話題:連載創作小説


どこにでもある住宅街の静かな夜。誘拐事件もそろそろ終焉を迎えようという水島邸では、佐知子と隆博が《新緑の世代》について、それぞれに思いを巡らせていた。

自らを【地球の意志によって誕生した生物】と語る博之ら《新緑の世代》の子供たち。その言葉は、常人の理解を遥かに超える範疇のもので、真偽を計る事など到底不可能な話であった。

ただ水島夫妻にはどうしても彼らが、そのような崇高な存在だとは思えなかったのである。

しかし、そう思ってはいても逆らう事など出来はしない。もし逆らえば、二人とも容赦なく何かの植物に変えられてしまう事は明白すぎるほど明白であるからだ。

そう…。水嶋家のリビングや庭、或いは近くの公園に寄進という形で二人が植えた数々の“つい最近までは人間だった植物たち”のように…。

勿論、その植物たちは博之が種や苗木といった形で持ち帰った“これまでに博之を誘拐してきた犯人たち”など、博之いうところの“悪い大人”の変わり果てた姿でもあった。

それらの犯人が何処の誰なのか二人は知らないし、また、知りたいとも思わない。知れば辛くなるに決まっている。それ故、佐知子も隆博も今まで、各誘拐犯の年齢や性別などを一度足りと博之に尋ねようとはしなかったのだった。

その結果、それぞれの犯人の動機や人物像、或いは犯行に至る動機など“人間を感じさせる全ての情報”は、通常のストーリーとは逆に、探らないよう明かされないように話は進むしかなかったのである。

この話においてはっきりしているのは、これまでに起きた全て誘拐事件における“真の誘拐犯”が、実は誘拐された博之自身であるという事と、それを止める力は二人には無い事、その二つだけであった。

いや、もう一つある。それは、どうやら博之が知恵をつけているらしいという事だ。最初に誘拐犯が言っていた豪邸の写真、恐らくそれは誘拐の決意を促す為に博之がネットから拾ってきた物だろう。では何故、そのような小細工とも言うべき知恵を彼らは身につける必要があったのか?

博之は「自分たち《新緑の世代》には悪い大人を引き寄せるフェロモンがある」と言っていたが、むしろそれは逆で、本当は、誰の心にもある小さな悪の芽を萌芽させるフェロモンなのではないか?その悪の萌芽をサポートする為の知恵ではないのか?

今回の事件に限っていうならば、博之によって悪の芽が萌芽させられた時点で犯人は“運命の分かれ道”を通り過ぎてしまったのであり、博之を人質とした時点で逆に“犯人自身が捕まっていた”のだ。そういう意味では、“誘拐犯が逮捕されたところ”から、この話は始まっているとも言える。

皆さんは覚えているだろうか?佐智子と隆弘が“身の安全”を考えて警察に連絡しなかった事を…。

それは本来ならば“人質となっている博之の身の安全”を指すべき言葉となる筈だが、二人は逆に“事件に関わる警察官の身の安全”を考えて連絡しなかったのである。

真の誘拐犯が人質である博之自身だと判れば、そこに示された言葉のベクトルは自ずと全て逆向きとなる。


《続きは追記に》。