どうしてこんなことになった。
そう思いながら、黒髪の少年はじっと、部屋の主である金髪の青年の背中を見つめた。
それはもう、見つめ過ぎて穴が開くのではないかと思うほどに。
此処はディアロ城騎士団参謀部隊部隊長、アンバー・コリルクの部屋だ。
そこにいる黒髪の少年はかつて影猫と名乗った組織の一員であった操り人形の一人。
因縁の相手、ともいえるアンバーの部屋にいるのは酷く不思議な事だった。
遡ること、十分。
この城に遊びにきていた彼を、アンバーの方から呼び止めたのだ。
―― お茶でも、どうかな。
そんな、控えめな言葉で。
勿論、警戒した。
"彼"はどうか知らないが、ロシャとしては眼前にいる青年は憎しみの対象……生まれ落ちた理由で。
そんな彼に誘われたところで素直に頷けるはずがなかった。
……無かった、はずだった。
それなのに。
少し抱け悩む間をとった後、ロシャは小さく頷いていたのだ。
どうしてだよ、と自分自身に問いたい。
だって事実、今も酷く居心地が悪い。
悪い、どころの話ではない。
こうして座って待っていることだって気まずい位なのだ。
よって、こうしてアンバーの背を見つめ続けているのである。
彼は、一体何を思って自分を呼んだのだろう。
この部屋に来てから……否、彼に誘われてからずっと考え始めたことを再び、脳内に持ってくる。
しかしいくら思案しても、答えは出てこなかった。
「紅茶で良い?」
「いいよ、なんでも」
ぶっきらぼうに、返事を返す。
一度ふり向いた琥珀の瞳の持ち主は、小さく笑って"わかった"と返した。
ほぅ、と一つ息を吐く。
何で、彼と言葉を交わす度にこんなにも緊張しなければならないんだ、と何処にぶつけたら良いのかもわからない感情を持て余しながら。
アンバー・コリルク。
ロシャの前世の姿……ハク・コリルクの実兄であり、現在この騎士団の一部隊長を務める青年だ。
性格は酷く剽軽であり、悪戯好き。
仕事嫌いという訳ではないらしいのだが、仕事以外に楽しいことがあるとそっちを優先する癖があり、部下が振り回されている様子をよく見かける。
或いは、変な薬や魔術を作っては仲間たちに押しつけ、怒られていることも。
けれども、ロシャはよく知っている。
その青年が抱える闇を。
未だによく教会にいっていること。
信心深い騎士が決して多くはないこの騎士団で(騎士なのに信心が薄いというのも珍しい話なのかもしれない)数少ない存在だ。
時折、城のはずれにある小さな教会に赴いては、何分か、何十分か……そこにひざまずいていることがある。
泣くでもなく、笑うでもなく、言葉を紡ぐでもなく……熱心に何かを祈っている様を、よく見かけた。
―― ……って。
何で僕がこんなに彼奴のことを気にかけているんだよ。
そう脳内で呟いて、眉を寄せる。
これではまるで"大嫌いな"彼のことを心配でもしている可のようではないか。
「甘いものは好き?クッキーくらいしかないけど」
そういいながら彼は、トレーに乗せたティーカップとポット、クッキーの乗った皿を持って帰ってきた。
それをローテーブルに置きながら、微笑む。
ロシャは訝し気にそんな彼の手元を見た。
彼の思考を読み取ったのか、アンバーはくすくすと愉快そうに笑って、"何も入れてないよ、大丈夫だから"といいながらクッキーを一枚無造作に取って齧った。
思考を読まれたのが決まり悪くて、ロシャは眉を寄せる。
そして彼が持ってきたクッキーを一枚手に取って、いった。
「……別にそういうの疑ったわけじゃないし。
っていうかそんなことしたら今度こそ殺してやるから」
ふん、と鼻を鳴らしながら、ロシャはクッキーを齧る。
ほろりと崩れるクッキーは甘く、ふわりとバターの香りがした。
「ふふ、そうだね」
そういいながら、アンバーは紅茶のカップに口を付けた。
何処か満足げに、嬉しそうに微笑みながら。
ロシャはそんな彼を観察するように見つめた。
時折目が合うと、彼は嬉しそうに笑う。
その度ロシャはぷいとそっぽを向いたのだけれど。
お茶会、というには酷く無機質で気まずい空気。
どちらかが口を開くこともなく、静かにクッキーを齧り、お茶を啜る。
そんな時間だった。
「……何で」
「ん?」
不意にロシャが口を開いた。
アンバーは顔を上げ、琥珀の瞳でロシャを見た。
不思議そうに首を傾げている彼を見つめ、ロシャはいった。
「どうして僕を誘ったの」
楽しくも何ともないでしょ。
吐き捨てるようにそういう彼。
それを聞いて、アンバーはゆっくりと瞬きをする。
それから穏やかに表情を綻ばせて、いった。
「君と、話をしたかったから」
「……僕と?アンタが話したかったのはアンタの弟じゃないの」
ふん、とロシャは鼻を鳴らす。
そっぽを向く彼を見て、アンバーは苦笑を漏らした。
"そんなつもりはないんだけどなぁ"と呟きながら、彼はカップに唇をつけた。
暫しの、間。
そののち、彼は視線を上げた。
琥珀色の瞳。
"彼"とよく似た、瞳。
……自分の本当の瞳と同じ色の、瞳。
「ある一つの船があってさ」
「船ぇ?」
あまりに唐突な発言にロシャは気の抜けた声を漏らす。
アンバーはうん、と頷きながら言葉を続けた。
「その船が何処か壊れたら、少しずつ補修していくでしょう?」
「……そうだね」
「色んなパーツを取り換えて、直していくよね?
