幼少気の私はあまりにも虚弱だった
生まれつき喘息を持っており、入退院を繰り返してたらしい
喘息といっても症状の度合いは人それぞれであり
毎日薬を飲んでても、ちょっとした刺激で発作を起こす人もいれば
特に薬も飲まず、ごくたまに体調が悪いときに軽い発作がでる人もいる
または、喘息を持っていながらほとんど発作が起きず、喫煙などを問題なく行える人もいる
私の症状の程度はというと、上の下くらいの重度といった所か
私の家系は喘息もちが多く、男はかなりの高確率で喘息を患う
祖父、祖父の息子ふたり(つまり母の兄)、そのふたりの息子(つまり私の従兄弟)が各ひとりづつ
だがどれも軽度であり、幼少期のごく僅かな期間でほぼ完治している
薬の投与や通院などを必要とせず、成人になればタバコを吸える
喘息をわずらってない人となんらかわりない身体状態である
ただ私はそうはいかなかった
毎日薬を飲み続け、それでも治らなかった
ふとしたときに発作が起こり、夜中に病院にいくことが何度もあったらしい
私の母は親類に喘息持ちが多く、看護師だったこともあり喘息の苦しさや危険性を充分理解していた
喘息は最悪の場合、命すらおとしかねない
夫をなくしたった一人の子供が、割りと程度の重い喘息を患ってしまったのだ
このことが、母が私を溺愛することに拍車をかけたのだろう
もともと私の家系は心配性が多く、特に自分の子供に関しては過剰になる
おそらくそのなかでも母は群を抜いて心配性であろう
母は私を心配し外出や運動を制限した
外出に関してはまだ幼いというのもあったのだろうが、一人で外に出た記憶などはほとんどない
団地に公園があり、一回だけそこの砂場で遊んだのは覚えている
が、一人で外で遊んだ記憶はそれのみである
私に友達が出来なかったひとつの要因と思われる
基本的に私は家にいるか、母に連れられないと外にでなかった
運動は全く記憶にない
家から出ないので必然的に身体を動かすことがない
そして今の私の運動神経は壊滅的である
この極度の運動音痴が、思春期の時期に激しい苦悩を与えるのだ
そもそも運動したいとか外に出たいとすら思っていなかったように思える
喘息という持病も、私という人間性を作る大きな鍵となっている