話題:テレビについて



夏がシュールリアリズムの季節である事は、少し前に当ブログにて証明しましたが、夏と云う季節は同時に、白馬童子に、山城新吾に、いえ、むしろ、山城新吾のチョメチョメなサングラスのように、ノスタルジーの季節でもあるのです。

夏の雛壇には、シュールリアリズムのお内裏様とノスタルジーのお雛様が、二人並んで澄まし顔で並んでいる…そのように捉えて頂ければイメージ的にも解りやすいでしょう。

そこで今日は、夏の雛壇のお雛様の方、つまり、山城新吾のサングラスで云えば左側のレンズの方の話=ノスタルジックな昔話をしてみようと思うのです。

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夏が来れば思い出すのは、勿論、遥かな尾瀬や遠い空もありますが、やはり何と言っても、子供の頃、毎年夏休みになると必ず帰省していた母親の郷里である新潟の祖父母の家の事です。

その辺りの話は以前にも『夏の定点』と題して、百貨店のお化け屋敷のエピソードを書いた事がありますが、今回は新潟における【テレビ】です。

今でこそ、放送ネットワークが全国的に確立され、地方でも都市部とさほど変わらないチャンネル数を持っていますが、私が子供の頃は、地方のテレビと言えば、確かなのはNHK だけで、後はローカル局が数局という極めて寂しい状況だったのです。

これは或る意味、子供である私にとっては小さなカルチャーショックでした。とりわけ、CMにおける“静止画率”の高さには驚かされました。しかも、それらは何れも“新潟県民には有名”、裏を返せば“新潟県民以外は全く知らない”といった店のCM ばかりでなので、何と言いますか、地方と中央の間に存在する遠い距離みたいなものを嫌が応にも感じてしまうのです。

思えば、当時は上越新幹線など当然ありませんでしたから、最も速い【特急とき号】を使っても上野から新潟まで六時間以上かかったわけで、そういう意味では、物理的にも今より距離があったと言えるでしょう。

逆に言えば、それだけ日本が広かったという事かも知れません。地図上の距離は今も昔も同じである筈なのに、何とも不思議な話です。

閑話休題。

さて、地方テレビには地方テレビの面白さがたくさんあるのですが、同時に困った問題もあるのです。

それは、実家(都市部)で毎週欠かさず観ているドラマやアニメが、その地方でも放送されているかどうか?という問題です。

私としては、何としてでも続きが観たい。しかし、放送があるかどうかは地方局の番組編成次第。

そんなわけで、毎朝、新聞のテレビ欄を確認する時はドキドキものでした。まるで、宝くじの当選番号を確認する時のように目を皿のようにしながら(頼むから放送しててくれ)と祈りを込めつつ見て行くのですが…

お目当てのドラマが有る筈のところが【新潟県民ニュース】などとなっていたりすると、もう、絶望的な気分になってしまうのです。

その分、お目当ての番組がちゃんと放送されているのが判った時の嬉しさは格別のものがあります。

それで、祖父母に『どうしてもこの番組を観たいので、この時間のチャンネル権を譲ってください』と正座して頼み込んで了解を得て、いざ、心踊らせながら番組を観始めると…

あれ?この場面、前にも観た事があるような…。デジャヴかな?

…先週の放送だったりします。

地方では配信が一週間遅れになる事など珍しくない時代だったのです。

勿論、当時はビデオデッキなどというハイテク製品は存在していません。番組を観るには放送時間にテレビの前に居る事が絶対必要条件であった時代。或る意味、テレビを観るのも真剣勝負だったと言えるでしょう。

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現代と比べれば、遥かに不便で歯がゆく、けれども、テレビが熱気に溢れていた頃…そんな時代のお話です。


【終わり】。