……全部のパーツを取り換えた時さ、その船は元の船と同じだと思うかい?」
アンバーはロシャにそう問いかける。
ロシャはすぅと目を細めて、いった。
「……それ、有名な矛盾(パラドックス)だよね」
「あ、知ってたか」
そういって苦笑を漏らす、アンバー。
ロシャはこくりと頷いて、いった。
「本読んでたからね」
家で一人でいた時から、という言葉は飲み込んだ。
これは、告げる必要がない。
そう思いながら。
実際のところ、"ハクであった頃"の記憶はある。
勤勉だった彼の記憶があるために、恐らくロシャは普通の、彼の年代の子供より頭が良いだろうと、自負していた。
アンバーはなるほどね、というように頷く。
そして、首を傾げる。
「そう、矛盾なんだけど……
君はどう思う?ロシャ」
アンバーにそう問われて、ロシャは眉を寄せる。
そして少し考え込むような顔をした後、顔を上げた。
「……それさ、僕に重ねていってる?」
静かな声で、そう問いかける。
アンバーは目を大きく見開く。
それを見つめながら、ロシャはいった。
「僕は"ハク"というベースに色々なものを添加した……アンタの言うとこの、色々継ぎ足してなおした船だ。
……それを、彼(ハク)と思うか否か、というそんな話だろ、アンタが言いたいのは」
そんな彼の言葉に、アンバーは一瞬目を見開いた後、ふうと息を吐き出した。
"隠しごとは出来ないな"と呟くように言い、彼は言葉を紡いだ。
「そう……君はハクか否か……僕はずっと、気になってたんだ。
だから、君とこうしてお茶をして、色々見て見たかった。
……ごめんね、試すようなことして」
すまなそうに彼はいう。
ロシャはそれを聞いて少し眉を寄せてから、"別に"といった。
「それで?検査の結果はどうだったの科学者(ドクター)?」
からかうようにそういうと、アンバーは小さく笑った。
それから、いう。
「君は、確かにハクだけど、ハクじゃない」
「……何それ」
答えになっていない答えにロシャは眉を寄せる。
アンバーは目を伏せて、呟くように言った。
「甘いものが好きなのも、知識が豊富なのも確かにハクと同じだ。
けれど……君の心はきっと、ハクとは違う。
だから……君は君……ロシャなんだな、って」
そういって微笑む、アンバー。
そのまま彼はすっと手を差し出した。
剣を握ることも殆ど無いからだろう、彼の手は柔らかそうで。
急に差し出されたそれにロシャは訝し気な顔をする。
アンバーは彼を見つめて、いった。
「同一視は、しないよ。だからね……僕と、友達になってくれないかな」
「……は」
思わず、声を漏らす。
大きく漆黒の瞳を見開くロシャ。
アンバーはそれを見て、"駄目かな"といいつつ首を傾げる。
駄目も何も。
いきなり何を思ったんだこの人は。
そんな言葉が頭をよぎったが……
「……ばかじゃないの」
呟くように漏れ出た声は、まるで子供のようなそれ。
アンバーは"そうだね"といいながらも手を引っ込めようとはしない。
「僕はハクの兄だけど、君の兄ではないから……だから、友達になろうかなってさ」
そうしたらまたこうして一緒にお茶も出来るでしょう。
そういって微笑むアンバーは、おだやかに微笑んでいた。
―― あぁ、まったくこの人は。
本当に、馬鹿なのかな。
そう思っているのに、気が付いたら彼の手を取っていた。
「……美味しいものは好きだからね」
別にアンタと友達になりたい訳じゃなくて。
そういい訳めかして呟くが、アンバーは嬉しそうに笑っている。
「ふふ、また美味しいお茶とお菓子を用意しておくね」
そういう彼は慈しむような表情を浮かべているけれど、それは弟を見る表情ではない。
きっとそれに……絆されたのだろう。
そう思いながらロシャはもう一枚、クッキーを口に運んだ。
甘いそれは、よく覚えがある。
幼い頃によく、彼が作ってくれたものだ。
懐かしい、という想いはきっと、ロシャの中に眠る"彼"が抱いたものだろう。
そう思いながらロシャはそっと、自分の胸に手を当てたのだった。
―― He is… ――
(彼は確かに僕の弟"だった"けれど。
今の彼はきっと、"あの子"ではないんだろうから)
(僕は確かに彼だけれど、彼ではないから。
けれども僕は…決して"彼"を否定はしない)