どうも、神楽です。
悲しみに暮れているだけではいけないと思い、久々に更新します。
今月、10日にとある人が亡くなりました。
知らされたのは2日後のことでした。
血の繋がりはないけれど、私にとっては家族で、父親でもあった人。
突然死だったそうです。
誰にも気付かれず、苦しんで死んだそうです。
発見されたときは、座ったまま硬くなっていたそうです。
早朝に実家からの電話で何かあったと、すぐにわかったのですが、死の知らせだなんて思いもしませんでした。
母親は、小さな子供のように声を上げて泣いていて、かけてあげる言葉が見つからなかった。
私は、帰ることもできず、いつも通り仕事に行きました。
涙も出ないなんて、自分はどれだけ冷たい人間なんだと本気で思った。
現場を見ていないのに、死んだおじさんの姿が容易に想像できる。
どんな顔だったか、どんな姿だったか、まるでそこにいたかのようにリアルに頭に焼き付いているのに、そんな情景が頭の中にあっても悲しいとか、辛いとかそんな感情もわかなかった。
人間として終わってるって、本気で自分が嫌になりました。
だけど、違ったんだよね。
死んだなんて思えなかった。
死ぬわけないって、悪い冗談だって。
明日には、嘘だよって電話がかかってくるんじゃないかって、そんなことを心の隅で思ってた。
仕事から帰ってきて、一人になったとき、気づいたら号泣してた。
嗚咽が止まらないくらいに。
そのとき、やっと私が現実を受け入れたときだったんだと思った。
今は気持ちも落ち着いて、普段通りの生活を送ってるけど、まだ少しだけ時間が必要みたいだ。
口うるさくて、酒ばっか飲んでケンカもいっぱいしたし、嫌だなって思うこともいっぱいあった。
でも、私とした約束は一度も破ったことなんてなかった。
いつも、なんだかんだ言って私の味方でいてくれた。
どんなときも心配してくれて、私は本当にこの人にたくさんの愛情をもらって育ったんだとつくづく思う。
今はまだないけど、四十九日がくる前までに、私に会いに来てくれないかなと思う。
もしかしたら、今もそばにいて私のこと見てるのかなって思うときもある。
お葬式に出なかったこと怒ってるかな?
だらしない男と一緒にいること呆れてるかな?
とか、思ったりしてます。
でも、いつまでも悲しい気持ちを引きずっていてはいけないんだよね。
嫌でも、この命が尽きるときまで、これからもこんな出来事がいくつもあるんだろうし。
きっと、呑気でおしゃべりでよく食べる私のこと、おじさんは好きだったと思うから、出来るだけ笑って暮らそうと思う。
おじさん、ありがとう。
私が甘ったれでわがまま娘になってしまったのは、確実におじさんのせいだよ(笑)
色んなことがあったけど、私はおじさんの娘として育って幸せでした。
これからも、どこかで見守っていてね。
安らかにお眠りください。