話題:写真詩

どういう訳だか時おり私は夜になると、急に花を盗みたい衝動に駈られる事がある。

その夜もちょうどそんな感じであった。

しかし、宵闇に紛れて忍び込んだ公園の花壇に咲いていたのは一輪の鳳仙花のみで、それは私の欲しい花とは違っていた。

私が欲しかったものは《夜盗花》と云う名前のどの図鑑にも載っていない妖しげな花で、風聞に依れば“夜を盗む事で成長する特殊な花”であるらしい。

“夜を盗む”とはどういう事なのか。その問いに答えられる者は誰一人として居なかったが、確かに夜と云うのは不思議な思考の広がりやすい時間帯であるので、もしかしたら、そう云った夜特有の人が抱きがちな妄想や想像を栄養素として取り込む花なのかも知れない。

しかし、それとて想像に過ぎない。仕方なく私は《夜盗花》の代わりに鳳仙花を盗む事にした。

ところが、幾ら手を伸ばしても、すぐ目の前にある筈の鳳仙花に手が届かない。手を伸ばせば伸ばした分だけ鳳仙花は遠ざかってゆく。それでも私は手を伸ばし続けた。僅か20センチの距離しか持たない空間の中で、私の手は数メートルもの長さになっていた。

まだ届かない。しかし、もうちょっとで鳳仙花の花びらのに指先が触れそうな感じもある。

もう少し…。
もう少し…。

まるで、自販機の下の地面との隙間に落ちた硬貨を拾う人の様に半ば無理やり、私は手を伸ばし続けた。すると、伸ばし切った腕の内側の筋が悲鳴を上げそうになったところで、何かにかすったようなくすぐったい感触が指先を伝った。どうやら、私と鳳仙花との間に横たわる20センチ程の距離空間は、その内部で幾重にも折り畳まれているらしかったが、無限距離を持っている訳では無さそうだ。

(それならば…盗めるぞ)

何とか、あと数ミリだけ…。ストレッチの限界を超え、腕を伸ばす…そして、ついに、私の指先が鳳仙花の花びらを捕らえた!…

…と、思った瞬間、私は背後から何者かに襟首を掴まれ引き摺り倒された。

(な、何者!?)

振り返ると、遥か後方の暗闇から伸びてくる一本の長い腕が見えた。青を基調としたペイズリー柄の袖口。それは私自身の腕に他ならなかった。

驚いた私が鳳仙花から手を離して退くと、私の襟首を掴んでいた手も闇の中に退いていった。

何だか怖くなった私は、鳳仙花を盗むのをやめ公園の花壇を後にした。

家へ戻る途中、巡回中のパトカーと一度すれ違い、内心冷や汗をかいた私であったが、特に呼び止められる事もなく、無事、家へと帰り着いた。考えてみれば、花泥棒は未遂なので別段冷や汗をかく必要もなかったのだが。

ベッドに入り、布団にくるまりながら考える。もしかしたら、あの鳳仙花こそ実は《夜盗花》だったのかも知れない、と。

窓から薄明かりが射し込んでくる。気が付けば何時の間にか時刻は明け方近くになっていた。



こうして、あの日、私の夜は盗まれた。しかし、盗難届は出さなかった。何故なら、夜を盗んだ犯人は他ならぬ私自身であるかも知れないからだ…。

《終わり》。