話題:連載創作小説


《 TURE GREEN 》

文字から考えれば、それは《新緑》ではなく《真緑》と翻訳すべきかも知れない。しかしながら、その判断を下す事は《新緑の世代》ではない私たち大人には出来ないのだと思う。

数百名の社員が一斉に消え失せた【Kコーポレーション】の本社ビルから救出された一人の少女。そのセーターの胸に書かれた《 GENERETION 》の文字で、本来Aであるべき所がEとなっているのも、実はスペルの誤りでなどはなく、彼らにとっては《 GENERETION 》という表記こそが正しい、そんな可能性だってある。

詰まるところ、何が正しく何が間違いなのか、その判断は常に時代のマジョリティ(多数派、主流派)に委ねられるのが世の中の習いなのだ。となれば、《世代》の正しい英語表記が《 GENERATION 》ではなく《 GENERETION 》となる世界や時代が何処かに存在していても何ら不思議ではない。世界の大多数にとってそれが常識ならば、それは正当な物となるのだから。そして、そのように私たちが知る物とは全く異なる別の常識や価値観を持つ世界が、異次元などの手が届かない場所にではなく、私たちが暮らすこの世界の時間延長線上に“新時代”として存在しているとしたら…。

さて、

そろそろ、この事件の真相を説明するとしよう…。

《新緑の世代》。

簡単に言えば、それは博之を始めとする新しい世界の住人たちの事である。博之が以前、両親に語った話に拠れば、彼ら《新緑の世代》の人間は現在全員が子供で、最年長は十四歳の男子中学生、逆に最年少は四歳の女の子であるらしい。

もっとも、あくまでそれは博之の言葉によるもので、私たちには真偽の確かめようがない。だが、それを信じて話を先へ進めるならば、《新緑の世代》の子供たちは自然と仲間をソレと認識出来るのだという。その認識メカニズムは、ある種のテレパシーに似た共感覚によるものらしいが、それ以上の説明は「話しても理解出来ないだろうから」と、博之は実の両親である二人にすら教えようとしなかった。

そして《新緑の世代》には、私たち…いや、“旧人類”と言った方が良いかも知れない…大人にはない何らかの特殊能力があるのだとも博之は語っていた。

当然、博之にも常人には到底信じがたい或る特殊な能力があり、佐智子も隆博も実際に“その力”を目の当たりにしていたが、その事は実家にいる二人の両親を含めた他の誰にも口外してはいなかった。

《続きは追記に》。