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変人は生まれつき変人

私は、はっきりいって結構な変わりもんである


どうやらそれは幼少のころからのようだ
いまでこそ自分は変人である自覚はあるが、幼少当時はそんなこと考えてもいなかった


だが幼き頃の自分自身を振り替えると、恐らく回りの人々から「変わった子」扱いされていたのではなかろうかと思えるような行動をしていた気がする



私が住んでいた団地には公園があった

公園といっても砂場と滑り台しかない規模の小さいものだったが


ある日私はその公園で砂遊びをしていた
近くでは幼い兄妹もあそんでいた

その兄妹は私に話しかけてきたが、私は特に相手にしていない

そして私は、どういうわけか砂場の砂を食べ始めたのだ

何故、私がいきなり砂を食べたのかは私自身にもわからない


少女は私に「砂なんて食べちゃだめなんだよ」と注意するが、私は完全に少女を無視していた

そのあと私は滑り台にいき、頭を下に滑り始める
が、すべりきれずに途中でとまってしまう
私はそのままずっと動かなかった


しばらくすると上下反転した私の視界に母の姿がみえる

母には「熱があるんだからはやく家にもどりなさい」といわれた


といった具合に私にはこのような奇行ともいえる不可解な行動が多かった



それと私は騙されやすいというか勘違いが多い

母は昔、軽自動車にのっていた
だがいつからかセダンタイプの普通車に乗り換えており、軽自動車の記憶は頭のなかでボンヤリとしか覚えてない

母に軽自動車の話を聞くと、母はこういった

「おまえがちっちゃい頃、エアコンの通風口にテレフォンカードを入れたから壊れたのよ」

もちろんこれは母の嘘である
しかし私は見事にこの嘘を信じていた

騙される私も私だが、母も妙な嘘をついたものである

母もなかなかの変人である

私の変人は母親譲りのようだ

◎生誕〜数年◎ 趣味のこと

友達がいなく(いるにはいたのだが、自力で会いに行けない)外で遊ばない私が何をして幼少期を過ごしていたかというと

ほぼ
オモチャで遊ぶ、もしくはビデオを見るのどちらかであった


ビデオというのは、アニメや特撮物のことである

母子家庭の為、家事をやってる間は私にかまってられないのでビデオを見せて退屈させないようにしようという魂胆だ

この作戦は大いに成功している


私はビデオを釘付けになって見ていた

丸々一日ビデオを見ていた日もあるくらいだ


私がビデオに夢中になってくれたおかげで母は家事に専念でき、自分の時間も持てたであろう


私は特撮ヒーローが大好きで、仮面ライダーや戦隊物を好んでみていた

当時放送していた「地球戦隊ファイブマン」が特にお気に入りで、いまでも一番好きな特撮番組である

母はその「ファイブマン」を毎週録画してくれていた
他にもレンタルショッブから借りてきたヒーローやアニメのビデオを来る日も来る日も見ていた


勝手もらうオモチャも、これまたヒーロー番組関係の物だった

合体ロボットや怪獣のソフビ、変身セットなどだ



子供というものはアニメやヒーロー番組が好きなものだが
なかでも秀でてそういうのが好きな子供がいる

だいたいの人はある程度の年齢がくるとアニメなどからは興味をなくして離れていくものだが、いつまでたってもアニメが好きなまま年をとってく人もいる

割りといい年になってもアニメ好きがなおらないと、いわゆる「オタク」と言われる種族に分類される

そして私は見事に、その図式に当てはまった


友達とも遊ばずに毎日家にこもってビデオを見るか怪獣のオモチャで遊ぶ日々を過ごしていれば当然といえよう


私は物心ついたときからの生まれ持ってのオタクなのである

◎生誕〜数年◎ 身体のこと

幼少気の私はあまりにも虚弱だった
生まれつき喘息を持っており、入退院を繰り返してたらしい

喘息といっても症状の度合いは人それぞれであり

毎日薬を飲んでても、ちょっとした刺激で発作を起こす人もいれば

特に薬も飲まず、ごくたまに体調が悪いときに軽い発作がでる人もいる

または、喘息を持っていながらほとんど発作が起きず、喫煙などを問題なく行える人もいる



私の症状の程度はというと、上の下くらいの重度といった所か



私の家系は喘息もちが多く、男はかなりの高確率で喘息を患う

祖父、祖父の息子ふたり(つまり母の兄)、そのふたりの息子(つまり私の従兄弟)が各ひとりづつ

だがどれも軽度であり、幼少期のごく僅かな期間でほぼ完治している

薬の投与や通院などを必要とせず、成人になればタバコを吸える
喘息をわずらってない人となんらかわりない身体状態である


ただ私はそうはいかなかった
毎日薬を飲み続け、それでも治らなかった
ふとしたときに発作が起こり、夜中に病院にいくことが何度もあったらしい

私の母は親類に喘息持ちが多く、看護師だったこともあり喘息の苦しさや危険性を充分理解していた

喘息は最悪の場合、命すらおとしかねない

夫をなくしたった一人の子供が、割りと程度の重い喘息を患ってしまったのだ

