多分、恐らく、10月が苦手だ
どうしてかはわからないけど、落ちやすい
寒くなり始めるからか
夏より冬の方が好きなはずなのに
おかしい
去年も、その前も
さらにその前のことは忘れたけど、とても忙しかったのは覚えている

今日はのろのろ歩いて帰って
適当にお菓子を食べて
床に横になった
今とても体が痛いけど、あと寒いけど、動きたくない
明日は休みだから、もう何もしないで良いことにして、シャワーだけ浴びて布団に入れば良いのに
動きたくない
動けない

もうだめかもしれない
とかいって、明日は何も無かったみたいになってたりもする
だろうか

なにもかもやめておけばよかった

制御できない

勝手にいろいろ勘繰って
悪い方にばかり思考が傾いて
感情の起伏、主に落ち込みをいつも隠せないで
ひとに迷惑ばかりかけて
自分は何も返せなくて
肯定してくれても受け入れられなくて
同じことの繰り返しで
いつもこわい
どうすればいいかわからない

なにもかもやめておけばよかった
そうは思いたく無い
終わりにしたいわけでは無い

no more

去年、実家が無くなった

やっぱり親が引っ越すことになったので、これまでの人生の中で一番長く居た場所が無くなった
多少の喪失感はある
でも退路を断ち切れたような有り難さもある

それに伴って実家に置いてきた自分のものを色々と整理した
そうしたら、たくさんのことを思い出した
思い出したく無いことだと思っていた時代は、案外嫌な思い出ばかりじゃ無くて、ちゃんと楽しかったこともあったということを思い出した
それは全部、捨てようと思っていたものたちが思い出させてくれたことだった


むかしは全部捨てたかった
ノスタルジックやセンチメンタルなんかに浸りたくなかった
思い出を懐かしむことになんの意味があるのか
そう思わずにはいられないことは変わらないけれど、当時の衝動で捨てていなくて良かったと思う



そのことにも後押しされて、10年振りの友達に連絡を取った

自分から連絡を絶ったくせに今までずっと後悔して、いやこれで良かったと肯定して、でも仕切れなくて、自分勝手にも夢に出てくるくらい苦しくて

それなのに、いざ連絡してみればあっけないものだった
あまりのあっけなさにこの10年はなんだったのかと思わなくもない
それでも、自分勝手は承知の上だけれど、私には必要な時間だった
と思う

会ったら会ったで当時のまま接してくれて、
相手にそんなつもりはなかったかもしれないけれど、怒ってくれたからちゃんと謝ることができたし、嫌いで連絡しなかったわけでは無いということも伝えられたし、なんというかもう胸がいっぱいでどうにかなりそうだった


昔も今も感謝しかない
人に恵まれ過ぎている
それに対して、自分は相変わらず何かして貰うばかりで申し訳がない気持ちもそのまま
だけど今度は逃げずに、自分も何か返せていけたらと思う





重い

イミテーションと偽物

ひとりでなんでもできるようになりたい
反面、そうなるのはこわい

ひとりでも大丈夫というのと、
ひとりでしか大丈夫じゃないというのは大きく異なると思う

ただ、ひとりではいきていけないようになるのは一番こわい

だから誰かと親密になるのがこわい
自分は多分に他人本意で、他人の一挙手一投足に左右され易いから、依存してしまうから、親密では無くなったときの衝撃を回避するために、一線を引いてしまうのだと思う

だけど、ひとりでいきていきたいわけではない
でもひとりでないとこわい

水が勿体ない

ごはんが美味しくできた
ほうれん草が安かった
久しぶりに友人に会えて楽しかった
仕事がうまくいった
家事が効率良くこなせた
予定通りの休日を過ごせた
すごいものがたりに出会えた
ひとに褒められた

それで?
それがどうした
そんなもの無意味だ

良いことがあっても瞬間、いつもこうやってすぐに引き戻される
充実感を、満足感を、からだに溜めることが出来ない
ザルにかけたみたいにすり抜けて残るのは虚無感
のみとまでは言わないが

その瞬間は良い
でもこんな日々を続けて何になるのか、何に向かっているのか
わからなくて、それがどうしたといわれるのか
大きな目的が無いからか
目的があったとしても全部その瞬間になるのに

さむい、ねむい、さびしい、頭痛が止まない、掃除がしたい、多分たんぱく質が足りていない、空腹、なのかは分からない、めんどくさい
今、急場しのぎでも満たせるものだけ満たしたとして、それも瞬間だ

お風呂に入りたい
でも水が勿体ない

うつしおみ

そんなわけで引っ越しをした。

いざ本気で動き出してみれば、そう大したことではなかった。(姉の助力は大きかったけれど)
家のこと、親のことも、自分自身のことも、結構大丈夫だった。

わかってはいるつもりではいるけれど、それでもやっぱり、取り越し苦労というのか、考えすぎるきらいがあることをもっと頭に入れておく必要があるみたいだ。


生活が出来るくらいには物も揃ってきて、つまりは新しい環境に慣れてきた。
建て付けが若干悪い諸々について、静かな蛇口の締め方や扉の閉め方を会得したり、
ゴミ出しの日や洗濯をする日を軸にした日々のルーティンが確立したり、
道を覚えて、最初はおっかなびっくりだった夜道も無意識に歩けるようになったりしている。




荷物を運び出すのに使ったキャリーバッグを戻すために、実家に帰ってきたのは昨日。

相変わらず掃除を始めると長引いてしまって家を出るのが遅くなったのにも関わらず、カラオケに行く折角のチャンスを不意にはできなかった。
そうして実家に着くのが夜になって、夜ご飯は食べていきたいし、録画しておいてもらった夏目の映画も観ていきたいので、泊まることにした。

今日は朝から暑くて外に出る気が起きないので帰れず、これは実家から書いている。


まだ引っ越して半年と経っていないから当然と言えば当然だけれど、ここで寝泊まりすることに全く違和感が無い。
違和感が無いことに安心する。
姉や父はここから引っ越したい、そうすべきだと思っているようだけれど、私は帰る場所が無くなるみたいで寂しいから嫌だ。

かつての自分の部屋はやっぱり落ち着く。
長くここに引き篭っていただけのことはある。
そしてこんなにも日当たりが良く明るかったこと、その有り難さを痛感している。
次に引っ越すなら、視界が開けて、大きく空が見えるところが良い。気が早い。



ひとり暮らしをしてみて感じるのは、少し大袈裟に言うと、生きているということだ。
自分で、自分のために、生活をしている。
そういう意味でも、今までは死んでいた。

何でも自分でやらなければいけないというのは大変ではある一方、言わずもがな糧になる。
生活力は着実に身に付いてきている。

それから家族への罪悪感が無い。
共同生活ということで気を遣う必要も無いし、苛立つこともない。(これは自分の中の許容が小さくなりそうなので、危惧すべきことでもあると思う。)

家族にどう勘繰られるかを気にして行動を制限する必要も無い。
例えば思いつきで化粧や化粧品を変えてみたり、髪型を変えてみたりするのだって、ハードルが下がったように感じる。

そうして視野が、世界が広がる。
成程。これが自立かと思ってみたりする。

こんなことならもっと早く始めるべきだったと思うけれど、今までのことがあったからこその、今なんだとも思う。



そろそろ帰らないと。
今日は洗濯の日だ。
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