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ちょっと面白い話

またまたご無沙汰してしまいました。
習慣的にブログする、っていうのは難しいことですね。

おいらのパチ友のKくん、としておきましょう。
(Kというのでくろべえ自身の事じゃないか?なんて邪推はなしでお願いします。おいらではありません。)

彼が彼自身を合わせて4人でいつもあるホールに毎日毎日電サポワンツーこねこねやりに行ってたんですね。

ずいぶん抜かせていただいていたそうです。

すると、ある日、4人の内のひとり、Mくんの態度が悪い、といって店員さんが難癖をつけてきた。

Kさんが間に入り、「まあまあ」みたいな感じで今にも衝突しそうなMvs難癖白服をなだめていると、別の白服がやってきた。

別の白服はワンランク上の人っぽい感じだったとのこと。

そしてこの別の白服はなんと、トラブルの発端である「Mvs難癖白服」に一瞥もくれずにKさんに対して全く別の話をし出したそうです。

「もう十分稼いだでしょ?いいかげんに頼みますよ。」

要するに、抜きすぎプロ集団に対する嫌がらせ&追い出し策だったわけです。

こんな事は日常茶飯事だし、店舗側の行動としては十分理解出来ることです。

でも、どうにも理解出来ないのが、「もう十分稼いだでしょ?いいかげんに頼みますよ。」と率直に言う前に、おとなしく打っていたMくんに対して嫌がらせというより喧嘩を売るに等しい行為を最初にやってきたこと。

追い出すなら、率直にそう言ってくれればいいのに。

まあ1ヶ月もして別の人間が行けばいいだろう、ってことで、1ヶ月後。

Kくんチームと別のホールで打っている、これまたくろべえのパチ友Iくんチームにホールの交換を打診。

Kくんは自分のチームをつれて、Iくんが打っていたホールに。

Iくんが自分のチームをつれて、このホールで打ち出したわけです。

もちろんIくんは追い出された経緯を知っているわけで、ちょっとビクビクしながら稼働していると、盤面に映る白服の影(笑)

肩をとんとん。

ばつの悪い感じでIくんが振り向く。

そこに立っていたのはやはり白服さん。

白服「今日は何人でお越しですか?」

I「いや、うーん、えとね・・・」

言い渋っていると、

白服「今度の店長ですけどね・・・」

なんと、行かなかった1ヶ月くらいの間に、店長が替わっていたようなのです。

白服「プロが大好きなんですよ!」

I「????」

白服「もう、何人でもつれてきてください!」

I「は・・・はあ」

4人グループでIくん(Iくんは4人グループ中決して最年長ではない)がボス格であることをすぐに見抜き、話しかける白服さん。

いや〜、ホールスタッフさんもグループ打ちの行動はよく見ているんですね。

Iくんの頭の上に?マークがいくつも浮かび上がりつつ、この日の稼働は終了。

何人でもつれてきてください!と言われれば、かなりの数を連れて行くことは可能ですけど、普通に考えて、一つのホールにあんまりたくさん行けば大迷惑になることは間違いないんで、Iくんとこの話をしたときには話半分でした。

疑心暗鬼のまま、Iくんは相変わらず4人稼働でこのホールに行っていたら、またまた白服さん襲来。

白服「どうですか、回りますか?」

この日の銭形はマジでヤバイくらい辛かったそうで、

I「いや〜、キツいっすw」

白服「プレ海のゴールド打ってみたらどうですか?」

I「そうですね、試しに打ってみます。」

と行って、やはり店に「打たせて頂いている」プロの立場で素直にプレ海に行ったそうです。

しばらくするとまたまた白服さん襲来。

白服「海どうですか?AKBよりは勝負になりますか?」

I「いや〜、どっちもどっちですね。正直キツイです。20〜20.5くらいはほしいですね。」

と言いながら、この日、噴き気味のIくんの後には24箱くらいあったそうです(笑)

一応、出玉回りは悪くないんで、そこは有り難いんですけど、やはり絶対的回転率が厳しいですね。出玉回りをもう少しマイナス調整して、回転率に乗せる方が一般のお客さんも喜ばれるんじゃないでしょうか?、などとアドバイス(??笑)して帰ったそうです。

プレ海には期待をかけて、かなりの大量導入なので、お客に飛ばれるとかなりまずいことになるんで、最低の稼働を確保したい、そのためにプロさんたちもある程度打てる調整を心掛けるので、しっかり出玉を他のお客さんに見せてやって欲しい・・・要約するとこんな内容のことを白服さんが言っていたそうです。

ここの新店長さん、なんでも系列別店舗でかなりの実績がある人らしく、この店舗の立て直しに入ったっぽい話です。

「プロも花」と考えて、一緒に店舗を盛り立てようとしてくれる店長さんには拍手を送りたいと思いました。

我々も無茶に人数を入れたりすることなく、一般のお客さんがしっかり遊べる台をシマに残し、共存する道を選べれられれば、と考えさせられるエピソードでした。

圧敗

久しぶりの終日稼働はしょっぱかったです。

まずもって、これほど単発ばかり、そして銭形では4Rばかりだとどうにもならんです。はい。

朝一は新海。

135回して単発。

ちょっと回して、トイレに行ったら、リオ潜伏6残しゲット。

102回して突確スルー
151回して単発(間潜伏1回引き)
108回して単発
38回して突確スルー

ストック5個消化して、まだ高確だけど、1個とかいらんし、銭形に。

324回して4Rばかり3連。
364回して4R単。
262回してトイレに行ったら、またリオ潜伏6残しゲット。

30回して突確スルー
63回して単発(間1回潜伏引き)
45回して単発
82回してやっとディーラーチャレンジでヒット2連→リオチャンスはスルー。
・・・で6個ストック消化。

