話題:エッセイ


タクシーで“ほぼ目的地”に到着したとしましょう。そうすると今度は“厳密な停車位置”乃ち“タクシーからの降車位置”を決定しなければなりません。

その際、タクシーから降りたい地点が、例えば何かしら目印となるような建物がある場合は良いのですが、問題はそういう目印になりそうな物がない場合です。

そういう時に目印として使われがちな物が“角”であるような気がします。この場合の“角”は“つの”ではなく“かど”と読みます。目印が“つの”であるならば、そこにはサイやユニコーン、又は鬼、般若、つのだじろうなどが居なければなりませんが、そんな場所は滅多にないでしょう。

“角”は改めて言う迄もなく“曲がり角”の“かど”です。

運転手「どの辺で停めます?」

客「ええと…あ、そこの角でいいです」

そんな感じの会話が運転手と客との間で交わされる事はけっこう多いように思います。曲がり角は十分な目印となり得るわけです。

ところが、ここで一つの問題が浮かび上がって来ます。それは、つまり、“曲がり角の手前”で停まるのか、それとも“曲がり角の先”で停まるのか、という二者択一的な問題です。

上の会話で客は「そこの角で」と言っていますが、手前か先かの指定はしていません。という事は、手前と先、どちらを選択するかは運転手の胸ひとつという事になってきます。

曲がり角の手前で停まる運転手。逆に、角を曲がった先で停まる運転手。

経験上、この振り分けはほぼ半々といったところでしょうか。

では、何がこの二つを分かつのかと問われれば、それは恐らく運転手の性格やその時のフィーリングではないだろうか、としか答えようがありません。

実際、タクシードライバーである友人のロバート・デ・ニーロ君(仮称)に、この問題について訊ねてみたところ、彼は「取り合えず俺は角を曲がってから車を停めるかな」と言ったので、更に理由を訊ねると「いや、何となく」という曖昧な答えが返ってきた事がありました。

中には、手前か先かを固いポリシーによって決めている運転手も居るかも知れませんが、多くは感覚的に選んでいるように思います。

ここから先は私見中の私見でありますが…

《曲がり角の手前で車を停める運転手》はタイプ的には“いぶし銀”、サッカーで言えばディフェンダーに向いている気がします。

懐かしのアイドルで言えば中森明菜派。曲がり角の手前で静かに車を停め、降車後ドアがしまる時に消え入りそうな声で「アリガトウゴザイマシタ…」と語りかけてくるイメージです。

ラーメン好きの人で例えるなら、出されたラーメンをそのままの状態で黙々と食べるタイプのように思います。


逆に、《わざわざ曲がり角を曲がってから車を停める運転手》は、タイプ的には“ファンタジスタ”、サッカーで言えばセンターフォワード向きでしょう。

懐かしのアイドルでは松田聖子派。陽気に裸足でペダルを踏んで運転しそうです。心はいつも裸足の季節といった感じで。

ラーメン屋でも、出されたラーメンには必ずコショーを掛けたりラー油を入れたり、自らの手で何かしら“ひと手間”加えたいタイプであるような気がします。



以上、自分でもビックリするぐらい説得力の欠片もない分類をしてみた訳ですが…

果たして、自分の乗ったタクシーは曲がり角の手前で停まるのか?

それとも、角を曲がった先で停まるのか?

日々のタクシーライフを楽しむ為にも、停車場所を指示する際には是非、「そこの角でお願いします」と“人生において、もっともどうでも良い二者択一の問題”を運転手さんにプレゼントして差し上げてみては如何でしょうか?


〜本日のピックアップ文章〜

「鬼や般若、つのだじろうなど…」。


【終わり】。