拝啓、今頃は海外の高い空の下、考古学者の卵たちに基礎を叩き込んでいるであろうジジイへ。
電車の中、隣に座る恋人が、キラキラとした目で、目の前に座る男子中学生たちを見ています。
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「ねぇねぇ!!ラビ!!あの子たち、見ましたか!!」
恋人、アレンが、これまで溜まっていたものを吐き出すかのように、俺の背中をバンバンと叩いてきた。目はキラキラとしてるし、頬も少し赤い。興奮している証拠だ。めったに見ない表情に俺は、内心がっくりと肩を落とす。
何故って、俺が喜ばせたわけではなく、目の前にいた野郎を、そう、俺が隣にいるにもかかわらず、野郎を見て喜んだからだ。
「可愛かったなぁ〜」
今は、誰も座っていない電車の座席を見ながらアレンがまた言った。アレンの言っている『あの子たち』はすでに前の駅で降りた後なのだ。
「同じイヤホンで音楽聞いてさ〜、あんなことするんですね〜」
「……うん」
「iPod一緒に覗いてる時も凄く顔が近かったし!!」
「……うん」
「これから発展するのかなぁ〜」
「……」
誰の何が、どう発展するんさ!!
と、突っ込みたい気持ちを何とか抑える。相手は男同士じゃないか。意味が分からない、とつい眉間を抑えたくなる衝動が走る。
「これ、置き換えたらきっと萌えますよね!!リナリーに報告しなきゃ!!」
置き換える、うん、置き換えるね、二次元ね。
ため息をつきそうになりながら、アレンの言葉の抜けたセリフを自己修復する。
なんの漫画だったっけ、アニメだったかな?そこまでは覚えてないや。
もうお気付きのように、アレンは俗にいう、『腐女子』というものだ。
端的にいえば、BL好き、らしい。デートに出掛けると、時たま…いや、時々…いや、一日に一回以上はこうやって妄想を繰り広げる。
俺としてはアレンの言っていることを理解してやりたいところだが、全くをもって不可能だ。本当に無理。だって意味が分からない。別に同性愛を否定するわけではないが、ただの友達関係ですら、まぁ、あれだ、ホモに見えるらしい。彼女の脳内構造の一部はブラックボックスだ。アンノウン。解明不能。
だから、生返事をするしかできないのが精いっぱいな現状。
これでも頑張っているのだから、理解してほしい。
ちらりと隣を盗み見れば、アレンは携帯をいじっていた。先ほど見た「萌える」光景をリナリーに報告しているようだ。
因みに、リナリーという、アレンと俺の共通の友人が、見事にアレンを地下帝国へと誘ってくれたわけなのだが、さりげなく文句を言った瞬間、『大丈夫よ、アレン君、まだ入り口に立っているだけだもの』と返された。これで入り口ということは、その下にある帝国はどれだけでかいのか、或いは深いのか…。知りたいような知りたくないような………いや、一般人は足を踏み込んではいけない世界だ、うん。
「アレンって…ホント好きさよな…」
「だって楽しくないですか?目の前の光景を好きなキャラで変換したりして、仲いいのかな〜とか、こんなくだらないことでも喧嘩しちゃうのかなぁ〜、とか妄想するの!!」
「…いやぁ、俺、あんま漫画読まないし」
「ラビっていっつも難しい本読んでますもんね」
「いや、難しくはないさ。字が多いだけで」
「この前、変な本読んでませんでした?」
メールを打ち終わったのだろう、アレンが俺のほうを、首をかしげながら見てきた。
うん、文句なしに可愛い。
「変な本って…一応、あれ、直木賞取った本さよ」
「なんか難しそうでした」
「まぁ…難しいっていうよりも、独りよがりなところあって読みにくかったかなぁ」
「へ〜、でも登場人物に感情移入しちゃって、もしも〜、なんて妄想しませんか?」
「俺、しにくい性質なの」
「つまんなくない?」
「だから小説はあんまり読まないさ」
「それで余計難しい本読んじゃうんだ。この前、グラフばっかの本、読んでたでしょ」
いや、アレンの言う『難しい本』ばかりが部屋にあるわけではない。まぁ、健全な男ならば一冊くらい持っていてもおかしくないような本、とか、きちんと部屋にある。ばれないように隠してはあるが。
「あぁ、あれは雑誌さ。経済の」
「……経済…」
「うん、意外に面白いさよ」
「なんかラビってさ」
「うん?」
「中身と外見、あってませんよね」
神妙な面持ちでアレンが言う。
「は?」
「髪の毛は派手だし」
と言いながら俺の髪をいじってくるアレン。
「これは生まれつき」
「ピアスなんてしてるし」
今度は耳。くすぐったいなんてこと顔に出してやるものか。
「ファッション」
「服もちゃんとしてるでしょ」
「今、デート中だって知ってる、お姉さん」
「あ、この匂い好きー」
今日つけていたコロンの香りに気付いたのか、アレンが顔を近づけてきてクンクンと香りを嗅いできた。
うん、近いから。なんでこの子はこんなにも無防備なんでしょうね。胸、当たってますよ。
つかね、はす向かい座っている怖い顔したおじさんが、渋い顔して睨んできてるの知ってる?はしたないって顔してるんですよ。あのね、この状況ね、俗にいうバカップルなのですよ?