このことが、母が私を溺愛することに拍車をかけたのだろう

もともと私の家系は心配性が多く、特に自分の子供に関しては過剰になる

おそらくそのなかでも母は群を抜いて心配性であろう


母は私を心配し外出や運動を制限した


外出に関してはまだ幼いというのもあったのだろうが、一人で外に出た記憶などはほとんどない

団地に公園があり、一回だけそこの砂場で遊んだのは覚えている

が、一人で外で遊んだ記憶はそれのみである

私に友達が出来なかったひとつの要因と思われる

基本的に私は家にいるか、母に連れられないと外にでなかった



運動は全く記憶にない

家から出ないので必然的に身体を動かすことがない


そして今の私の運動神経は壊滅的である

この極度の運動音痴が、思春期の時期に激しい苦悩を与えるのだ


そもそも運動したいとか外に出たいとすら思っていなかったように思える


喘息という持病も、私という人間性を作る大きな鍵となっている

◎生誕〜数年◎ 自分のこと

幼少期の頃を振り返ってみると、今の自分の性格がある程度構築されていたことに気付く


まず私には友達がいない
もしくは友達の記憶がない

それどこれか
保育所の先生やクラスメートなど、関わってきたであろう人々の記憶すら希薄である

保育所にはクラスメートがいて、先生がいて
近所には年が近い女の子と男の子が住んでて…

といった具合にぼんやりと「人」がいたのは覚えている

だがそれ以上のことは何も記憶にない


名前もわからないし、会話を交わしたのかも覚えていない


要するにあまり他人に関心がなかったのであろう


たった二人の友達とその母親は例外として、私はなにをするにも一人だ

保育所では一人でおもちゃで遊び
団地にあった小さい公園では一人で砂遊びをし
家に帰れば大好きな特撮ヒーローやアニメのビデオを見る

家に友達を呼んだことも、友達の家にいったこともない


人見知りする私の性格はこの時から生成されつつある
ただ、このときは「人見知り」な性格ではなかった


何故なら私は「誰か」と関わろうとか、友達になれなくて寂しいといった感情は持ち合わせていない

元来私はあまり多くの人と関わらずとも平気な人種なのだろう

父親がいなくとも寂しくなかったのはこの為であろう



この性格は今も変わらない
必要以上の関わりを持とうとは思わない

自然派生でできた関係ならまだしも、自分からわざわざ関係を増やすなどということはしない

最低限の友好関係で充分と考えている



ただ、幼少の頃あまりにも人と関わらなかったせいで、人間関係が苦手になってしまった

私はあまり人の事を考えない言動をとる
他人に興味がないんだから当然である

それが原因で気を悪くさせたり、自分勝手な人間だと思われてしまうので困っている

そういった相手に対する配慮が、人見知りに拍車をかけているのだ


私は生まれもって人間関係が苦手である
これは恐らく直らないであろう

◎生誕〜数年◎ 友人のこと

私の幼少期の思い出というと、ほとんどが母との思い出である

友人との記憶はほとんどない
というより友人がいなかったのかもしれない



だが唯一私の記憶に残っている友人が二人いる



私の同い年のHと、その弟であるTだ

この二人だけ覚えているのには理由がある

彼らの母と、私の母は古くからの友人で家族ぐるみで付き合ってたからである


私と友人だけの関係性ならば私が忘れた時点で、記憶が呼び戻ることはない

しかし母も覚えてるので私が忘れたとしても、母によって記憶を維持してきたのだ




よく、母に連れられて彼らの家に遊びに行った
当時放送していた戦隊ヒーローのビデオを見たり、ロボットのおもちゃで遊んでいたのを覚えている



私は彼らのがことが大好きだった

彼らの家に連れてってもらうと大喜びだったし、彼らといる時間は非常に楽しかった


しかし、なぜ彼らが好きかと聞かれたらはっきりいって理由はわからない

確定的に「ここが好き」という理由がないのだ

子供の時から友達でいる「理由」を考えてた人など稀だとはおもうが

だが、好きだと言い切るにはなにかしらの理由は必要だろう



考えたところ、答えは出た

私には彼ら以外に遊ぶ友達がいないからである


人間関係が多ければ、関係に順位というものができるであろう

しかし、私の場合は順位をつける程の数の人間関係を築いてなかった

なので、他人と比べて好き、嫌いという概念がない


冷めたいいかたをするなら
その友人関係事態も親がつくったものである

私の母と彼らの母が友人でなければ
友人でも頻繁に交流がなければ
交流があったとしても親同士のみの関係ならば、私は自ら望んで彼らの友人にはならなかったであろう

もし、親同士の関係が一切ない

たとえば、保育所のクラスメートや近所の人ならば絶対に友達にはなってなかった


しかし理由やプロセスはどうあれ、彼らが友人であり
私が彼らのことを大好きなことにかわりはない


私の幼少時代の唯一の友人たちだからだ
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