はっきり言って馬鹿は嫌いだ。
もっと言ってしまえば他人なんか、どうでも良い。
女なんて論外だし興味も無い。
世の中つまらない事だらけだ。
...ただ一人の存在を除いては。
「望月、ちょっといいか?」
「はい」
『先生』と言われる存在が僕を呼ぶ。
仕方が無いから返事をする。
別に敬っているわけでは無い。
ただ単に面倒だからだ。
中には馬鹿の一つ覚えの様に反抗する奴もいるけど、そんな下らない真似はしない。
そんな低レベルな事をしたって、何の得にもならない。
馬鹿みたいに愛想を振り撒かなくったって、ただ従順な生徒の振りをしていれば良い。
『先生』は、それで満足を覚える。
やっぱり、世の中、馬鹿ばっかりだ。
尊敬するにも値しない。
「...からな!今後もよろしくな!」
「はい。ありがとうございます」
取り敢えず、お礼を伝えながら、何の話だったか思い返す。
成績がどうとか、至極どうでも良い話だった気がする。
そんな事で僕を呼び止める暇があるなら、もっと自分の格を向上させる事に時間を費やすべきだと思う。
さて。
風月は何をしてるだろうか。
ちらり。
視線を動かせば、相変わらず篠崎と堀田と何かを話している。
いつもと同じ。
まぁ、この2人と常に居させる様に仕向けたのは僕だけど。
...何だか、面白くない。
よくまぁ、毎日、そんなに話す事があるものだね。
しかも笑顔で。
大体、風月には危機感ってものが全く無いと思う。
あの2人に限って、僕に逆らおうなんて勇気は持ち合わせて無いだろうけど。
本当、面白く無い。
僕は席を立って風月の元へ行く。
風月は本当にわかってない。
こんな風に、僕が自ら動こうと思うのは風月にだけって事を。
「何、話してるの?」
僕が来た事に気付いていない風月に声をかければ、ようやく僕の存在を認識した風月が、びくりと肩を震わす。
その小動物を思わせる仕種に、つい僕の可虐心をくすぐられて、思わず笑みを零しそうになるのを抑える。
毎回、飽きずに同じ反応をする風月。
「な、何も?」
「へぇ」
「う、うん!」
大方、僕の話をしていたんだろうと予想がつく。
目を泳がせて、わかりやすい反応をする風月に、僕の心の笑みは深みを増す。
「その割には、随分と楽しそうな様子だったけど?」
「えっ!?そ、そんな事無いよ!?」
「ふぅん?」
「ね!?」
その他2人に振り返り、相槌を求めようとする風月の後ろから、視線だけで2人を牽制する。
僕の楽しみを奪うな、と。
当然、僕の視線の意味に気付いた2人は、風月から目を逸らして、反応しない。
馬鹿だね、風月も。
「ちょっと!杏ちゃん!?悠ちゃん!?」
「残念だね」
更に深くなる笑みに気付かれない様に、わざとらしく溜息をつけば、まるで、信じられない!と顔に書かれている様な表情の風月が、僕を凝視する。
本当、単純で、わかりやすい。
ついつい、反応が愉しくって歯止めが効かなくなりそうなのを理性で止める。
その努力を褒めて欲しいくらいだ。
「残念って!」
「帰る」
僕が、いつもと同じ言葉を口にすると風月は慌てた様に机にかけてあった鞄を手に取る。
その様子を見ながら、僕がいつ、その言葉を言っても大丈夫な様に準備していた風月に笑みが零れる。
けど。
「杏ちゃん、悠ちゃん、また明日ね!」
「おう!また明日な」
「ふぅちゃん、気をつけてね。明日ね」
「うん!じゃあね!」
2人に笑顔を見せて楽しそうに受け答えをする風月に、もやもやと理解したくない感情が沸く。
そんな笑顔は僕だけに見せれば良い。
僕は自分が心の狭い人間だと理解している。
理解しているからこそ、風月を縛り付けて、僕だけを見る様にしたいとも思う。
僕だけを見て、僕だけを感じて、僕の与えるものだけを知る風月。
想像とは都合が良い映像だと思う。
それが名案の様に思えてもくるし、実際にそうなるという確信に似た肯定を感じる。
だけど、それを僕がしないのは、風月が風月で無くなってしまう気がするからだ。
抑え付けて、僕の意のままに操れば人形と同じだ。
僕は風月だから良いのであって、人形が欲しいのではない。
その矛盾が僕を苦しめる。
ねぇ、風月。
どうしたら良いのだろうね。
そんな事、実際に言えなんてしない。
でも。
ねぇ、風月?
