成長すると考えは変わるもので

話題:インターネットはバカになる?


すごく前に(それこそネットに本格的に触れはじめた頃に)この話題を見つけて、すごく憤ったことを覚えてます。「ネット馬鹿にすんな!」って。
でも今思えば、その短絡的思考自体が馬鹿だなあと、その頃の若かった自分にちょっと苦笑。


インターネットは馬鹿になる、これは多分事実です。
理由は、情報が多すぎるから。
知ることは大切です、知識を得ることは生きていく上でとても大切です。けれど、ネットにはそれが多すぎるんです。
キーワードを検索すればすぐに出てくれる答え。ネットに繋げば浅く付き合える関係。それはとても心地好いです。既に手放せないものになってしまう程、心地好いです。
でもだからこそ、インターネットは馬鹿を作るのだと思うのです。


たくさんの知識がそこにあって、検索することでそれを知ることができます。これは一見知識を増やせたことによって、頭がよくなっているように見えます。
ですがその実、ただ知っただけで頭がよくなったとは言えないのです。


だって、その情報が間違いだったらどうします?正確であっても知っただけでは情報を活用できません。あなたはその情報を自分で整理して説明できますか?その情報が正確である根拠をどう提示しますか?
また、あなたはその情報に対してどう考えましたか?それを説明できますか?


と考えると、ネットはとても危ういものだと思います。情報を得ただけで、人は頭がよくはならないということを忘れさせるものだからです。


また、思想の単純化も馬鹿を作る要因の一つです。
例えば、情報に対しての一意見があります。これはネットの掲示板に書かれたものです。
掲示板に書かれたものということは誰か一個人が書いたもので、ある意見です。その意見はなんの立場もない一個人が書いたものであるからこそ、それを見た人に受け入れられ、思想の一つを作るものとなります。
無名だからこそ他人を左右する意見となり、それを見た人の言論を奪います。


というのも、無名というのは親近感を抱かせる要因だからです。偉そうな政治家が語る言葉は胡散臭く感じても、隣に座る友人の言葉は信憑性がありますよね。ネットを使っているということはそのネット世界に少なからず信頼を置いているということであり、その世界で発言する相手も同様です。であるから、無名の意見者は隣に座る友人と同等の説得力を持ち、それを見た人の思想を左右する。
またそれを見た人は自分の意思や意見をその人の言葉を借りて語り、自分の言葉で語ることをしなくなります。それは自分の頭で考えないことと同じであり、つまり頭を使わない人間になるということですね。
「うんうん」「そうそう」
と同意して頷くことは意見ではないと私は思います。同意するならそれに相応しい根拠を自分の言葉で話さなければ意味がないのです。


まあつらつら書いてきましたが、簡単にまとめると
・ネットは馬鹿を作る
・情報を蓄積しただけでは意味がない
・意見への同意だけでは意味がない
・自分で思考し、意見を述べることが重要

ネットで使い古された言い回しを使っている貴方、危ないかもしれないですよ。


まあ逆に言うならば、自分で思考し意見を述べることができるならば全世界と繋がるインターネットという場所は、とても価値のある場所であるとは思います。
だからこそ、インターネットに使われるのではなく使うことにより、馬鹿になることを回避し続けなければ、この場所に繋がっている意味がない。そう考えて思考する日々です。


追記
インターネットと思考について書きましたが、インターネットと情報についても少し。
大学の講義で何度か聞いた話ですが、その内インターネットにない情報はないものとして扱われるようになる、という言葉を聞いたことがあります。
例えば私たちはわからないことがあるとインターネットで検索しますね? でもそこで何もでなければ、それはわからないまま終わります。インターネットに存在しないものは知識として存在しなくなります。完全に私たちの視野の外のことになるのです。
しかし、それは確実にこの世界に存在することです。検索して出てこなくても、それは存在するものです。視野の外の事象であって無ではない。
だからインターネットの情報は無限に広がるものだと捉えるべきではなく、有限であり、出てこないこともある。過信すべきツールでは決してないのです。
そう考えると、インターネットで視野を狭められ続けるネットユーザーというのは確かに「馬鹿」に成り兼ねない存在でもあるかもしれません。ネットの過信には気をつけなければと自戒を込めて、記事投稿させていただきます。


しかしこのテーマをインターネットで扱うってすごい矛盾をはらんでいる気がする。