※朝菊SS投入!
なくしたくないものがありました
大切にしたいものがありました
「 さん」
その名を呼んだら、微笑んで振り向いてくれた。
キラキラ、眩しい色。
抱き寄せられた腕のなかは、芳しい薔薇の薫り。
幸福に満たされて、そっと微笑んだ。
丁寧に手入れされた薔薇園に囲まれた、イングリッシュガーデン。
なくしたくない気持ち。
たいせつなひと。
ふ、と意識が覚醒する。
薄暗い部屋、ひとり。
目覚めると貴方は居なくて、顔を覆って泣いた。
「 、さん…」
ぽつり、呟いた名前は掠れてしまった。もう振り返ってくれる貴方はいない。
たいせつでした
なくしたくありませんでした
夢の中ならば今も鮮やかに蘇るのに。
でも、
(もう戻れません)
暫くして甘い夢の残骸を消し去るように起き上がると、畳んで置いた白い軍服を身に纏う。
その傍ら置いた愛刀を掴み、襖を開け放った。
キーンコーンカーンコーン
チャイムの音に慌てて起き上がると、教壇を降りた先生が教室を出る背中が見えた。
がやがやと騒がしい教室、教室?
ああ、眠ってしまったのか、わたしは。
しまった、と思いながら再びずるずると机に臥せって自己嫌悪に陥る。
臥せりながら、ぼんやりとさっきの夢を思い出していた。
優しくて幸せで、でも胸が苦しくなるような夢。
着物だの軍服だの、なんだか時代設定が大分昔だったような気がする。
わたし(の立場にあっただれかだろうけど)は誰かのことを呼び掛けていて…?名前が思い出せないけれど−…、
「珍しくぐっすりだったな」
思考に耽っていたら、頭上に軽い衝撃と声が降ってきた。
わたしは思考を中断して意識を浮上させると、机から再び立つ人物を見上げた。金色の髪が太陽の光を受けて、眩しい。
「おはようございます、アーサーさん」
「もう昼だろ…キク、購買いこうぜ」
アーサーさん、わたしのクラスメイト、もとい恋人はわたしの頭に衝撃を与えたその財布を掲げ、催促する。
わたしは自分の鞄からお弁当とお財布を取り出すと、立ち上がった。
「ねえアーサーさん」
誰もいない屋上。
アーサーさんは先程購買で買ったクリームパンを口に含んだまま、んあ?なんてほうけた声を出すもんだから、可笑しくて思わず噴き出した。
そんなわたしを見て馬鹿にされたと思ったのか、彼はサンドウィッチを咀嚼しながら拗ねたようにふいと顔を背けてしまう。慌ててすみませんと謝って、いえね、と話を戻した。
「私達の前世って、なんだったんですかね」
「…前世?なんだよ急に」
先程の夢のことを考えたとき、安易だけれど1番しっくりくる結論がこれだったのだ。
案の定唐突な話題に訝しがるアーサーさんに、夢の一部を話してみる。
漫画の見すぎ、と笑われるかもしれないと思っていたが、彼は案外黙って耳を傾けてくれた。
大体話し終えると、アーサーさんはふーん、と何故かおもしろくなさそうな顔をする。
そして程なく考え込んだように黙ってしまった。
(やっぱり頭ヘンになったとか思われましたかね…)
まあ夢なんで深い意味なんてないと思いますけどね、と話題を終わらせようとしたとき、アーサーさんは唐突に切り出した。
「…前世が何だったとしてもさ、これは絶対って言えること、あるぜ」
「え、なんですか?」
「前世でもそのまえでも、きっと俺はお前に出逢って、すきになってた」
そういって微笑った彼の、金色が眩しい。
厭でも頬に熱が集まるのを感じた。
なんて恥ずかしいことを言うんだ、この人は。いつもはそんなことを言わないのに、たまに直球でくるから油断ならない。
素直に嬉しい、けど、やはり恥ずかしさが勝って、俯いた。
「…そんなに上手い話、ありますかねぇ」
「ある。だからキクの夢に出てきたそいつって、俺のことなんじゃねーの?」
アーサーさんは、前世の?と若葉色の瞳を細めて、にやりと笑った。
そうして俯いたわたしの頬を掬うように触れる。
無理矢理視点を合わせられ、なんだかからかわれたような気分になって、少し意地を張ってみる。
「そんなわけないじゃないですか、第一夢ですよ?」
「えー」
「でも」
「?」
「…そうだったらいいなって、思いました」
頬に触れた彼の手を包みこみながら素直にそう告げたら、今度はアーサーさんの方が紅く染まった。それにくすりと笑ってやる。
「笑うな馬鹿」
距離が縮まる。
降ってくる口づけに備え、瞼を閉じた。
(………あ、)
何故だか、記憶のなかで、あのふたりが笑っている気がした。