話題:おやじギャグとか言ってみたら?


秋も終わりに近づくと祖母は口数がぐっと減り、ほとんど何も喋らなくなる。それに気づいたのは幼稚園の頃だった。春や夏にはあんなに喋っていた祖母が何故急に無口になるのだろう。僕は不思議でならなかった。更に不思議なのは、師走を迎えた途端、祖母は再び我に返ったかのように喋り始める事だった。

そして、この謎の現象はどうやら、うちの祖母に限ったものではないらしい事が判った。ありとあらゆる友だち、そのすべての祖母にも同じ事が起きていたのだ。どうやらこれは“お祖母ちゃん”というよりは、すべての“お婆ちゃん”に起きている現象と考えた方が良さそうだ。

町中のすべてのお婆ちゃんが十一月になると急に無口になる。

「ねぇ、お祖母ちゃん、どうして喋らなくなるの?」

幼稚園児の僕は素直に疑問を祖母にぶつけてみた。ところが、「もう少し大きく判るわよ」と祖母は微笑みながらお茶を濁すだけ。父や母に訊いても、やはり「もうちょっと大人になれば判るから、今はしっかりガリバーサラダをお食べ」とはぐらかすばかりで、何も答えてはくれなかった。

その謎が突然に氷解したのは中学に入ってすぐ、英語の授業中だった。そうか。そういう事だったのか。祖母や父母の言った通り、この瞬間、僕は少し大人になったのだろう。

十一月になった途端、祖母を始めとする町中のお婆ちゃん達は何も喋らなくなった。

何も喋らん。

何も言わん。

何も語らん。

つまり、婆は何も述べん。

だから、何も述べん…婆!

決定力は十分だった。

十一月は述べん婆。

そう、十一月はNovemberだったのだ !!

祖母や父母がはっきりと答えたくなかった気持ちが今なら少し判る気がする。クダらな過ぎて恥ずかしかったのだ。大人になるというのは、身も心も駄洒落と一つになる事で、そのクダらなさはきっと哀愁とコインの裏表に存在するのだろう。

幼稚園の頃、お年玉は三百円だった。

中学の頃、お年玉は一万円になった。

この調子でいけば、五十歳になる頃には一千万円ぐらいお年玉が貰えるのではなかろうか。子どもの僕は大人になるのがとても楽しみだった。ところが蓋をあけてみると……。

十一月は述べん婆。

それは、悲しみを語るに語れぬ哀しい大人の無口なのだろう。


〜尾張〜。


*備考*

久しぶりの〈ダジャレ・ヌーヴォー〉カテゴリ。