「普通はこんな恰好してたら、チャラチャラのチャラ男ですよ。」
「何回チャラって言うんさ」
「DQNっていうの?」
「はい?」
「やっぱさ、勉強できるならできるなりの恰好しなきゃややこしいですよ」
「できるなりって……こういうの嫌いなんさ?」
「んーん、ラビがしてる分には好きですよ。だってかっこいいもん」
「……」
この子は時々、照れもせずにこういうことが言えるのだから恐ろしい。多分、自覚してないんだろうな。
アレンはというと、俺の理性をぶち壊してくれそうなことをさらりと言ったことにも気付かず、うーん、と頭を悩ませている。
「だけどなぁ、なんっていうのかなぁ〜」
「……」
頭の整理がつかない様子のアレンから視線を外しあたりを見渡せば、不意に一人のサラリーマンが目に付いた。営業中なのだろうか、タッチパネル式の携帯をいじって何やら忙しそうだ。
「例えば…スーツ、とか?」
「え?」
「スーツとか真面目そうに見えるんじゃね?」
「スーツか!!」
きらり、とアレンが目を輝かせた。
そういえば、スーツは軍服に並ぶ萌えアイテムなんですよ!と語っていた時があったような…。なんか変なスイッチ押したかも。
「ラビにスーツかぁ…」
まじまじとアレンが俺を見てくる。照れるんですけど。
「ん〜………チャラい!!」
「…はい?」
「なんか…ホストみたいになりそう!!」
「…はい?」
「君、かわうぃ〜ねぇ〜とか言っちゃいそう!!」
「……」
怒るぞ
「なんか想像できないしなぁ〜」
「いや、着るときは着るさよ」
「大学の入学式だっけ?けど、それ以来着てないですよね?」
「…まぁ、そうだけど…」
確かに最後にスーツを着たのは、去年の大学の入学式だっただろうか。アレンは学校があったから入学式には来られず、写真を見せたくらいだったが特に興味は示していなかった。
「なんかスーツに着られてる、って感じだったもの」
「え!?そうだったんさ!!??」
「うん」
「えー…まじかよ…」
「そうだなぁ…」
そういいながらなぜかアレンはあたりをきょろきょろと見渡す。と、
「あ!!あの人!!あんな感じがいいんです!!」
「え?」
「ほら、あの入口の所に立ってるスーツの若い人」
「……」
これだ、これが一番イライラするんだ。
アレンが指差したのは、年若い、恐らく20代後半あたりのサラリーマン。もちろん、男。
「あんな風にキチッと着なきゃ!!それにやっぱり似合ってなきゃね!!着られるんじゃなくて、着てるの!!かっこいいなぁ、あぁいう細身のスーツのほうがいいですよね、やっぱり。スラッとした感じが出て。いいなぁ、大人の人って感じで」
「……」
なんでこんなにも簡単にほかの男を褒められるんだ。しかも彼氏に向かって。
あ、キレる、あともうちょいでキレる。
「あの子に着せたいなぁ」
「……」
コントならば、ずるっとずっこけただろう。
あの子って、そりゃもちろん、アレンがお熱の2次元の子ですよ。
「…は?」
「やっぱ着せるなら、あぁいうスーツですよねぇ〜」
やっぱりブラックボックスだ。
いつの間に話がすり替わったのだろうか。
しかし、サラリーマンをじっと見るアレンには、恐らく彼自身は映っておらず、どういうわけか、顔は2次元、体は3次元という不思議人間が映っているのだろう。不気味じゃないのか?
