昔、愛する人々に伝えたい愛する人々の物語を、自分がこの世に居なくなった後でも、伝える事が出来ればと思い、筆を握った時期も有ったが、未だ成し得ていない。
元々、筆無精な私は、こういう場所でも借りない限り伝えたい事を最期まで象に現せないと判断し御世話になる事にした。
第2の人生と云うより、強い想いを心に潜ませた筈の新たな人生を始めたつもりの日から20年。
山あり谷ありながら、目標に向かって着実に一歩一歩進んで来たつもりだったが、全くの裸の王様状態だと、やっと最近なり気付く事が出来た。
方向性も成果も、どうやら全くの一人合点だったらしい。
こういう場所を借りて、何をどうしようかという方策も、実は暗中模索状態。
只、何かを形にしていく事で、それが何時か最期の頼み綱に化けてくれればと願う苦し紛れの行動だと云う事には気付いている。
これから記して行く事は、ブログという範疇には入らないと思うが、万が一覗いて下さった方は、お目こぼし願いたい。
いつ頃、物語を完結出来るか想像もつかないが・・
先ずは、一歩目を踏み出そう!
これから先、俺が独りなのは何の問題にも罰にもならない。
俺にとっては、諦める事を許された免罪符にしか成りえない。
ただ息をして生きて行けば良いだけの人生での独りの意味は
全てからの解放だから。
何もかも・・其れこそ人の感情さえも計画的にコントロール出来ると云う信じられない様な自信すら持ち合わせてた昔。
その頃の口癖は・・・
自分の人生を使って学ばなくとも情報の溢れた現代に生きる俺は、過去の人物の経験から容易に学べる。
・・こんな事を言う奴を見つけたら、今なら私が一番先に笑う。
咳をしても一人。
俳句のジャンルに含まれるらしい この言葉に捕まったのは、いつの頃だっただろう。
最初は、その重みに気付く筈も無く、心地良ささえ覚えていたかも知れない。
月並みだが、無限の可能性と根拠の無い自信に支えられてた頃、今思えば些程でもない初めての挫折を覚えた時に陶酔した言葉。
己を世の中の中心に置いて物事を考える事の出来る時期にこそ陥り易い、文字通りの言葉に酔った自己陶酔だったのだろう。
それなりに、言葉の真実を知るようになった今、この言葉の持つ重みに堪えきれ無くなっている。