魔術が存在するこの世界では、"ありえない"ことなどありえない。
それは、重々承知していた。
そもそも、あまり物事に驚く方でもない。
というか、おおよその驚きは自分自身が天使の子であることなどに比べれば、些細なことである。
しかし、流石に驚くだろう。
目が覚めたら、自分の容姿がすっかり別人に変わってしまっていたら。
***
胸が重たい。
目を覚ました男装騎士……フィアが真っ先に思ったのは、そんな感想だった。
普段はさらしで潰しているとはいえ、フィア自身もそれなりにスタイルは良い方である。
しかし、それとは何だか違うのだ。
と、いうか……そもそも何だか、体の感覚自体が違う。
そんな違和感で、フィアは目を覚ました。
「ん……ん?」
目を開けて、辺りを見渡して、一瞬呆然とする。
その目に映ったのは、見慣れた自分の部屋ではなく、何処か小奇麗な……言うなら、客人を泊めるためのゲストルームのような。
それに驚いて、固まる。
何故こんな所で寝ているのか。
昨日は、いつも通りに自室で眠ったはず。
確かにゲストルームに入りはしたが、それは城に遊びに来た(※無許可で)ロゼを部屋に送り届けるため、で。
「……え」
改めて、視線を下に向けて、固まる。
フィアはいつも、制服の下に着ている黒いタンクトップと部屋用のスラックスを履いて眠っている。
しかし今目に映るのはどう見ても……ネグリジェである。
「っ!?何だ、これ!」
そう声をあげて、気づく。
自分の声ではない。
普段意識して低い声を出しているのを差し引いても、今の声は自分の声より相当高い、女性の声だった。
見たくない。
けれどもここまで来れば大よその推測はついて、フィアはベッドから飛び起きた。
そして部屋に備え付けている姿見の前に立つ。
そこに映ったのは見慣れた自分の姿ではなく、けれども確かに見慣れた、"女性"の姿だった。
長い桜色の髪に、自身のパートナーによく似た色白な肌、そして愛らしい桜色の瞳……
それは紛れもなく、昨夜自分がこの部屋に送り届けた女性、ロゼの姿だった。
***
流石にネグリジェのまま部屋を飛び出すわけにはいかない。
けれども実際相当焦って着替えたフィアは、慌てて"自室"に向かった。
恐らく、この仮定が当たっていれば……そう思いながら部屋の戸を開ける。
「ロゼ様!」
「あ、ふぃーちゃんだ!」
当たっていてほしくはなかったが、案の定。
部屋の中にいた"自分"の体はにこりと、普段自分が絶対浮かべない笑みを浮かべた。
声は自分自身のそれなのに表情や話し方がロゼのそれだ。
正直とっても違和感である。
「目が覚めたらね、知らない部屋で、鏡見たらふぃーちゃんだったの」
にこにこしながら、ロゼは言う。
彼女はあまり動揺していないらしい。
それどころか、この状況を酷く楽しんでいる風である。
ほらー!と見せる彼女はまだ部屋着……基タンクトップ姿のままで、正直いたたまれない。
フィアは自分のクローゼットから自分の制服の上着を出して、彼女にかけた。
タンクトップで寝るのはやめよう。
少なくとも人が来る時にはちゃんと上着を着よう。
フィアはそう誓う。
「わー、騎士の制服だぁ!でもせっかくだし、ロゼちゃんのお部屋いっていい?」
いっぱいお洋服持ってきたの!と彼女は笑う。
それは、フィアも知っている。
というか、失礼を承知で彼女の荷物を開けて今のこの服を着ているのだ。
それ以外に入っていた大量の衣服を見てみぬふりは出来なかった。
「それは……」
「可愛いお洋服着よー!」
そんな言葉と同時、上着を体に引っ掛けただけの状態で部屋を飛び出そうとするロゼ。
フィアは自分の体なのだからといいきかせ、半ば強引にその腕を掴んで止めた。
「後生ですから!ちゃんと服を着てください!」
さらしを巻けというのは酷だろうが、でも、騎士団の中には自分(フィア)が女性と知らない者もいる。
その状況はなんとしても、維持したい。
だからこのまま彼女を外に出すわけには勿論いかないし、ロゼの荷物に入っていた可愛らしい衣装を着て出歩くなんて以ての外だ。
……しかも中身がロゼとなれば、相当可愛らしいことになるに決まっているし、その姿を見た周囲の反応が恐ろしい。
しかしロゼとしては不服らしい。
ぶーと子供のように唇を尖らせて、声をあげる。
「えー、折角可愛いふぃーちゃんの姿になってるのにもったいないよぅ」
可愛い恰好したい!
そう声をあげるロゼ。
フィアはそれを聞いて顔を真っ赤にしながら悲鳴じみた声をあげた。
「もったいなくありません、俺なんかを着飾ったって仕方ありません!!!」
「もったいないよぉ、こんなにおっぱいもおっきいのに!」
「ロゼ様っ!」
あぁ自分は何かしただろうか。
相手に悪気が一切ないのがいよいよたちが悪い。
叱り飛ばす事など出来るはずもないし、かといって自分の体で好き勝手にされるのは全力で困る。
とりあえず、早急にこの事態を収束させなくては。
それでないと、羞恥心で死ぬ気がする。
フィアはそう思いながら深深と溜息を吐き出したのだった。
―― 男装騎士の受難 ――
(俺が一体何をした?
そんな叫びをあげたくなる俺はきっと何も悪くない)