毒気の抜かれた俺は、アレンの頭に腕を回して、彼女の視界を遮る。
「あんま見ないの」
「はーい」
失礼になると思ったのだろう、アレンはあっさりそう返事をした。
失礼?まさか!そんなのはどうだっていい。いくら脳内変換が起こっているといっても、アレンがほかの男を見るだなんて耐えられなかった、ただそれだけだ。
***
正直言うと、アレンにスーツが似合わない、と言われたのが癪に障った。それが本音。
数日後、俺はスーツを着て、アレンのマンションの前に立っていた。注釈しておくが、別にスーツ姿を見せたくて押しかけたわけでも、ストーカーをしているわけでもない。
デートの約束をしていたのに、アレンから一向に連絡がないからだ。大方理由は見当がついているので、とりあえずは怒らないつもりだ。年上だから。
スーツはグレイの細身、ついでにインテリっぽくメガネもかけてやった。髪もいつもより寝かせた。自画自賛するわけではないが、ちゃんと着こなせていると思う。来る途中、何人かお姉さんに声かけられたし。
俺はマンションのエントランスホールにかけられた鏡で自分の姿を確認すると、エレベーターに乗り込んだ。
もらっていた合鍵を使って部屋に入ると、女の子特有の微かに甘い香りがした。変な妄想癖さえなければ普通の女の子なのになぁ、なんて、言ったら…うん…駄目だよな。
玄関から部屋へ。
扉を開ければ、部屋に置かれたベッドの布団が、こんもりと盛り上がっていた。アレンがまた赤ん坊のように丸まって寝ているのだろう。
俺は、床に投げるようにおかれたバッグをまたぐと、ベッドに腰掛ける。
「アレン」
「……」
「アレーン」
「……」
すうすうと寝息が聞こえる。
俺は布団を少しはぐとアレンの寝顔をまじまじと見る。安心しきった寝顔だ。ちょっと開いた口が可愛いわけで。と、まぁ、そんなことを考えるには時間が早い。
「アレンー、起きるさー」
ゆさゆさとアレンを揺らす。
「…ふぇ…?」
「アレン?」
「……ら…び…?」
「起きたさ?」
まだ寝ぼけている様子だが、もう少し声をかければ起きるだろう。
「もう10時すぎてるさよ」
「ぇ…」
「遅刻、ですよ〜」
「…あ…」
アレンの、しょぼしょぼしていた目が大きく開く。目が覚めたかな。
「今度、俺の言うこと一つ聞いてね」
これはアレンとの決まりごとの一つ。
何か約束を破ったら、破ったほうは破られたほうのいうことを一つ聞く。アレンは滅多に約束を破らないから、これはかなり儲けた。
嬉しくて思わずアレンの頭をなでる。多分、ニヤニヤしてたと思う。…うん、仕方ない。
「またリナリーの手伝いさ?アレンももうすぐ受験なんだから、趣味も程々にするさ」
「……」
「朝ごはん作ってやっから顔洗っておいで」
そう言ってまた頭をなでてやると、俺はベッドから立ち上がった。スーツでは動きにくいから、とりあえず脱いでベッドに投げる。料理のレパートリーは少ないから簡単な何かを。パンがあればいいが、卵でも焼こうか。そう考えながらキッチンに向かっていると、不意に視線を感じた。
不思議に思い振り返れば、
「うっ!!」
「?」
ベッドの上に布団の山があった。
正確に表現すれば、起き上がったアレンが持ち上げた布団の陰に隠れている、といったところだろうか。ただ、布団に隠れる寸前、こちらを凝視していたような気がするが。なんだ、一体。
首をかしげながらも、俺はきっちり留めていたワイシャツの袖のボタンを外して、乱暴に腕まくり。
「あ…」
「え?」
小さな声にまた振り返れば、バサッとアレンが布団の陰に隠れた。本当に一体何なんですか、おねーさん。
「……」
「……」
「……」
