鳥は自由に空を舞う反面、置かれる状況や常に振り回されますよね。
時に囲われ、時に放たれ、人に懐かず弱さを見せず、でも偶に媚びたりして、めっちゃ強かに生きてる。
しかし囲われたら自らその籠から出ることは叶わない。
だから生き抜くために己が望まなくても唄う。
そんな鳥。
木はひととこに留まる事ができない鳥が安心して羽を休めることが出来る唯一の場所。
広げた大きな枝は鳥を迎え入れる揺りかご。
しかし己が鳥を呼べるわけもなく、鳥が止まってくれるのをただただ待つ。
ひたすら鳥を想いそこに存在している。
せめて己のそばに居る間だけは、疲れた体も心も休めて欲しいと願っている。
そんな木。
木は動けないけれどたまに鳥が来てくれるから寂しくないし、鳥もその木が自分を待ってくれていることを知っているから、どんなことがあろうとまたいつかは必ずそこに帰る。
ええ、佐小太の話です。
どっちが鳥でどっちが止まり木かはご想像にお任せます。
実のところ私の中では決まってなくて、互いがそういう関係であればいいなぁ、なんて思ってます。
風魔さんは伝説の性質と公式絵の都合上どうしても籠の鳥的イメージ強いけど、佐助だって考え方変えれば上田と武田に囲われてんだものね。
そうあるように育ってきたから互いに不自由に考えてないだろうし忍びにとっては当たり前なんだろうけど、そういう人たちだからこそ、一度何かに執着したら凄いと思うのですよね。
仕事優先で自分の命も物と割り切る人たちが、主以上に譲れないものを持ってしまったらどうなるか。
お互い相入れないと嘆くか、それともそんな立場でも出会えたことを喜ぶか。
今まではかなり前者に近い考えで、私自信が佐小太が幸せになれないと嘆いてたんですけど、考えてみると、想い思われて互いの心を知って生きているというのは、政略結婚等憚る戦国の世ではとてつもなく奇跡なことなんじゃないかと。
相手を好きだと思える、それを自由に相手に伝えられる今の世なら普通で当たり前のことが当たり前じゃなかった時代に、両想いって奇跡じゃないかと。
毎日会えなくても相手のこと想うだけで幸せだということ、心が繋がってるということは凄く幸せなんですよね…!
うちの佐小太はこんな感じです。
ていうか、話変わりますが私3やってないし宴も他人がプレイしてるの見ただけなんだけど、3以降佐助は自分は道具であるとひたすら病気の勢いで呟いてますね。
佐助になにがあったの。
風魔さんはそんな佐助に心痛めてればいいよ(母)
切欠はテレビに流れる桜の名所特集だった。
ある地名が耳に飛び込んだ瞬間、佐助の心臓は跳ね上がった。
ーー小田原。
行った事もないのに映し出された桜景色が酷く懐かしく、胸が痛む。
その理由が分からないまま、まるで桜に呼ばれたように佐助は電車に揺られていた。
/縁 #同題ssBSR
佐小太転生ネタ。
コッソリ打ち続けてる小太郎さんを号泣させたいだけのお話の最初あたり(多分)
風魔と佐助へのお題:だれかこの壁をこわして/(ようやく会える)/ねえ、熱が伝わる場所、教えて
風魔と佐助へのお題:ばかみたいに欲張りになってた/「しっぽ、みえてるよ」/ときどきは弱くなる夜
shindanmaker.com
診断メーカーが相変わらず神すぎて色々持ってかれるわ。
その辺にあるような些細な幸せを大事に大事に思ってる佐小太が好き。
普通の人間には割りと当たり前のことってきっと忍びにはないもの若しくはなかったことにするものなんじゃないのかなぁ。
日がな一日何する訳もなく、二人でゆっくり時間を共有するような壮年夫婦な佐小太はある意味理想かもしれん。
会話(主に佐助が喋る)が途切れたあとの沈黙すら愛おしい。
そ ん な 佐 小 太 が か き た い よ !!
目に見えたラブラブいちゃこらよりも雰囲気を大切に思う私です。
私の中では佐小太のラブラブはもはやギャグの域。
こんなことになるくらいなら佐小太に出会わなければ良かった。
佐小太を好きにならなければ良かった!
って気持ちを佐小太で置き換えるテスト。
誰かを愛しく(恋しく)思うことがこんなに辛いって分かってたら!
相手への想いを全て綺麗に捨てることが出来たらどんなに楽だろうか。
でもマジ恋なんです人生初にして最後と決めてる恋なんです諦めきれねーよ!!
簡単に諦めてたまるかァァァ!!!!
みたいな。
誰得でもなく私得。