話題:SS

ついにクラムボンが笑った。

ツアー大会で優勝したプロゴルファーとキャディーのようにがっちりと握手を交わす教授と助手に、一人だけ蚊帳の外に置かれた形となった女刑事が堪らず訊ねる。

「あの…クラムボンって何ですか?ちっとも意味が判らないんですけど」

答えたのは影山助手だ。

「厳密に言えば、クラムボンの正体は誰にも判りません。でも、この場合は“謎が解けた”という意味になるんです。まあ、ホームズでいう“謎は解けたよワトソン君”みたいな決め台詞とお考え下さい」

「という事は教授…事件の謎は解明出来たんですね!?」

嬉々として声を上げる女刑事に、氷川は沈着冷静を保ったまま答える。

「ああ。…では、雨も上がった事だし謎解きでも始めるとしますか…」

教授室の窓を先程まで濡らしていた初夏の雨は何時の間にか上がっていた。

「お願いします」女刑事がやや緊張の面持ちで言う。

「うむ」

かくして、氷川暖炉教授による謎解きが始まった。

「この事件を不可解足らしめている点は只一つ、似ても似つかぬ二枚の似顔絵の存在だ。乃ち、事件の謎の全てはそこに集約していると言っても過言ではない」

女刑事と影山がほぼ同時に頷く。

「二枚の似顔絵に歴とした差異が存在する以上、何処かにその差異が生じた理由がある筈だと考えた僕は、それを二人の目撃者が犯人を目撃した時の状況に求めようとした。…ここまでは良いかな」

「はい」山本成海刑事が答え、影山も同時するように頷く。

「宜しい。もしも二人の目撃者が並んで歩いていて同時に犯人を目撃したような、ほぼ差異のない状況だったならば、正直、お手上げだったかも知れない。しかし、そこには明らかな違いがあった。…ですよね、刑事さん」

「はい。ええと…第一の目撃者が見たのは走って近づいてくる犯人の顔で、第二の目撃者が見たのは逆に走って遠ざかる犯人の顔…という事ですよね」

「その通り。そこで僕は思考の海に潜り、その二つの差異を結びつける“論理の鎖”を探した訳だ」

「論理の鎖…ですか?」

「そう。キーワードの魚たちが描く光の軌跡に“論理の鎖”の一端を見出だした僕は、それを辿り海中の奥深くへと更に進んで行った。そして見つけた。“Fで始まる或る物理学の公式”をね」

「キーワードの魚?…光の軌跡?…で、物理学の公式…ですか?」

氷川の口から次々と飛び出す突飛な言葉に女刑事が怪訝な表情を見せる。しかし当の氷川は彼女の様子など意にも介さぬように先を続けてゆく。

「そう。…話が難しくなるので詳細は省くが、それは“ドップラー効果の公式”だった」

「ドップラー効果って…あの、パトカーとか救急車のサイレン音が近づいてくる時と遠ざかってゆく時で違って聴こえ……あっ!」

「どうやら気づいたようだね。音というのは空気中を伝わる波な訳だけれども、観測者か音源、そのどちらか一方もしくは両方が移動している場合、その波の伝わり方に変化が起こってくる。簡単に言えば、両者が近づく時に波は縮み、逆に遠ざかる時に波は伸びる。…影山君、この事を物理学用語で言うと?」

「ええと確か…周波数の圧縮と伸長…でしたか」

突然の氷川の質問に虚を突かれながらも影山が何とか答える。

「正解。圧縮された周波数は音が高くなり、伸長された周波数は音が低くなる。救急車が近づいてくる時サイレンの音には#がかかり、つまり高く聴こえ、遠ざかる時には♭、低く聴こえるという寸法だ。波のイメージとしては、そうだな…筋トレで使うエキスパンダーが伸びたり縮んだりするのを思い浮かべて貰えば良いと思う。或いはアコーディオンの蛇腹か」

「…なるほど、そこは理解出来ました。でも…それって音の話ですよね。今回の事件に音は関係ないと思うんですけど」

女刑事の疑問は文系の人間としてはもっともなものだった。しかし氷川は…

「いや、それがだね…ドップラー効果というのは必ずしも音に限る訳ではないのだよ。そうだよね、影山君?」

「光のドップラー効果ですね」影山が即答する。

「…光にもドップラー効果があるんですか?」

「当然だ、光だって波だからね。
因みに、余談ではあるが…現代の宇宙論において主流を占めている“宇宙は現在も膨張し続けている”という学説、その根拠となっているのも実は光のドップラー効果なのだ」

「宇宙ですか…なんか、話が壮大になってきましたね」

「そうかな。僕にとっては、宇宙について語る事も冷やしタヌキうどんについて語る事も、然程変わりないのだけどね」

「ハァ…」

氷川の思考回路はどうにも掴みどころがない。女刑事はただ相槌を打つしかなかった。

「話を戻そう」

「そうですね。お願いします」

頷く女刑事に氷川が説明を再開する。

「さて影山君、光のドップラー効果の中で最も有名かつ一般的な現象と言えば何かな?」

「それは、やはり何と言っても、青方偏移と赤方偏移ではないでしょうか」

「その通り」

話が事件に戻る事を期待していた女刑事は、またしても聞き慣れない言葉が出現した事に少々面食らっていた。

「…何ですかそのナントカ偏移っていうのは?」

「…君は赤方偏移も知らないのか?」

「…突然変異なら知ってますけど、その類のものですか?」

「まったく…それでは日常生活にも困るだろう?」

氷川が呆れ顔になる。

「…いえ、まったく困りませんけど」

今度は山本成海刑事が呆れ顔をする。

「判った判った。影山君、刑事さんに説明してあげて」

先程からすっかり説明用員と化している影山助手が氷川からバトンを受け継ぐ。

「判りました。ええと…簡単に言えば、近づいてくる光は青っぽく見えて、逆に遠ざかってゆく光は赤っぽく見えると……あっ、先生…青と赤ですよ」

「あっ…」

影山と山本成海刑事がほぼ同時に声を上げる。

「どうやら君たちも気づいたようだね、今回の事件とドップラー効果の関連性について…」



★★★★


ええ…本当はここ迄来たら一気に完結させた方が良いのですが…

微妙に長くなりそうなので、二つに分割させて頂きました。

もちろん、分割手数料は当社が負担致します♪(^_^)/