「……」
「…ぁっ!…」
沈黙に耐えられなかったのか、アレンが一瞬布団の陰から顔を出したが、また隠れた。…かくれんぼか?幼稚園生でもうまく隠れるぞ。
「アレン?」
「な、何でもない!!」
「顔洗えよ」
「うっさい!!」
えー、なんで俺、怒られたのー
ちょっと不満に思いつつも、キッチンに向かいながら、しゅるりとネクタイを緩める。息苦しかったからこの瞬間がありがたい。
「……っぁ!!!!…」
「????」
今度は何とも表現しにくい声だった。ぐえっというかうにゃっというか、そういう感じの声。っていうか、声だったかも怪しい。
「アレン?」
「にゃんでもにゃい!!」
いや、何でもあるだろ。いくらなんでも噛みすぎだ。
「アレン?」
「……」
「?」
アレンはまだ布団に隠れている。もはやクエスチョンしか頭に浮かばない俺は、音をたてないように移動した。アレンの、真横に来るくらいの位置に。
横から見たアレンは、うん、やっぱよく見えない。顔くらいは見えるかと思ったけど予想は大外れ。
(しゃーないか)
「アレン、ほんとどうしたんさ?」
そう言いながら布団を少しはぎ取ってみる。
と、その瞬間見えたのは真っ赤な顔。
「っ!!くんな!!」
はぎ取った布団はものの見事にアレンに奪い返されて、さらに言うとアレンはまた布団をかぶって丸まってしまったわけなのだが、俺にとっちゃあどうでもいい。
あの顔はいったいなんなんだ。あんなに真っ赤にさせて、一体何を見たらあんな顔になる。
…風邪か?
と、一瞬思うが、そんなことはないだろう、とベッドに投げてあったスーツを見つけて気づく。
そういえば、以前、スーツのどこが萌えるかについてアレンが熱弁していなかっただろうか。誰のか知らないけれど、寝転んでネクタイを緩める野郎の首元の写真――もちろん怒って削除させたけど――を見せてきてこなかっただろうか。
(ははーん…なるほどねぇ〜…)
合点がいった俺は床に落としていたネクタイを拾うと、にやにやしながらまたベッドに座った。そして、手に持っていたネクタイをわざわざ付け直す。
「アレン?どうしたんさ?」
声が笑っていた。本当はうまく隠して心配するふりをするつもりだったけど、無理だったようだ。
「なんでもないっ!!」
「え〜、顔真っ赤だったけど」
「っ…!!」
「風邪さ?」
「そ、そうっ!!だからあっち行って!!」
「それは大変さ、熱はかってあげるさ」
布団を少しめくる。
うん、やっぱり真っ赤。
アレンがこっちを大きな目で見て、かと思ったら、キョロキョロと視線をさまよわせ始めた。完全にテンパってる証拠だ。そんなアレンをよそに、俺はアレンの額と自分の額をくっつける。
「ん〜…熱はない、かな」
本当は熱い、ほっぺが。
「…び…」
「ん〜?」
「……やめて、よ…」
「何を?」
「……な、に、って…」
「…アレン、好きだろ、こーゆーの」
アレンに覆いかぶさるような体勢のまま、ネクタイをゆっくり緩める。
「うっ…にゅ!!!」
「好きって、言ってごらん」
「…いや、あの…その…」
「ん?」
前はあんなに萌えるって語ってたのにね、目の前にしたら焦っちゃうの?なんて意地悪なことを言いそうになるのを抑える。
だって、アレンは今、二次元を見ているわけでも、三次元を二次元に変換しているわけでもなく、ただ、俺を、俺だけを見てくれているんだから。証拠に、あの饒舌な口がまともな声も発しない。
「ホント可愛いさぁ〜」
俺は満面の笑みを浮かべると、パクパク震える小さな口を塞いだ。
たまにはこういうイジワルもいいよね。
浮気防止に。
俺、ホントは二次元にも嫉妬しちゃう性質だから。
ごめん(^p^)