銭形戻って・・・

ってもういいよね。

とにかく大ハマリはないもののショボ出玉&中ハマリの繰り返し。
持ち玉になったり現金になったりで結局現金投資が止まらない。

8時半まで打ち切って、32000円+貯玉2500発負けです。

プギャーす。

明日も稼働なり。

シリーズ:パチ考D「メーカーすらもう分からなくなっているんじゃないか?」

もっとちがう何か。

そのこと自体、メーカーすらわからなくなっているんじゃないか?と思える節があります。

「面白い!!」

という機種があるのなら、その機種はファンを掴んで放さないはず。

そして長命機種として、ずっとホールのシマに君臨するはず。

毎週毎週新機種が出て、2ヶ月前には40万円もした新台が隅っこに追いやられ、いつの間にかホールで見つけられない。
〜なんてことが起こるのは、「面白さ」がもの凄いスピードで変貌し続けているからだろうか?

そんなことはあり得ないはずだ。

「花の慶次」は「雲のかなたに」「〜斬」「〜愛」「〜焔」と続いてきているけど、「〜焔」の面白さは「〜愛」には無かった面白さだろうか?
「〜愛」の面白さは「〜斬」に無かったものだろうか?
そして今度の「〜焔」はどうか?

グレードアップした液晶表現を「面白さ」というのなら、以前、仮定としてお話しした「ピコピコゲーム」と「トイ・ストーリー」のまったく関係のないものの比較は、にわかに意味のあるものとなってしまう。

メーカーは細かいところの作り込み以外に、パチンコの「面白さ」の根源部分が見えなくなっている可能性があると疑ってみてもいいかもしれない。

シリーズ:パチ考C「なにがそんなにおもしろいのか?−一般論」

とはいえ、一般的にはどうなんだろうか?

「パチンコのなにがそんなにおもしろいのか?」

・液晶演出が面白い!
=ビデオゲームの方が面白いよ!

・玉の動きが面白い!
=ゲーセンで打った方がよく回って面白いよ!

・連チャンが面白い!
=ゲーセンのでも同じだよ!

・我慢と解放のメリハリが面白い!
=釣りの方が健康的だよ!

・音が良い!
=そうかな?ステレオやipodで聴く音楽の方が良いような・・・

・要するにギャンブルとしての勝ち負けが面白い!
=だよね?

・連チャン中の無敵感が最高!
=やっぱりそうだよね?

・なんにも考えずにボーッとできる
=これは納得。

パチンコホールが商売として成り立つ限り、一般的にはパチンコは消費行動(つまり負けるのを前提で打っている)に違いないはずなのです。

なので、一般的な話をするなら「儲かるので」というのは理屈にならない。

考え得る限り書いてみたがどうもピンと来ない。

つまり、こうだ。

遊戯としてのコンテンツはさておいて、ボーッとしたり、ドキドキわくわくしたり、

の繰り返しが面白い、ということらしい。

そして最後に、お金が増えたり減ったりするのが堪らない、というのです。

う〜ん、それだけ?なんか違うような気もする。

こんなんでは今の遊戯人口はありえない。

もっとちがう何かがあるはずなんです。

シリーズ:パチ考B「なにがそんなにおもしろいのか?−そして今」

結論:パチンコは面白い。

なにが面白いか?

「上手くやれる=テクニック」が日々の単位では「運」にいとも簡単に粉砕されるかもしれない微妙なバランスの上に成り立つギャンブルゲームと言う意味でとても楽しい。

5万負ける恐怖に、上手くやれるはずという信念で戦ったり、その信念が折れてすごすご撤退したりする。

10万勝つかもしれないワクワクした期待感を、「上手く」打って勝率を上げるのが本道!と冷静な理論で押さえ込もうとしながら、台に向かって打ち始めるとき。

そう、3回に渡って話してきたこの「なにがそんなにおもしろいのか?」

くろべえにとって、クオリティがずいぶんよくなった液晶演出は、別に今となってはピコピコゲームであっても一向に構わないが、良いに越したことはない、と言う程度のオマケ的要素。

「上手い下手」があるゲームとして、パチンコを捉えられるようになったからに他なりません。

ギャンブルとしての期待感もその中にあることはもちろん否定しません。

振り返って、この「上手い下手」の要素が分からない頃、言い換えれば、ギャンブルとしての期待感がちゃちなゲーム性とペアになっていたあの時、この面白さは感じることは出来ませんでした。

それだったら、競馬の方がよっぽど面白い。
戦績を見て、血統を参考に、実力を推測。
直近の戦績や体重、パドックでの様子をみて調子を推測し、買い目の組み合わせをオッズから考える競馬の方がギャンブルとしてはよっぽど知的だし、ゴール板前での興奮はよっぽどエクスタシーを感じる。

それだったら、麻雀の方がもっと面白い。
運の要素に実力の要素。定石的な確率論的な正しい打ち回しもあれば、順位を考えた打ち方や勝負所を考える相対的な要素もある。
大きな手の一撃もあって、ゲーム的にもドキドキ感もこちらの方が上だ。

そう考えていたものです。

そして、今はどうしてパチンコなのか?

と考えたとき、結局、くろべえにとって、「上手い下手」があり、リアルにお金がやり取り出来、そして、競馬よりも儲けやすい。

冷静に考えれば、その程度のことです。

冷静に考えれば、です。

でも、仕事が終わると自転車をぶっ飛ばしてマイホに向かった頃もありました。

あの時のあの感情。

たったそれだけでは語り尽くせないなにかがあったはずです。

これはまた後ほど。
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