話題:SS

昼休み、会社近くのラーメン屋で私は注文したチャーシュー麺が出来上がるのを待っていた。行き付けと迄はいかないが、何やかんやで週に一度ぐらいは食べに来る店だ。店の人間―と言っても熟年の夫婦二人のみだが―とも軽い雑談ぐらいは交わす程度の気のおけない間柄にはなっている。

この日も普段と何ら変わるところのない、ごく在り来たりな昼休みのヒトコマのように思えたし、実際そうだった。但し、私がチャーシュー麺を注文したところまでは、だ。

連続する毎日の延長線上に突然訪れた小さな亀裂、それは店主の奥さんが運んで来たラーメンの丼の中にあった。判りやすく端的に言えば、そこにはチャーシューが一枚も入っていなかったのだ。

「あれ、私、チャーシュー麺を注文したつもりなんだけど…」

責める感じにならないように笑顔を作りながら言う私に、奥さんは何故かキョトンとした顔で答えた。

「はい、チャーシュー麺ですよね」

そして当然のように、一枚もチャーシューが入っていないラーメンの丼を私の前に置いた。

「えっと…これ…チャーシュー入ってませんよね?」

笑顔をひくひくと軽く強ばらせながら食い下がる私に、奥さんの表情が明らかに怪訝なものに変わる。

「チャーシュー…入ってますよ。ほら、いつも通りにちゃんと六枚…」

「えっ?」

改めて丼の中に目を落とす。とは言っても、丼の中に自分の目玉を落っことしたのではない。視線を向けたという意味だ。

しかし、何度見ても、やはりチャーシューの姿は何処にもない。どういう事なのだろう?奥さんが嘘をついているとは思えない。夫婦二人で何十年も細々と営業を続けているような店だ、今さらチャーシューをケチるような事もないだろう。

私と奥さんの間には互いの真意を計り合うような何とも言えない空気が流れ始めている。胸の辺りがゾワゾワとして落ち着かない。私はそんな空気に耐えかねて「スミマセン、今のは冗談です」と身を引いた。

「もう、イヤだわ〜、いきなり変な事言うからちょっとビックリしちゃったじゃない♪」

笑顔に戻った奥さんは、手で私の肩を軽くピシャリと叩いて厨房へと戻り、私の前にはチャーシュー不在のチャーシュー麺が残された。

その時、背中越しに男性の小さな声が聴こえてきたので、あからさまにならないよう軽く首だけで振り向くと、どうやら声の主は背後のテーブル席で食事をしている若いサラリーマン二人組の一人であるらしかった。

「なんか、俺のだけチャーシューが十二枚も入ってんぞ。これって超ラッキーってやつ?」

「奥さんに惚れられたんじゃないの?氷川きよしのズンドコ節みたいに」

「内緒でチャーシュー二三枚、ってやつか?」

「そうそう。或いはチャーシューの神様に愛されてるか…」

「ああ、チャーシューの神様ありがとうございます!」

何だその馬鹿馬鹿しい会話は。
国の未来を背負って立つヤングサラリーマンとしての自覚が全く感じられないではないか。

…と心の中で軽い義憤に駆られながらも、(その増えてる分、本当は私のチャーシューなんじゃないの?)と、これ以上ないぐらいの私憤に苛まれてもいた。

ガタッ。私が座るテーブル席の向かい側で椅子を引く音がした。

「相席よろしいですかな?」

見れば、妙な老人が私のすぐ目の前に立っている。何時から其所にいたのか。背後に気を取られていて全く気づかなかった。

「ええ、まあどうぞ」

空いているカウンター席に座れば良いのにと思いながらも、拒否するのも失礼な気がしたので、取り敢えずは老人の申し出を快諾する。

「ありがとう。それでは失礼して…よいこらせっと」

奇妙な風体な老人だった。一言で言い表すならば仙人か。布袋(ギタリストでは無い方。七福神の一人)のような福々しい顔立ちながらも背丈は低く、こうして椅子に座るとテーブルの上からやっと顔が出るくらいだ。それでいて目だけはやけに大きくギョロっと見開かれている。

得体の知れない老人だ…。

「チャーシューの不在者投票か…」

席につくなり老人は、意味不明の言葉を呟いた。そのギョロ目はダブルで私のチャーシュー麺に注がれている。

「いや…不在者投票は全然違うか。すまぬ、今のは忘れてくだされ」

「はあ…」訳が判らぬままに私は頷いていた。

しばしの沈黙の後、老人が再び口を開く。

「お主、ちゃんと忘れてくれたかの?」

「へっ?」

「ホレ、さっきワシが頼んだ…」

「ああ…」

チャーシューの不在者投票がどうのこうのという話の事を指しているだろう。

「ええ、大丈夫ですよ。ちゃんと忘れましたから」

「何を?」

「何をって…さっき貴方が仰有った“チャーシューの不在者投票なんたらかんたら”の事ですよ」

途端、老人のギョロ目が更に大きくギョロっと見開かれた。

「お主…しっかり覚えておるではないか」

あっ。いや、でもそれは…

「いえ、でもそれはですね…」

「まあ良い。それよりも、実はの…」

「はい」

「先程の一部始終を見させて貰っとったのじゃが…お主、その丼の中のチャーシューが見えないというのは真(まこと)の話かの?」

見えないチャーシュー。
背丈も低くギターも似合わない布袋。

私は嫌な予感に包まれて始めていた…。

《前編終了》。

後編は…

これから考えま―すヽ(*´▽)ノ♪

そして

私も嫌な予感に包まれ始めていた…。