僕がこんなにも風月を想ってるって事、風月は知ってる?
「ねぇ、風月」
僕は、歩いていた足を、ぴたり、止めて、少し駆ける様に追いついた風月に顔を向ける。
「えっ?何?」
きょとんとして、僕を真っ直ぐに見る風月を愛しく思う。
こんな想い、風月にしか感じない。
「僕の名前、呼んでみて」
「へっ?」
「何その反応」
「だ、だって、急だから!」
「何?嫌なの?」
「そんなわけ無いよ!」
「じゃあ、何?」
「あの、その...」
「ほら、早く」
「..れ、怜稀」
「...何、その、どもり」
「は、恥ずかしくって」
「ふぅん」
一瞬にして真っ赤になる風月に手を伸ばして、頬に掠る髪に触れて、さらり、耳に掛ける。
そのまま手を下げて、風月の小さな手を握る。
「ど、どうしたの?」
「...別に」
僕は、いつから、こんなにも欲張りになったのだろう?
風月に、もっと触れたくて仕方が無い。
自分の感情を隠す事だって得意なのに、風月を目の前にすると、それさえも難しい。
風月が、ふと、僕から目線を外して、何処かを見つめている。
僕もそれを辿って、目線を向けた。
そこには、風月の好きなクレープの移動販売車が止まっている。
風月の言いたいと欲せん事がわかっているけど、風月が‘おねだり’をする言葉が聞きたくて、風月を、ただ、じっと見た。
風月は、困った様に目尻を下げて。
「あ、のね」
―――『ねぇ!もっちゃん!』
「わ、たし」
―――『あたし、あそこのね!』
「クレープが、食べたい、かも、です」
―――『甘いふわふわ、食べたいな!』
僕が嫌がると思ったのか、たっぷりと時間をかけて、風月がねだる言葉を口にした。
僕の引き出しから、とある昔の記憶の言葉が、頭の中だけで重なる。
まだ幼かった頃、ある女の子から言われた言葉。
きっと彼女は、もう忘れてるんだろう。
僕の存在も。
手を繋ぎあって、微笑んでいた、あの日々も。
「いいよ」
「え!?いいの!?」
風月は心底、信じられないというようなそぶりで目を見開いた。
...どういう意味だ。
「は?」
クレープを食べたいと言った風月に同意してあげたのに、その態度が気に入らなかった僕は、訝し気に鋭い目線を風月に向けた。
「い、いや!?だって!」
「...何、要らないの?」
「そういう訳じゃなくて!」
「食べないなら良いけど」
「いや!食べます!食べたいです!」
「素直に、そう良いなよ」
「うっ...ごめんなさい」
僕は、クレープを買うために、その移動販売車に向かって歩きだした。
風月が、はっとした様に動き出したのを目の端で捕らえる。
「苺生クリーム下さい」
「はい。少しお待ち下さいね」
風月が注文したいものはわかっている。
やっと追いついた風月に、ある事を思い付いて声をかけた。
「風月、チョコ好きだよね」
「へっ?好きだけど?」
「すみません、チョコ追加で」
クレープを作っているお姉さんが、柔らかく笑う。
「はい。かしこまりました」
クレープは、すぐに出来た。
「お待たせしました。600円になります」
「え、あ、はい」
風月が、わたわたと財布を取り出そうとしているのを尻目に、さっさとお金を置いて、クレープを受け取る。
「はい」
それをそのまま風月に渡す。
「お金は?」
「いらない」
へっ?という言葉が、ありありと顔に出ている風月に、クレープのお姉さんが声をかける。
「優しい彼氏さんですね」
「あ、はい!」
首まで真っ赤にした風月が、恥ずかしさからか、大きな返事をしながら、わたわたと動揺しだしたから、風月のクレープを持っている反対の手を引いて歩きだした。
「行くよ」
「はわわわわ」
僕に手を引かれて体制を崩しかけながらも、付いてくる風月。
「ありがとうございました〜」
お姉さんの声を背に、僕は少し離れた所にあるベンチを目指す。
「あ、ありがとう!」
風月は満面の笑顔で、僕に言う。
風月は、好きなもの、特に甘いものを目の前にすると、本当、幸せそうに笑う。
それを、素直に可愛いと思う。
それと同時に、僕と甘いもの、どっちが勝ってるんだろう?
