自分が愚かだと知って、それを知りつつも尚、愚かな行為を続ける。
それが最も愚かな者だと思う。
何だか今の自分が、世界で一番の不幸を背負った気になる愚か者は沢山見てきたけど、
世界で一番、愚かな行為を続ける、世界一の愚か者は多分俺なんだろうな。
そこには悲劇的な何かや、同情を買う何かなんてありゃしない。
ただただ非力で無力で、それを知りながら何も出来ない、何もしようとしない、常に言い訳で取り繕う馬鹿な自分。
救いようがない。
救えるのは自分しか居ない。
なのに何だ。何も変わってはいない。
変わろうとしていない。
ただ「変わりたい」と願うばかりの愚か者。
いつか……、なんて無い。そんな事もわかっているのに、何やってんだ。
ぶん殴ってやりたい。
でも、それが出来たって何も変わらないから益々自分が可哀想になる。
自分に同情する。あまりの愚かさに……
今日は仕事関係でオーナーの部下に会わないと駄目。
俺は社員ではなくあくまでも、オーナーの会社出資の店舗の経営をする立場なので、上司でも部下でもない。
かと言って、取引先や得意先と云う訳でもなく、身内の関係にあたるのですごく割り切りが難しい。
頭では身内であり味方とわかっていても、気持ちが何かを拒否してる。
ちゃんと笑って会えるかな……
自分を保って会話が出来るかな……
自然と瞼が重くなってくるのは、現実逃避の時の癖だ。
たかがこれしきの事でよお……
こうやって、公開するモノに書く事じゃないのかもわからない。
でも俺にとって“書く”“描く”と云う行為はとても必要な事だから、やっぱり想いは綴るしか出来ない。
親父の会社が倒産した。
大手家電メーカーの下請けであるその会社で、最終役職は代表取締役社長だった。最終……と言うのは、その会社は親父の立ち上げた会社ではないと言う意味だ。
親父は数十年も前に一新入社員として入社して以来、社長職を任されるまで長年に渡って勤め上げて来た。
会長になった前社長でありオーナーには息子が居たが、跡を継ぐまでと云う約束で引き受けた社長職だった。
その当時からメーカーは製造を海外工場へ移行し始めていた為、業績は下火になっており親父は随分と引き受けるか悩んでいたのを覚えている。
その時親父は、「普通やったら断るやろうけどな、持ち直させてやりたい」と言って、跡を引き継いだ。
その後会長の息子は成長せず、会社は立て直しに手こずり、かけずり回った挙げ句とうとう手を挙げる形になった。
倒産を決定させた時、親父はまるで全てをやり尽くした感じで、自己破産をする事すら大したことではないような顔をしていた。
会社の負債には全て保証人に名を連ねていた親父は、それでも顔を合わすと社員の将来の事ばかり口にしていた。
そんな親父は今も実家で残務処理をしている。倒産日以降、残りの仕事や社内の整理を含め、様々な業務に大半の社員が出勤して手伝ったのは、そんな親父を社長として慕っていたからだと思う。
親父は嬉しそうに、「命令権もないのにみんな出勤してくれるしようやってくれるんや」と言いながら酒を呑んでいた。
俺は尊敬する人物を問われると、決まって“親父”と答える。
長く綴った“会社人”としての親父は敬意に値する人物だ。
ただ、尊敬は“会社人”の親父ではなく、“親父”そのものに感じている。
家族と云う存在を何より大切にし、誰よりも父親らしい父親である彼は、沢山のものを背負って生きてきた。
一応“詩”のようなモノを描いてるのです。
ここのblogは俺ん中では一つのカテゴリーとして分けられてるので、ここに見合った物は“詩”として掲載する事もありますが……
別のblogでは“詩”ばっか描いてて、それがまた深暗いんすよ。
でもね、心の形にならない複雑なモノって、文字にすると何分の一かでも形になって見る事が出来て……
自分の頭の混雑が緩和されるのです。
描くタイミングによって前向きだったり、後ろ向きだったり、少しヤバかったり、ポエマーだったりする感じ。
それを思うと、「何て不安定な奴だ」と思うのです。
不安定。
一人ぼっちでも安定感があって、ブレのない人は逞しい。
不安定な俺はいつも頭の中のもう一人の自分と押し合い寄せ合いしながらじゃないと、前にも進めない。
呼吸は合ってくるんだろうか。この先の長い二人三脚みたいなモンは。