話題:連載創作小説
その日から彼女の日常は少しだけ変わった。いつもと同じ仕事の帰り道、喫茶店の前を午後五時半に通る時、彼女はそこに青年の姿を探し求めるようになっていた。
それは恋かも知れなかったし、或いは、そうではなかったのかも知れない。そもそも、恋自体、必ずしも男女の間にのみ存在するというものでもない。遠く離れた故郷に恋しい気持ちを抱く事もあれば、懐かしい料理の味を恋しく思う事もある。
理系ふうに云えば、「人と対象物の間に存在する非物質的世界に漂う科学では検出不可能な未知の元素」。文系ふうなら、「人と何かを結びつける純粋な慕情、思慕の念」。敢えて、恋という言葉を別の言葉で云い変えるならば、そんなところかも知れない。
いずれにしても、彼女が青年に対して抱いていた気持ちや感覚を一言で説明するのは困難であったし、また、そうする必要もないように思えた。
それから半月の間、彼女はそんな感じで、帰り道の喫茶店、そのテラス席に青年の姿を求めながら日々を過ごした。青年の姿がある事もあれば、ない事もあった。そして、青年の姿がそこにある時は決まって雨が降っていた。逆に云えば、この小さな街に雨が降る時、青年は必ずそこにいた。
青年はいつも一人で、テーブルに置かれた白い珈琲カップをただ一人の友として物憂げな表情で雨のテラス席に座っていた。遠い視線は、雨の向こう側にある此処ではない何処か別の世界へと注がれているように見えた。
そんな青年の前を彼女は足を早めるでもなく立ち止まるでもなく、ちらりと僅かな視線を投げかけるだけで通り過ぎる。他から見れば、それはありきたりな雨の日の風景に過ぎなかっただろう。
会釈を交わすでも話し掛けるでもなく、ましてや席を共にするわけでもない。青年が彼女の存在に気づいているのかどうかすら判らない。雨の街角で一人の男と女がすれ違うだけ。それだけの関係だった。
《続きは追記からどうぞ♪》
それでも彼女は、青年と交錯する僅かな時間に不思議な安心感と幸福を覚えていた。そして、そこに微かな懐かしさを覚えるたび、彼女の胸は小さく締めつけられるのだった。
この不思議な懐かしさの正体は何なのだろう。彼女は雨の中を歩きながら考える。しかし、答えは見つからずにいた。
そんな二人の関係――果たしてそれを関係と呼べるのならば――が崩れたのは、それから更に半月が過ぎた十一月の終わり頃で、その日はいつになく冷たい雨が朝から一日中降り続けていた。
彼女はいつも通りに仕事を終えると、手早く帰り仕度を済ませ、仕事場を後にした。そして、天体が宇宙を運行するような規則正しさで午後五時半きっかりに、喫茶店の前に差し掛かった。
ところが、雨の日であるにも関わらず其所に青年の姿はなかった。
通りを行き交う人々の喧騒をよそに、誰もいないテラス席は冷たい雨に打たれたまま、ひっそりと静まり返っている。
その時、彼女は初めてその場で足を止めた。静止した時間の世界に、傘に落ちる雨の音が不思議な大きさで響いている。
あるべき物がその場にない事。
いるべき人が其所にいない事。
その不思議な空虚を何と表現すれば良いのだろう。
しかし、勿論それは彼女の一方向的な心の話で、当然青年には青年の都合や事情といったものがある。雨の日に喫茶店のテラス席に居ないからと云って、そこに改まった不思議など存在しない。むしろ、常識で考えれば雨の日に必ず其所にいる事の方が不思議と呼べるだろう。
それでも、美しい青年を失った雨のテラス席は、翼を失くした天使のように、或いは、愛を射止めるる弓矢を持たないキューピッドのように、何処か不自然で哀しい“存在の風景”として彼女の心に映し出されていた。
そして彼女は、或る小さな予感を胸に残したまま、雨に濡れる名曲喫茶【平均律】の前を通り過ぎたのだった。
次の日も雨。
彼女の予感した通り、テラス席に青年の姿はなかった。
翌日もやはり雨。
その日、仕事を終えた彼女は珍しくゆっくりと着替え、必要以上に時間をかけて帰り仕度を整えた。そのせいで、喫茶店の前に差し掛かったのは午後六時を少し過ぎていた。
もし今日もまたテラス席に青年の姿がなければ、あの青年とはもう二度と会えないような気がする。彼女はそんな現実と直面する事を恐れていた。その躊躇が彼女の帰り時刻を少し遅らせたのだった。
灰色をした、ただ巡るだけの彼女の毎日に不意に訪れた、ささやかな幸福の時間。雨の日に物憂げな表情でテラス席に座る青年とすれ違う時間の中でしか浮かび上がる事のない、美しくも哀しい、そして懐かしい感覚。彼女の心はそれを失なう事を頑なに拒んでいた。
けれども十一月の雨は何処までも冷たく、そして無情であった。
〜3へ続く〜。
出歯亀!(*≧∀≦*)
昭和だなあ〜(笑)
なんか、板塀の隙間から民家の庭を覗いてる前歯のないオッサンの姿が頭に浮かんだ(^o^ゞ
で、傘に落ちる雨の音は、全くその通りで、青年がいないからこそ聴こえる音だと思う。或る不在を別の物が埋めようとする、そんな働き♪(⌒‐⌒)
「珈琲カップをただ一人の友として…」
このセンテンスは自分でもちょっと気にいってるので拾って貰えたのは嬉しいなあ(/▽\)♪
というか…不法侵入って!(笑)ヾ(*T▽T*)ウケた♪明らかに出歯亀からの流れが続いてる(笑)
この先、1回か2回は少しあっさり&まったりと進んで…そこから、また雰囲気が変わる感じになると思う(^_^ゞ
彼女が灰色の毎日を過ごしている理由は次回で明らかになる予定♪(^o^)/
・・なんか出歯亀してるおっさんの気分になるんですけど(笑)
静止した時間の世界に、傘に落ちる雨の音が不思議な大きさで響いている
ここでホントに【パラパラ】って音が頭上から降ってきた気がして、不思議な気持になった。多分彼が居たら全然聞こえないモブ音なんだろうな。だってその時は美しくも哀しいそして懐かしい感覚の中を夢見心地で歩いているのだから。彼がいたら見えなかったアールヌーヴォー調の椅子の白い背もたれや座面の曲線を目でなぞっていたんだろうな・・
白い珈琲カップをただ一人の友として
この白い珈琲カップはエレガントなデザインのものではなく、まるくてコロンとした子猫みたいなイメージ。青い瞳のふわふわ子猫を抱いている彼のブロマイドを彼女の会社の机の引き出しに忍びこませたい←不法侵入
灰色をした、ただ巡るだけの彼女の毎日
彼女って内気なんだけど、感受性豊かで綺麗な心を持ったひとなんだろうなあ・・灰色の日々は彼女にふさわしくないよ。彼と結ばれたらいいよな☆★☆
彼はなぜ雨の日にしか出没しないのか?
彼女の恋心と共に湧き上がる懐かしさの正体とは何なのか・・?
気になるのぅ〜〜(~o~)ノ
>>もう一度構成に注意して読み直したら、同系色だけど色の濃さが違うタイルが上から三枚並んでた!!すごい!!V(☆o☆)V