なんて。
下らない事を思ったりする。
口になんて、絶対に出せないけれど。
ベンチに座って、パクパクとクレープを食べている風月。
僕が風月を見ているのに気付いたらしい。
「れ、怜稀も食べる?」
相変わらず、僕の名前は、どもるらしい風月は、僕の目の前にクレープを差し出す。
「いらない」
見てるだけで胃がもたれそうなクレープを、風月は、よく、そんな平気な顔で、それも、凄く美味しそうに食べられるよね。
思わず眉間に皺がよる。
「ご、ごめんなさい」
僕の機嫌が悪いと思ったのか、さっきよりも急いでクレープを食べはじめた。
急ぎ過ぎて鼻や頬にクリームが付いているのに気付いてないらしい。
その子供みたいな様子に、つい頬が緩む。
後2口くらいだろうか。
一生懸命、口を小動物みたいに動かす風月に顔を近付けて。
ぺろり。
鼻の頭と頬に付いたクリームを舐めた。
「っ!?」
...甘ったるい。
「帰る」
放心状態で固まってる風月に一言、告げて、ベンチから離れる。
はっと我に返ったらしい風月は、残りのクレープを口に放り込んで、慌ててベンチを立って追い掛けてきた。
「い、今!」
「何?」
「な!?え!?」
「......」
「な、なめっ!?」
「うるさい」
「はわわっ!?」
もう何を言っても無駄だと思った僕は、まだ何か騒いでる風月に反応せずに、風月の家まで向かう。
結局、家に付いてからも挙動不審なままの風月を家の中に半ば強引に押し込むと、今度は自分の家に向かう。
いつもなら帰り際に「ありがとう!じゃあ、明日ね!」とか何とか言って、腕がちぎれるんじゃないかと思うほど、ブンブン振るのに、今日はそれがないほど、驚いたのかと思うと、笑ってしまいそうになる。
これじゃただの不審者になる可能性がある。
顔が崩れそうになるのを堪えながら帰路を辿る。
やっぱり、僕は風月に、‘弱い’
家に入って、一番最初に広がるのは真っ暗な部屋。
僕の両親は共働きで、たまに、二人とも数日、帰ってこないなんて、普通だ。
忙しいのは何よりだ。
僕がこうやって、お金に困らずに暮らせているのも、そのお陰だ。
もう淋しいと思う事も無くなった。
それに僕には、日々、楽しいと思える事がある。
風月の存在は、今の僕にとって、幸せだ。
風月が居なくなった世界なんて、地獄でしかない。
そんな事、死んでも風月には言えないけど。
僕は、そのまま、2階にある自分の部屋に向かう。
部屋に入り、適当に鞄を置くと、ベッドに横になる。
時間を見ようと携帯を取り出すとメールが来ているのに気付く。
風月から「今日、言えなかったから!気をつけて帰ってね!」と入っていて「もう家」とだけ返す。
本当、風月らしい。
僕は、ふ、とクレープの時の事を思い返す。
あの幼かった頃、女の子という生き物を、僕が初めて認識した彼女。
いつも2つ縛りの髪をふわり、ふわり揺らして。
僕の事をいつも『もっちゃん』と呼んでいて。
男の僕にちゃん付けなんて、恥ずかしくて、止める様に頼んだのに、彼女は、勝手に呼び続けていたから、いつしか気にする事も無くなった。
『もっちゃんは何で男の子なの?』
「生物学上、そう振り分けられたから」
『せい...?』
「...神様が、そう決めたから」
『そっかぁ。じゃあ、もっちゃんは、何で、髪が短いの?』
「男だから」
『そっかぁ』
そう言うと、きゃっきゃっと彼女は笑った。
彼女との会話は、とにかく『何で?』が多かった。
僕が答えを返しても半分も理解してないみたいだったけれど。
彼女は毎回『そっかぁ』と言って、楽しそうに笑っていて。
クレープを、いつも欲しがった。
彼女の笑顔を見たくて、その頃の僕にしたら安くはないクレープを毎回、買ってあげた。
その度に彼女は『もっちゃん、ありがとぉ!』と屈託も無く笑うのだ。
それだけで僕は満たされていて、このまま彼女と一緒にいれるものだと信じて疑わなかった。
それでも、彼女とは離れる事になった。
ありきたりな理由だけど、理由は、彼女の引っ越しだ。
彼女は泣きじゃくり、鼻水だか、涙だか、何だかわからない、ぐちゃぐちゃな顔で、引っ越しする事を僕に告げ、ただ、ひたすら『ごめんね、もっちゃん、ごめんねぇ』と謝り続けた。
親のどうしようもない都合なのに、彼女は、自分が悪いと彼女自身を責めつづけてるみたいで、僕は慰め方もわからずに、ただ大泣きする彼女の頭を撫で続けた。
