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やば

カラダじゅーがイタイ
どしよ

でもバイクはあきらめないけど

バイク

こけた。。。

うた

世界の終わりを待っているのだけれど、
なかなかやってこない

みもふたもない

「世間の人が友愛と呼びなすものは、ただの社交、欲得のかけ合いかけひき、親切のとりかえっこにすぎない。結局、自愛が常に何かの得をしようとしている一種の取引にすぎない」


ラ・ロッシュフコオ

授業中

少年期の特長は残酷さです。
どんなにセンチメンタルにみえる少年にも、植物的な残酷さが備わっている。
少女も残酷です。
やさしさというものは、大人のずるさと一緒にしか成長しないものです。

三島由紀夫
「不道徳教室」 



理解されようとのぞむのは弱さです。



女はあやふやなものに敏感です。
あやふやなものを嗅ぎつけると、すぐバカにしてかかります。
経済的主権のあやふやな、現代の大多数の若い男性は、同時に、その性的主権もあやふやなものと見られつつある。
これこそは男性の危機なのである。



私の月並みな教訓は、一生大した収入ももてそうもない青年は、経済力のある稼ぎ手の女性と結婚して、せめて自分の性的主権を、男性的威厳を確保すべきだ、ということです。



お節介は人生の衛生術の一つです。
我々は時々、人の思惑などかまわず、これを行吏する必要がある。
会社の上役は下僚に色々と忠告を与え、与えられた方は学校の後輩に色々と忠告を与えます。
子供でさえ、よく犬や猫に念入りに忠告しています。
全然無駄事で、何の足しにもならないが、お節介焼きには、一つの長所があって、「人をいやがらせて、自ら楽しむ」事ができ、しかも万古不易の正義感に乗っかって、それを安全に行吏することができるのです。
人をいつもいやがらせて、自分は少しも傷つかないという人の人生は永遠にバラ色です。
なぜならお節介や忠告は、もっとも不道徳な快楽の一つだからです。




でも夫婦というものがウソを付き合いながらも何とか楽しくやっていくように、大人の友愛なるものも、右の如き前提の下に、特殊の親しみも生れ、なつかしさも生れ、憎からぬ気持ちも生れ、空気みたいな気易さも生れる。
そんなわけで、この世の中も、どうやら地獄にならずにすんでいる。



人間の、少なくとも男の精神的成長は、自分の一時期一時期の友人を裏切ることによって、行われると言っても過言ではない。



裏切りは友情の薬味であって、これはコショウかワサビみたいなものであり、裏切りの要素もその危険も伏在しない友情など、味がないと思うようになる時、諸君はまず、青年のセンチメンタリズムを脱却した、一人前の大人になったと言えましょう。



どんなに強者と見える人にも、人間である以上弱点があって、そこをつっつけば、もろくぶっ倒れるものですが、私がここで「弱い者」というのは、むしろ弱さをすっかり表に出して、弱さを売りものにしている人間のことです。





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