話題:妄想を語ろう


親戚の法事で久しぶり富游が丘(ふゆうがおか)へ行った。親戚と言ってもかなりの遠縁で、日頃の付き合いも全くない。おまけにそれが「百二十七会喜」なる訳の判らない法要と来れば、出来れば出たくないと言うのが本音である(一般的には“回忌”だが、この地域では“会喜”と書くらしい。確かに「忌まわしさが回って来る」よりも「会える喜びが来る」方が縁起は良さそうではあるが)。

亡くなってから127年。当然、故人を直接知る者は居らず、場には悲しみもなければ喜びもなく、終始乾いた空気に包まれる事になる。リアリティがないのである。そんな訳で午前10時に始まった法要も正午前にはお開きとなった。本家筋と親(ちかし)い付き合いのある者たちは昼食の会席に向かうが、それ以外はそそくさと帰途につく流れとなる。“そそくさ班”の私は、そそくさと会場を後にして最寄りの駅へと向かったのだった。

今日は完全オフ(有給)の上、時刻もまだ早い。おまけに天気も良い。という事で、帰りはタクシーを呼ばずテクシーとした。テクシーとは「テクテク歩いて帰る」、つまり徒歩を表す昭和のお洒落言葉である。

富遊が丘は、その縁起の良すぎる名前が表すように、何もせずとも遊んで暮らせる富裕層が伝統的に数多く暮らしている土地だ。否。数多く、ではない。お金持ちしか住んでいないのである。町並みも大層立派なお屋敷や文化財的価値のある建造物が軒を連ね、見ていて飽きる事がない。緑も多く空気も清涼なので散歩がてら歩くにはもってこいの町なのである。

そんなこんなでぶらぶらと歩を進めていると、偶然にも別の法事に出くわした。ひときわ大きなお屋敷である。王城かと思える巨大な門の向こう側に喪服姿の人達が大勢集まっている。さぞや名のある家に違いない。歩を止め、感心しながら眺めていると、「ああ、どうも」、私に声をかける者があった。歳の頃は六十年輩、恰幅の良い押し出しの強そうな風貌ながら気品がある為に威圧感はない。

不意を突かれて一瞬戸惑うも、相手が誰かは直ぐに判った。社のお得意先、大口の顧客の一人である九条甚太郎氏だ。私は直接の担当ではないが、商談や接待のゴルフで何度か同席した事があるのでお互いに見知っている間柄である。旧財閥の流れを汲む大資産家なのは知っていたが、自宅が富遊が丘というのは知らなかった。大未資産家と高級住宅地、考えてみれば不思議はない。

「これはこれは、わざわざお越し頂き、すみません……」。……ん?九条氏の言葉にハテナマークが浮かぶ。偶然出会っただけなのに、“わざわざ”とはどういう事だろう?「さあ、どうぞどうぞ、お入りになって下さい」。屋敷内に私を招き入れる九条氏。そこで私はハタと膝を打ったのである。

私は喪服を着ている(着替えを持ち歩くのが面倒なので行き帰り共に喪服を着用)。そして此所では法事が執り行われている。となれば、何処からどう見ても私の姿は弔問客のソレである。まさかこの段で、「いえ、私は親戚の法事に出た帰りで、たまたま通り掛かっただけなのです」とは言えまい。そんな事をすれば今後の取引に影響を及ぼす可能性もある。仕方ない。ここは弔問客になりきる事にする。

【故 チャン・五木 七会喜法要】

チャン・五木氏が誰なのかまるで知らない上、非招待の飛び入り参加とは言え、それなりの金額を包む必要はあるだろう。幸い予備の香典袋は持っている。先ずは洗面所を借り、そこで幾らか包む事にする。さて、こういう場合はどれくらい包めば良いのだろう。故人との関係性の低さ(と言うか、“無さ”)を考えれば5千円もあれば十分か。が、ここは超セレブな町、富遊が丘である。一般的な金銭感覚が通用する保証は何処にもない。ここでは5千円が50円くらいの感覚かも知れない。それに、一応は会社を代表して来ている形であり、相手は大お得意先の九条氏である。それなりの額を包む必要があると考えて然るべきだ。と言うことで財布の中の諭吉さん7人を全部包む事にした。5人でも十分だとは思うが、行く時はとことん行った方が良い。

法要は、ざっと見渡す限り三百人を超える壮大なものであった。さすが名門中の名門・九条家だ。故・チャン五木氏が誰なのか、なぜ姓が違う九条家で法要が行われるのかはサッパリ判らないが、恐らくはひとかどの人物なのだろう。

それにしても、遺影というか生前の写真の一枚も掛けられていないのが少し気になったので、横にいたデヴィ夫人によく似たオバサマにそれとなく五木氏の写真について訊ねたところ、「さすがに写真は無いわよ。あーた、ちょっと常識ないわね」と笑われてしまった。そして、なぜ笑われなければならないのか判らずポカンとする私に、追い討ちをかけるように偽デヴィ夫人は言ったのである。

「それと“いつき”ではなくて“ごき”。ゴキブリさんですから」

チャン・五木→チャンごき→ごきチャン→ゴキブリちゃん!。偽デヴィ夫人曰く、チャン・五木氏とは7年前に九条家の食堂の〈ゴキブリほりゃほりゃ〉の中で天に召されているのが発見されたゴキブリだそうだ。ひとかどの人物どころか人物ですらなかった。いやはや、ゴキブリにすらこのような盛大な供養をするとはさすが九条家。或いはこれが富遊が丘のスタンダードなのかも知れない。私はすっかり感心してしまった。と言うより……

ゴキブリに7万も包んでしまったではないか!!

これ、経費で落ちるかな?そんな事をつらつら考えながらの帰り道、信号機は相変わらず四色で、白色が点灯するたびに皆が阿波おどりを踊っていた。

どうやら、パラレル世界から抜け出す日はまだまだ先になりそうだ……。


〜おしまひ〜。