彼女と逢える最後の日。
相変わらず、僕の買ってあげたクレープを頬張りながら彼女と夕日を眺めてた。
『ねぇ、もっちゃん、お月様、いるかなぁ?』
「家に居る頃には見える」
『もっちゃんと見たいなぁ』
「...そうだね」
それは無理だと、彼女には言えなくて、曖昧に頷いた。
『ねぇ、もっちゃん。ずっと一緒に居られたら良いのにね』
「...うん」
僕には、それが精一杯で。
『あのね、もっちゃん。お願いがあるの』
いつの間にか、彼女の食べていたクレープは無くなって、上目遣いで僕を見る彼女が、何故か、やけに大人びて見えて。
僕は初めて、彼女を見て、どきり、と胸が高鳴った。
その時は、この感情が何なのか、知る事は無かったけど。
今なら解る。
僕は彼女に恋をしていた。
胸の鼓動を感じながら、このまま彼女を連れ去ってしまおうかと思った。
「何?」
返事をしながら僕は、例えば、彼女を僕の部屋に隠してしまえば、とか、例えば、このまま、どこか遠くに2人で逃げてしまえば、とか。
不可能に近い、例えば、を、いくつも頭の中で思い浮かべていた。
『あのねぇ、もっちゃん。あたしともっちゃんが大きくなったらねぇ...――――――』
どうやら僕は、いつの間にか、そのまま眠っていたらしい。
時間を見ると、まだ朝の5時頃で、とりあえず、入浴する事にして風呂場に向かう。
シャワーを浴びながら、久しぶりに彼女の夢を見たな、なんて。
気持ちが穏やかになる。
お互いに、さよならは言わなかったけれど。
いつか、きっと―――
最後に、そんな想いを込めて彼女と指を絡めた。
思いに耽っていたからか、入浴を済ませたのは、思ったより時間が経っていて、朝食を食べて学校へ行く頃には、良い時間となっていた。
席に座り、少し経つと風月が登校してきた。
「れ、怜稀、おはよう!」
「おはよう」
いつまで経っても、僕の名前を呼ぶのが慣れないらしい風月は、毎日、教室に入ってすぐ、自分の席に向かわずに、僕に挨拶をしてくれる。
それって、僕が風月にとって、重要な位置に居ると認識しても良いんだろう、なんて自惚れるけれど。
「えへへ」
「...何?」
何故か僕を見て嬉しそうに笑う風月は、一体、何を思っているんだろう。
「あのね」
―――『あのね!』
幼かった日々の想い出の。
いつも『あのね』から始まる彼女の名前は。
「だって、れ、怜稀が」
『もっちゃんがねぇ』
保育園で、僕と同じチョウチョ組の。
「なんだか、今日、嬉しそうな顔してるから」
『嬉しそうだからだよ!』
小松風月ちゃん。
通称ふぅちゃん。
「...嬉しい事、ね」
まぁ、間違ってはいない。
風月が3年前に、帰ってきて、僕に言った一言目が。
『始めまして、望月くん』
きっと。
いつも一緒に居た、あの幼かった日々を覚えているのは僕だけだろうけど。
「え?なになに?何があったの!?」
それでも、あの頃の風月の明るさと、ふわりふわり揺れる2つ縛りの髪は健在で。
「風月には教えない」
まぁ、ドジなところと理解力が低いところも変わらなかったけれど。
「えぇ!?」
あの頃、風月の髪を見て、天使の羽の様だなんて、いつも思っていたなんて。
風月に言ったら、彼女は笑うのだろうか?
「......」
「え?何?何か変!?」
じっと見つめる僕に風月は不思議がる。
きっと風月はもう、僕とした指切りを忘れてしまったのだろうけれど。
「...別に」
僕の風月への初恋の気持ちも健在だった。
「えっ!?気になるよ!」
まぁ、風月の中で、僕の事が思い出の記憶としても残っていなかったとしても。
それでも良いよ。
とりあえず、さ。
もう一度、僕の元へ帰ってきたんだから。
出逢ったのなら、もう風月を一生、手放す気なんて、さらさら無いから。
「覚悟してなよ」
「えっ!?何を!?何を覚悟するの!?」
本気で青ざめる風月が、やっぱり可愛い。
でも、いつか、もしかしたら。
「......」
「何の笑いなの!?」
鈍感な風月が気付いてくれる時の為に。
風月との想い出は、僕だけの秘密にしようと思う。
―――『あのねぇ、もっちゃん。あたしともっちゃんが大きくなったらねぇ...結婚しようね』
「結婚?」
『うん。そしたら、ずっと一緒にいられるもんね』
「うん」
『絶対だよ?』
「うん。約束」
2人だけの秘密の指切りげんまん。