2011-8-31 12:14
ずいぶんとお久しぶりになってしまいましたな。
ご無沙汰でした。
この数カ月、いろんな事がありました。
4月に家族がひとりへって、食卓のいすもひとつへって、
家のベッドの数もひとつへって。
しろくろの、ぶつだんの遺影だけが、ひとつふえました。
たいせつな、たいせつな人でした。
認知症が出始めてから、イライラして暴言吐いたり
こんなになっちゃったの認めたくなくて冷たくあたったり
仕事で早く家出て、でも帰ってくるのは仕事時間が長くて遅くなって
すれ違いの生活だったから会話も当然減っていって。
ある日仕事から帰ってきたらおばちゃんたちが来てて騒がしくてあっという間に救急車で連れて行かれちゃった
救急車が家に来るまで手を握って話しかけることしかできなかった。
運ばれて行った後、お母さんの車で病院行ったけどやっぱり反応鈍くて、
声かけても、手を握っても弱弱しかった。
弟なんかその姿見て泣いちゃってさ。
私はこらえたよ。
「またあした来るね。」って言って帰ってきた。
でもあしたなんてなかった。会えなかった。『遺体と対面』しか出来なかった。
その日の夜に、もう連れて行かれちゃったんだ。
電話で連絡を受けて明日の準備のため、家に残ってる家族と無表情で家の中を粛々と片付けた。
不思議とみんな泣かなかった。どこに片づければいいの?っていう言葉がたくさん飛び交っていた。
泣く暇もないのか、泣きたくないから黙々と片づけていたのかわからないけど。
私は受け止めきれなかった。
未だにもういないなんて信じられない。デイサービスにでも行ってすれ違いの生活のままのような感覚。
最近は慣れてきた。
本当に、涙が出なかったんだ。泣けなかったんだ。火葬の時も、お葬式の時も、お別れの言葉を読む時も。
いつもは一緒に誕生日してたのに今年から7月生まれは私だけになっちゃったなぁってさ、漠然と思ってたよ。
現実じゃあないような気分でさ
お別れの言葉で言いたい事、思い出いっぱいあったんだけど時間の都合書かないこともたくさんあったんだよ。
大丈夫。まだしっかり覚えてる。
一緒におてんとさま見て拝んでたこと、
気持ち悪い私の手、「よくなぁれ、よくなぁれ」って何度も優しくさすってくれたこと。これ大好きだったなぁ。
大人用の三輪車の荷台に乗せられてあちこち行ったこと。おしゃべりしながら流れていく景色と顔を過ぎていく風が気持ちよくて大好きだった。
お手玉とおはじきして遊んだり。みんな働いてたからいつも一緒に遊んでたね。
私は覚えていないけど池に落ちた時助けてもらったとか。
笑顔とか声とか拗ねた顔とか怒った顔とかやっぱり笑顔とか。
大丈夫。大丈夫。ちゃんと覚えてる。大切な事全部覚えてる。まだ大丈夫。
でもいつかは忘れていってしまうんだろか。
そんなさびしいこと、いやだな。
そう思ってこれを残しておこう。こんな長ったらしい文章書く時間と気力なかったけどそう思って今書いています。
今までありがと、ごめんなさい。ありがとうひっこ。
お葬式のときクルミ事件がありまして。
近所の親戚?誰だかわからないけどクルミのおこわ的な料理持ってきたひとがいて。
私がクルミアレルギーって事知らなくてふっつーにテーブルに乗ってて私も「そろそろクルミ大丈夫かな」ってそのテーブルでご飯食べてたんだけど喉に違和感・・・
「あれ?やばいかな?」て思っていったん部屋に避難しようと階段登ってるうちに喉が本格的に腫れてきちゃったみたいで。
激しくせき込みつつも何とかベッドまで辿り着きせき込んでたらお母さんが来たから氷と牛乳を何とか頼んで持ってきてもらって喉を冷やしてたんだけど一向に良くならず過呼吸発症ww
いつの間にか気づいた時には親戚で看護婦してるお姉ちゃんも部屋にいてお姉ちゃんが偶然持ってたぜんそく用の薬?あのなんか吸うやつをよだれでべとべとにしつつ吸って(たぶん吸えた)事なき事を得ました。まさに九死に一生。。。
お葬式中にもっかいお葬式しなきゃならなくなるとこだった。
救急車呼ばれる一歩手前でだんだん回復。
すっごく疲れたけどそのあとちゃんとお別れの言葉読みました。弔辞初めて書いたけどすごく好評でした。
お父さんからは「声詰まらせながら読めば良かったのに」って言われた。そんな人前で泣くなんて恥ずかしい。
こんなとこかな。お葬式云々の記録。
これをちゃんと書いておかなきゃ他の日記は書けないと思った。
今日書けて良かった。