誰もいない月曜日の朝、灯りの消えたキッチンに二月の雨が降っている。


小さな銀色のケトルに紙パックの牛乳を注いで、くりぃむ色した瓦斯焜炉のつまみを軽く右に廻すと、青白い炎がボッと上がる音がした。


「月曜日の朝のホットミルクの為の単純なレシピ」

壁掛け時計の細く黒い秒針が文字盤のローマ数字を石のように冷たく刻む音が、キッチンを包み込む薄青い雨音の中で小さく硬く鋭く響き渡っている。

素足の裏で踏むカーペットの感触は妙に心地好く、冷蔵庫の白い扉に掛けられたマグネット付きのコルク製メッセージボードの中では、淡い色彩で描かれたピーター・ラビットと仲間たちがひっそりと英国式のお茶会を楽しんでいた。

熱くなった銀のケトルがコトコトと音をたて始めればホットミルクの完成も近い。

閉め切られた窓の外から忍び込む雨音も、飽きる事なく文字盤の上を廻り続ける壁掛け時計の針の音も、焜炉の火の上で小さく震える熱せられた銀色のケトルの音も、どの音も雨ふりの月曜の朝に相応しいデカルト的な規則正しい韻律を踏んでいた。


“時を刻む”とはよく云ったもの。


【時】は、時計の針に刻まれ、心臓の鼓動に刻まれ、アスファルトを歩く靴音に刻まれ、月曜日の朝の雨音に刻まれて‥

のち

人の心に“思い出”と云う名の、今度は逆にデカルト的ではない不思議なものを刻み込む。


時が人を刻むのか、人が時を刻むのか


どちらにしても、

雨の降る月曜の朝の誰もいないキッチンは、どこか水槽にも似ていて、雨音に佇む私の姿も、いつしか水槽の水底でゆらゆらと揺れる海月(くらげ)のように透き通っていた。


透明な私の中を幾つかの小さな思い出が通り過ぎるのを感じたが…それらはすぐに何処か遠いところへ去って行ってしまった。


キッチンと云う水槽の曇った窓を雨粒が次々に滑り落ちてゆく。


降りやむ気配のない雨と壁掛け時計の小さな針は絶えず変わらず、刻々と時を刻み続けている。


やがて、

軒を打つ雨の音が強くなり、ホットミルクが出来上がった。