を勢いよく、開け放ったかと思うと、怒鳴り散らした。
「何が?」
梓は、三日前と同じように、ソファから起き上がると、女を見据えた。
「私の子供が、私と同じ呪詛を、かけられているのよ! あなた、呪詛返しを、失敗したんじゃなくって?!」
「あたしが、呪術を失敗してれば、あたしに、何か、影響があるんだけど、見た感じ、どう?」
梓は、酷くめんどくさそうに欠伸をした。
「何よ! その態度は!!!」
「よく考えなよ」
女は怒り心頭で、声もでなくなったのか、その場で立ちすくんでいる。梓は、女に諭すように、静かに言った。
「あなたの依頼は、呪詛返し。呪詛返しは、術者に呪詛を返す術。で、あたしは、あなたにかけられた術を、術者に返しただけ」
女は、梓に駆け寄ると、思い切り、頬を叩いた。
「あんたねぇ!!! うちの子が、私に、呪いをかけたって言うの?!」
梓は何事もなかったかの様に、澄ました顔で女を見る。
「そう言ってるじゃん?」
「私の子供は、術者でもなんでもないわ!!!」
女は、勝ち誇ったように言う。けれど梓は、気にもとめずに言う。
「術者じゃなくても、言葉さえ話せれば、人は誰でも、誰かを呪えるよ。知らないの? 日本語には、言霊、っていって、昔から、特別な力があんだよ」
女は、怒りで赤くなっていた顔を、急に青ざめさせた。
「あんたさ、よっぽど、子供に嫌われてんだね。本気で呪われちゃってさ。たぶん、その、なんでも上からの態度、良くないんじゃない? あたしには、関係ないけどね」
梓は、吐き捨てるように言った。女は、絶望的な表情で、事務所を出ていこうとする。その背中に向けて、梓は、声をかけた。
「呪詛返し、壱万円になりまーす」
女は財布から壱万円札を取り出すと、梓の手にぐしゃりと押し付けた。梓はそれを受け取ると、毎度ありー、と景気の良さそうな声を出す。
女は、再び事務所を出ていこうとした。その背中は、三日前とは、別人のようである。
梓は、もう一度、女の背中に向けて、声をかけた。
「でも、本来、言霊は、陽的な要素の多いものなんだよね。だから、あなたもさ、もっと、叱るんじゃなくて、誉めてあげれば? 子供のこと、さー」
その言葉は、女の背中には届いたのだろうか。それ以降、事務所に、あの女は現れていない故に、それは、預かり知らぬところではある。
それでも、今日も、梓のもとには、術で悩む人が、現れたり、現れなかったり。
end...?
話題:SS
12/12/02