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お友だちへ連絡。

そのときに言えばよかったのだが、いかんせんマイペースでめんどくさがりだからしてなかったわたしが悪いのだ。

今年の3月4日か5日あたり、スマホの画面をバキバキに割ってしまって、まったく使えなくなった。
そしてほとんどのデータが飛んだ。
いそがしくて、たしか10日あたりにスマホを新しく購入したのだが、買い換えるまでの間に連絡してくれてたのはまったく読めず、Gmaillineばいばー以外で連絡を取り合っていたと子の連絡先がすべてなくなってしまい、いえ、長々とぐだぐだすみません、半年くらいわたしから連絡きてない方は、お手数ですが再度ご連絡くださいいいごめんねえええええ( ;∀;)

真面目に不真面目?

読書の時間がある。
4月始めに、「読書の時間があるけど、内職してもいいよ、わたしも内職したいし」ということを伝えたのだが、内職する生徒はおらず、みんなちゃんと読書をしている。
本音は内職したいのだが、クラス全員がちゃんと読書してるのに自分だけ内職するわけにもいかず、静かに本を読むことにしている。これを他の教員に話すと必ず驚かれるのだが。
自分が読んだ本はクラスの生徒に貸し、回り回って返ってくる。

そんなある日だった。

「先生、今はなに読んでるんですか」読書の時間前に、クラスの生徒から聞かれた。
「『変身』です」と答えると、その日からあだ名が『カフカ』先生になった。もちろんそういうふざけたあだ名で呼ばれるのは教室内だけで、教室の外だと名前に先生をつけて普通に呼ばれるのだが。


その日から、わたしの読む小説が変わるたびに生徒たちからなにを読んでいるか聞かれるようになった。

「先生、いま読んでるのって三島の金閣寺ですか?」
「そうですよ」
「ふーん…放火魔?いや、つまらないですね」

あまりネタとしておもしろくないものだと、このようにあだ名もつけられず気のない返事をされる。いや、べつにおもしろくなくていいんだが。そもそもおもそろくなくていいんだが。そもそもそういうの求めてないんだけど。

「先生、いまなにを読んでるんですか」
「春樹の『羊を巡る冒険』」

その日から、あだ名が『羊』先生になった。
まあこれも長くは続かず、だいたい単発で終わるんだけれど、長めに浸透したあだ名がある。

読書の時間に、安部氏の『箱男』を持ってきた日だ。もちろんその日よりわたしのあだ名は『スネーク』先生になり、わたしもなかなか気に入っていたので、自分のクラスの授業では、スネークの真似をして教室に入り、教壇に立ったら「こちらスネーク、授業を始める」などということをやっていた。バカウケ。
こんなことをやっていても、自分のクラスは優秀な子ばかりだから中間の成績も頗る良く、不登校やサボり生徒もいないことが救いだ。いや、だからこそこんなこともできるのだと思う。


そんなある日だった。この子たちが卒業するまでスネーク先生がいいなあと思っていた矢先だった。突如として変化は訪れるものである。

読書の時間が終わって、いつものように自分が読んだ小説を生徒に貸したときだった。
その生徒が、「スネーク先生が、『愛と幻想のファシズム』読んでる!」と教室の全員に伝えた。
「あ、それ俺読んだ!トウジですよね!」と一人の生徒が嬉しそうにわたしを見た。

ヒトラーとか、ナチスとか、ハンターとか、フルーツとか(愛と幻想のファシズム読むとわかる)、やはり新しいもの好きな年頃だからかなにかいろいろ、いろいろというか完全にわたしのあだ名候補が教室のあちこちであげられてたんだけど、いやこっちはまったくそういうの求めてないんだけど、結局まとまらずにその日が終わった。いや、まとめなくていいし、そもそもスネークでいいんだが。



翌日、朝のホームルームで教室に入ると、早速新しいあだ名で呼ばれた。




「教祖さま!おはようございます!」




もちろんいまでも教祖、教祖さまと呼ばれている。クラス全員から。
あまりに浸透しているせいで、教室の外でクラスの生徒から普通に名前で呼ばれると戸惑う。
なにこれ。

自信は身につけるのではなく、持つべきもの。

匿名アンケートで、150人程度の非常勤含む全教員の中で、担任になってほしい先生は誰かという質問があった。
わたしの名前が一番多く書かれていた。


だからと言うわけではないけれど。
わたしは今年からクラスを持つことになった。
そのかわり生徒はわたしを持つことになったのだ。


卒業してしまったけれど、とても好きで尊敬していた、すこし苦手な子が言っていた。
わたしはその子に泣き言を言ったのだ。みんなを背負える自信がないと。わたしは他人にたいして愛着がもてないのだ。どうしても無責任なのだ。
彼は何かを考えているようだった。そしてわたしを見ずに言った。


「好かれるために優しくする先生はだいたいなめられます。なめられないように厳しくする先生はバカにされて嫌われます。
でもあなたがそうじゃないのは、みんなから好かれて尊敬されているのは、あなたが僕らの視線になって物事を見るのが好きだからなのだと思う。自分の視線から物事を見るのと、僕らの視線で物事を見る使い分けがとてもうまいから。
ご存知のように、僕らはバカでも子どもでもないです。背負ってもらわなくて結構です。」


