煙がくゆる。白と灰の混ざったような色をして、煙は部屋を舞う。ゆらゆら、もくもく。
輪っかになった煙に、面白がって手を伸ばして、払って、煙を消した。
「おじさんはどうして煙草を吸うの?」
「どうしてだろうな」
三十を間近に控えた、綺麗に髭を整えた、叔父が答える。酷く曖昧で適当な言葉だ。叔父はまた輪っかにした煙を吐く。まるで海中で作られる泡の輪っかのようだ。ゆらゆら、ゆらゆら。
「ねぇねぇ、どうしてどうして?」
まん丸い目を向けて、少女は問いかける。
「んー……。そうだな、これはきっと、緩慢な自殺なんだよ。こうやってじわじわ自分を追い詰めて、出来もしない自殺を、味わっているんだ」
「かんまん?」
「お前には難しかったな」
「よくわかんない!」
「わかんなくていいんだよ」
叔父は、悲しそうな困ったような微笑みで、少女の頭をくしゃりと撫でた。少女を見つめる目は、少し悲しそうだった。
そして、それから十年。
「緩慢な自殺、ね」
少女は、叔父の好きだった煙草を見つめる。長い黒髪が、少女の顔を隠す。表情は見えず、落ち着いた声色だけが部屋に響いていた。
叔父の作品が並ぶ部屋。色とりどりに飾られた完成作が、部屋に無造作に置かれていた。
「長い自殺だこと」
何年もかけて。自分で死ねない弱虫は、実に緩慢に、死を迎え入れた。その甲斐あってか、は知らないが、叔父は病気で、四十になる手前で亡くなった。
私だけが入れた叔父の部屋。私だけに鍵の在処を教えてくれた、叔父。
何年も、もう此処には足を運んでいなかったことを、今更になって気付いた。
少し埃の被った作品も、凄く、素敵だ。
そして少女は、私は、十年越しに、あの緩慢な自殺の理由を、知るのだ。
「……お母さん」
笑顔で、きらきら。何枚も何枚も、きらきらの笑顔のお母さんが、違う方を見て、凄く楽しそうな表情をしている。
正面、つまり叔父を向いた絵は一枚もなかった。きっと、お母さんの見つめる先は、一度も、叔父にはならなかったんだろう。
だってその先には、お父さんが居たのだから。
何をしたって、一度たりともこちらを向かない人を、叔父は、心の底から、愛したのだ。
お母さんの絵で埋められた、この部屋がそれを物語っていた。
叔父は、叔父に振り向かないお母さんの子ども、私のことをどう思っていたのだろう。憎んでいた?嫌っていた?お母さんの代わりだった?叔父に懐く私を見て、お父さんに対する優越感を抱いたのだろうか?
淡く、仄かな感情が、あの煙草の煙のように、ゆらゆら、ゆらゆら、私の心に漂う。
いつだって叔父は私じゃなく、私越しに、お母さんを見ていたのだろうか。
「……あ」
部屋の隅に、描きかけの作品。鉛筆で、丁寧に仕上げられた、優しい作品。
そこには、お母さんじゃない。
紛れもなく、幼かった日の、私の絵。
笑顔の私の絵は、描きかけのまま。
それでも、叔父は、私を見ていたんだ。そう思うと、自然に笑みがこぼれた。
ゆらゆら、ゆらゆら。
幼き日の泡のような恋心。
「大好きだったよ、おじさん」
それはきっと、恋であって、恋ではなかったのだろうけれど、私の大切な初恋の、思い出なのだ。