話題:突発的文章・物語・詩


『健康診断』

会社の要請により健康診断を受けに病院へ。何やかんや理由をつけて十年以上逃げ続けていた健康診断だが、今回は半強制的な“業務命令”という事で受けざるを得なくなってしまった。

久しぶりの病院。それも町の医院ではなく巨大な総合病院だ。そびえ立つ白い巨塔に思わず緊張する。とは言え、此処まで来て逃げ出す訳にもいかないので、腹を括って入口のドアをくぐる。

それにしても、健康診断ほど悲しいイベントはそう無いだろう。異常ナシで現状維持、0。異常アリならマイナス。つまり、0かマイナス、その二つしかない引き算のイベントなのだ。これがもし――「この調子で行けば水の中で呼吸が出来るようになるので頑張って」とか「ああ、もう直ぐ羽根が生えてきて空を飛べるようになりますねぇ」――といったプラスの事象が発生する可能性があるのなら、少しは行ってみようかなという気持ちにもなるのだが。

そんな事を考えながら足取りも重く最初の検査に向かう。苦しい検査とかは本当に勘弁して欲しい。が、身構える私の心配をよそに、途中いくらか待たされたものの、特に問題もなく全ての検査が終了した。[案ずるより産むがやすしきよし]とはよく言ったものだ。取り合えず肩の荷を下ろす。検査結果は後日改めて……かと思っていたら、そのまま待ち合い室で待つようにと言付かる。どうやら今は結果が出るのも早いらしい。なるほど、医学も日々進歩しているのだろう。

そんなこんなで待ち合い室の壁に駆けられているよく判らない抽象画をボケーっと見つめて過ごす事40分、ついに名前が呼ばれた。抽象画の中の“どっちを向いているのかよく判らない顔の人”に向かって小さく「行ってくる」と声を掛け、勇躍、診察室の中に足を踏み入れると、其処には信楽焼の狸の置物によく似た初老のドクターが此方を向いて座っていた。表情が少し曇っている。何か問題でもあるのだろうか。

「血液検査なんだけど……正直、良くないですなあ」

スーッと血の気がひいてゆく。どの辺が悪いのだろう?

「冷蔵庫の中にね……」

えっ?冷蔵庫?呆気に取られている私に構わずタヌキ医師は言葉を続けた。

「冷蔵庫の中。消費期限の切れた食品とか調味料が山のように入ってるよね。ほんで、もっと酷いのが冷凍庫だ。20年ぐらい前の牛肉とか入ってるでしょ」

あっ!そう言えば確かに、昔、バーべQした時の残りの牛肉が冷凍庫の一番奥で眠ったままになっている。私ですら忘れているような事を、いったい何故、先生が知っているのだろう。

「そういうの、今、全部数値で出るから。誤魔化せないよ」

数値?冷蔵庫の中が数値で判るのか?

「判ります。今はね、大抵の事は血液検査で判るんですよ」

こいつは驚きだ。まったく、医学の進歩には目を見張るものがある。

「お休みの日にでも思い切って冷蔵庫の中を片付けて下さい。そうしないと[エントロピー増大型冷蔵庫内カオス症候群]になる可能性が高いです」

それは大変だ!でも、そうしたいのは山々なのだけど、何かここまで放置すると冷蔵庫のドアを開けるのが怖くて……。

「そしたら、“勇気の出る薬”お出ししましょうか?」

いや、要らないです要らないです。そんな危なそうな薬、要らないです。自力で何とかします。

「そうですか。……あとの検査は特に問題ないようなので冷蔵庫の中だけちゃんとして下さい。一応、ノ〇スメル出しときますで使ってみて下さい」

有り難うございます。

「あ、それから……秘書室のチョビちゃん、貴方には気がないので誘っても無駄ですよ、残念だけど」

えっ、それも……

「血液検査で判ります。では、そういう事でお大事に」

まったく、トンデモない時代になったものだ。というか、何故チョビちゃんを知ってるんだ?あ、そうか、秘書室の連中も健康診断受けたのか。ほんと、個人情報も何もあったものではない。来年の健康診断が今から恐ろしい。でもまあ、考えようによってはプラスの出来事が発生する可能性が出てきたとも言えるので、取り合えず良しとしておくか。


〜おしまひ〜。