話題:妄想を語ろう

と、ちょうど道を渡り掛けたところで運悪く横断歩道の信号機が赤に変わった。

ああ、徹夜勤務明け朝帰りの午前5時。早朝のマイナーな県道。車が来そうな気配もないので渡ろうと思えば渡れるけれど、何となく私は信号が青になるのを待つ事にした。

ところが、赤信号はなかなか青に変わらない。もうそろそろ変わっても良いはずなのだが…。

向こう側の歩行者信号を眺めながらそんな事を思っていると、ようやく信号が青になった。…のは良いのだが、何故か赤信号のランプも灯ったままになっている。

青信号のランプの中の人は“渡れ”と言っている。しかし、赤信号のランプの中の人は“待て”と言う。いったい私はどうすれば良いのだろう?

そこで仕方なく、道の真ん中まで進み、そこで待つ事にした。信号の赤青同時点灯は“道の真ん中で待て”という新しい交通法規かも知れない、そう思ったのだ。

その時、誰もいない筈の向こう側から「あ、兄さんスンマセン!渡ってくださーい!」と声がした。どうやら、喋っているのは青信号のランプの中の人らしい。そう、あの小さな絵の人だ。

「え、でも赤信号もついてるし…」私が躊躇しながら言い返すと、「ああ、相方の事は気にしないでください。ボケの練習中なんで」再び青信号の人が話し掛けてきた。

相方って何なんだ?もしかして青信号の人の上にいる赤信号の人の事?

そう思いながら横断歩道を渡り終えると、また青信号の人が話し掛けてきた。「私がついたら君は消えろって前から口を酸っぱくして言ってるのに、うちの相方ぜんぜん人の話聞かないんですよ。これじゃ、“アカ信号”っていうより“バカ信号”ですよね?」

すると…

「キミ、なかなか上手いこと言うなあ」

今度は赤信号の人が喋りだした。何だか、夢路いとし喜味こいし師匠みたいな喋り方だ。

「僕がバカ信号ならキミはあれだ、アオ信号ではなくてアホ信号だ」

「むむ、お主なかなか出来るな」青信号の人が唸る。

何なんだ、この信号機同士のつまらない掛け合い漫才は。

「あのぅ、すみません…もう行ってもいいですかね?」私は二人に向かって言った。

「せっかくだから、もうちょっとウチらの漫才を見ていきませんか?」青信号の人が私を引き留めようとしてきた。

「お願いしますわ。いやねぇ、僕らは向こう側の信号機コンビに負けたくないんですわ。その為にはもっと芸を磨かないといけない」赤信号の人も言う。

向こう側の信号機って、今私が渡ってきたアチラ側の歩行者用信号の事だろうか?

気になったので二人に少し話を聞いてみたところ、横断歩道の歩行者用信号機は全てコンビ芸人なのだと言う。そして、この二人は漫才をベースにデュオとして歌手デビューも狙っているらしい。

「二人の漫才を聞いてあげたいのはヤマヤマなんですけど…徹夜明けで早く家帰って寝たいんで…すみません」

丁重に断ろうとする私に青信号の人が食い下がる。

「判りました。じゃあ、こうしましょう。最後に一曲だけウチらの歌を聴いてください。お願いします。…と言ってもまだオリジナル曲は持ってないんですけどね」

「まあ、一曲だけなら…」私は渋々ながら承知した。一期一会を大切に。そんな精神で。

「何かリクエスト曲ありますか〜?」赤信号の人が訊いてきた。まるで、昔酒場によく居た流しのギター弾きだ。

「リクエスト…リクエストですか…あ、そうだ!」

「よし、それで行きましょう」

「うん、それで…って、まだ何も言うとらんやないかーい!」

また掛け合い漫才が始まった。それも恐ろしくベタな漫才。二人とも静止画で顔もついてないので動きも表情も乏しい。このコンビが漫才で売れるのは、正直かなり厳しいだろうと思った。

「で、リクエストは?」

「ああ、ちょうど《チャゲ&飛鳥》が何年かぶりにデュオとして復活するらしいんで、彼らの曲を歌ったらどうかなあと思って」

「なるほど、それはタイムリーで良いかも知れんね。…お前さんはどうよ?」どうやら青信号は乗り気のようだ。

「異存なし。曲は…そうだ…《モーニングムーン》なんか、早朝にピッタリで良いのではなかろうか?」赤信号も歌う気マンマンになっている。

「よし、曲は《モーニングムーン》でいこう。お兄さん、それで良いですか?」

「ええ、私は何でも」

「決まった。じゃ、私が飛鳥をやるから、お前はチャゲね」青信号が赤信号に言う。

「いやいや、僕が飛鳥やるからキミはチャゲをやりなさい」

「いや、見た目的には私の方が飛鳥に近いから、お前はチャゲで」

「タイプからすれば僕が飛鳥でキミがチャゲの方がしっくり来ると思うから、チャゲはキミだ」

やっと話がまとまったと思ったら、今度は飛鳥の取り合いが始まった。はっきり言って、どちらがチャゲでどちらが飛鳥でも全く変わらないと思う。こんな無機質なチャゲ&飛鳥は正直あり得ないから。それでも、二人とも互いに譲る気配がないので、私は仕方なく二人に言った。

「判りました判りました!チャゲさんは私がやりますから、二人は一緒に飛鳥さんやってください」

「え、いいの?」
「なんか、悪いね」

全く、二人ともチャゲを何だと思っているのだろう。あの人は本当に歌上手いんだぞ。

何はともあれ話はそれでまとまった。

「じゃ、いきますか」

そして私たち三人は早朝の横断歩道で《チャゲ&飛鳥のモーニングムーン》を熱唱した。やはりチャゲのパートは難しい、私は改めてそれを思い知らされていた。

「では、私はこれで帰ります」歌い終えた私が二人に告げる。

「キミキミ…もし、良ければ三人でコンビ組まないかい?」赤信号が言ってきた。

「三人はコンビじゃなくてトリオでは?」思わず私がそう返すと、

「あ、ツッコミは私の役目なのに…先にツッコまれてしまった…」青信号が落ち込んでしまった。

「ああ、キミキミ…親分が落ち込んでしまったではないか…」赤信号が少し咎めるような口調で私に言った。

「すみません、そういうつもりじゃ…」私は謝った。が、青信号は口を開こうとしない。

「こういう時はアレをやるしかないな…」

「アレ…ですか?」

「そう。落ち込んでる親分さんを立ち直らせる魔法の呪文…チャゲさんなら当然知っておるよね?」

悪い予感がする…

「もしかしてアレですか?」

「そう、アレしかないだろうね」

落ち込んでる親分を立ち直らせる魔法と言えば、やはりアレしかない…。ツッコミの仕事を横取りしてしまったのは私、ならば、私が責任を取らなければならない。

私は魔法の呪文を唱えた。

「小松の親分さん♪小松の親分さん♪」

シャッキーン!!♪ヽ(´▽`)/


色々な意味でもう限界だった。

全く、早朝の横断歩道で信号機相手に私はいったい何をやっているのだろう?

見上げた空には、まだうっすらとモーニングムーンが残っていた。

☆☆☆☆☆

以来、私は横断歩道を渡る度、図上の歩行者用信号機の中の人を見上げながら思う。

この二人はどんな芸風なのだろう?…と。


〜終わり〜。

あ、そうそう…。

現在全ての横断歩道の歩行者用信号機が“コンビ名募集中”らしいので、何か良さそうなコンビ名を考えて最寄りの信号機にでもつけてあげてください♪