話題:連載創作小説


クリスマス・イヴは世界中のどんな場所にも訪れる。ニューヨークの摩天楼にも、メキシコの砂漠にも、グリーンランドの氷河にも…そして、時代から取り残されたような古びた名曲喫茶にも。

その日、【平均律】の店内は何時になく賑やかに飾り立てられていた。それは、内向的な性格の人間が何らかの拍子にそれまで隠し持っていた社交的な一面を覗かせたような感じだった。とりわけ目を惹くのは、客席の中央に置かれたクリスマスツリーだろう。ツリーは全体に色とりゞの電飾を施され、尖鋭的な樅の枝葉の上には、ところゞ、脱脂綿の雪が夏の入道雲のようにふわりと載せられていた。

今しがたまで窓の外に広がっていた夕景も、そろそろ夜景へとその存在を変換し始めている。時刻は午後5時に差し掛かろうとしていた。

店内のレイアウトも、いつもとは少し違っていた。片隅に置かれた古いピアノ―1837年製のPLAYEL―の前に若干の空きスペースがとられ、その後ろに七席の椅子がニ列に並べられている。その配置は、今夜このピアノが弾かれる予定である事を暗に物語っていた。

「5時なので、そろそろ店を開けようと思いますが」【平均律】のマスターが、窓際の席で珈琲を飲む彼女に話しかける。彼女は顔を上げると、心得たように小さく頷いた。

この日の【平均律】は、開店時刻を午後5時としていた。それは彼女に演奏会に向けたリハーサルの為の時間を設けようという、マスターのちょっとした計らいだった。

あの日以来、彼女は時どき【平均律】でこのプレイエルを弾かせて貰っていた。とは云え、それはせいぜいニ曲か三曲で特別なセッティングもしていない。もちろん、弾く前に軽く練習してはいるが、それも長くて十五分程度。とても満足な練習とは云い難かった。

しかし、それは仕方のない事だった。【平均律】はコンサートホールではない。クラシック音楽のレコードをかけ、客はそれを聴きながら珈琲や紅茶を飲む。それが名曲喫茶の基本スタイルだ。

そういうわけで、彼女の中には練習不足からくる不安が少なからずあった。だからこそ、こうしてある程度まとまった練習時間が貰えた事は、彼女にとって大きな救いとなった。

そして、朝からのほぼ半日に及ぶ練習のお陰で、その不安はだいぶ薄らいでいた。

耳馴れたカランカランというベルの乾いた音が彼女の耳に響く。

すると、店の外で開店を待っていた常連客たちが次々と店内に足を踏み入れてきた。既に店の中にいる彼女やマスターに片手を上げて挨拶する者、笑顔で軽く頭を下げる者、「楽しみです」と一言かけてくる者などその様子は様々だ。


《続きは追記からどうぞ♪》