そう捲し立てると、彼は景色を見つめたまま黙ってしまった。月並みな言葉だけれど、とても綺麗な横顔だった。
わたしはなにか言わなければならないような気がして、「そっか」と何度か口にした。それでもなにも言葉が出てこなかった。
そんなわたしを見かねてか「はい、ほら、おいで」と彼はすぐ隣にいるわたしに左手で手招きをして、右手でわたしの腕を掴んで引き寄せた。とても大きくて、白くて、長く細い指は、背が高く華奢な彼にぴったりだと、腕を掴む彼の手を見つめながらぼんやりと考えていた。

彼の抱擁は過去に二度経験しているが、外国人がよくやる親愛の情から腕を浮かせるような、肩の骨格を動かすようなそういう種のものを感じさせる。彼はわたしのことなんて眼中にないのだ。
彼の首に顔を埋めると、わたしの腰に回された手が力を増した。


「さっき、わたしはみんなから好かれてるとか、君、言ったよね。でも、君からは、あまり好かれていないような気がするけど」


首に顔を埋めたまま、わたしは彼に聞いた。耳元でふわっとした笑い声が聞こえた。彼の笑い声がとても好きなのだ。どうしてか自分も笑いたくなる。人を幸せな気分にさせる笑いかただ。


「その原因は、たぶん、俺はあなたを先生として見てないから。一人の女のひととして見てる。最初から」

「うーん」

「そしてあなたは俺を生徒として見てない。たぶん」


たぶん、ともう一度口にして、彼は腕の力を強めた。
図星だと思った。彼にとってわたしはあまりに優しくない。彼に好意を持ってもらいたくて、わたしは彼にとって優しい材料にはなれていなかった。
わたしは黙っていた。なにか言わなければならない。そう考えれば考えるほど、言葉が出てこなくなる気がした。まるで太陽の下に置かれた白い紙を見ているようだった。さらに腕の力を強めた彼は、いつもと変わらず躊躇なく言った。


「俺はこのままだと、あなたのことしか見れなくなる。あなたしかいらなくなる。こんな状態でも、俺は、あなた以外いらないと考えている。あなたのことしか見たくない。そう、あなたのことしか見たくない。あなた以外いらない。俺は、あなたが好き。あなたの中身が好き。ずっと一緒にいたい。
でもそれじゃダメなんだ。俺はもっとたくさんの世界を見なきゃダメなんだ。だからって、五年後に会いたかったなんて言わない。俺は今、あなたに会えてよかったと思ってる。
だから、できることなら」


彼は押し黙って、腕の力を弱めた。


「俺の前から消えてほしい」


なにも言えなかった。やはりなにも、彼に優しくできる言葉が思い付かなかった。
どうしてこうなってしまったのだろう。


彼から離れて「せっかく会えたんだから、消えたくはないんだけどな」と自分のわがままを言葉にするしかなかった。彼はすこし微笑んだ。良い顔をしている彼は、とても綺麗な笑顔をつくる。やっぱりわたしは、彼に優しくできないなと思った。彼がとてもかわいそうだと思った。



それ以来、毎日とっていた連絡をやめた。連絡をとること自体をやめた。会うこともない。
わたしはわたしを持つことになった優秀な生徒たちのためなんだか、自分のためなんだか、雑用なんだか、とにかく忙しい。

彼との連絡手段は生きているようだが、とくに気にすることはない。
ふと考えるのは、人を幸せな気分にさせる彼の笑顔をまた見たいということだ。そんなこと、と思う。彼に会おうと思えば会えるのだ。わたしは彼の居場所をみっつ知っている。すべて彼がわたしに教えたのだ。
しかしそれができないのは、わたしが、彼に優しくする方法を知らないからだ。なぜなら、お互いにとって、お互いの存在が一過性のものでないといけないと感じるから。
ただ、ひとつだけ、ひとつ自分に自信が持てたら、彼にまた会おうと思う。

それってどんな味?

みんなそれぞれが主人公で、一人一人に大きな物語がある。それはまるでひどく特別なことのように我が身に振りかかり、周りと一線を画す存在であるかのように思い込むことができる。




悲しいことにわたしたちに物語はないけれど、そんな大きな物語があるように見られていたら嬉しいなと、終電間際でひとがごった返す改札前で、ハチコ下の背が高い綺麗な男の子に抱きしめられながら、わたしはそんなことをぼんやり考えていた。
わたしは君の制服姿しか、君を知らなかったんだ。

10日間夏休み。

おっしゃヨーロッパ!さよなら日本!さよなら!あーさよなら!さよならしたい!

もうね、恋愛やオシャレのことで頭がいっぱいで、そのかたわら勉強を気にしていられた頃が懐かしいです。
頭のなかはもう仕事!仕事!仕事!恋愛!
恋愛やオシャレで頭がいっぱいになれるのなんて学生のうちだけだ、だからいっぱい悩んでいっぱい苦しんでいっぱい考えていっぱい楽しんでほしい。




気にかけたところで一切実態が掴めない「社会」という空間の隣で、社会なんてものがなんなのかもわからずに日々を過ごしていた学生時代、一番に大切にしていたのは感情だった。
だが社会にとって必要なのはいかに仕事ができるか、いかに効率よく立ち回れるかであって、その場その場の個人の感情なんて必要とされないし、誰も見向きなんてしない。


あんな無意味なものをよくも大切にしていたなと笑えてしまう反面、胸が締め付けられそうになるのはなんなのか。 
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