話題:突発的文章・物語・詩



『あなたが竹輪を食べるまで』

竹輪の穴に何を詰めるのか、それが問題だ。

暗闇に包まれた深夜の台所。半開きの冷蔵庫から放たれた薄ぼやけた灯りが床にこぼれている。その小さな光溜まりの中、あなたはしゃがみ、片手に持った竹輪の穴を見つめている。

見詰めれば見詰める程その深淵に吸い込まれそうになる。竹輪の穴は心の穴。だとすれば何かで埋めなければいけない。

何事においても素材選びは大切だという事をあなたはよく知っている。だから慎重になる。今現在、竹輪の穴を埋めるに相応しいものは何か。気温、湿度、体調、星座の位置、その全てが素材選びの重要なファクターとなる。

あなたの脳裏に真っ先に浮かんだのはスティック状のチーズだ。やはり、これが一番か。いや――あなたは小さく“かぶり”を振る――それでは当たり前田のクラッカーだ。ならば野菜か。ただし、細長いもの、細長く出来るものがいい。キュウリ、ニンジン、ゴボウ……あなたはイメージを連ねてゆく……細長いもの……エノキ、カイワレ大根、セロリ、山崎まさよし。あなたは俯(うつむ)く。駄目。どれもありきたりで新鮮味がまるでない。

竹輪には穴が開いている。あなたはそれを十分過ぎるぐらい知っている。しかし――冷蔵庫の光に眩しさを覚えたあなたはあなたは薄目になって考える――自分は本当に竹輪の穴の事を知っていると言えるのだろうか、と。

穴があるから竹輪という名がついたのか、それとも逆に竹輪という名前だから穴を開けたのか。ニワトリと卵だ。どちらが先でどちらが後か。あなたはそれを知らない。それでも竹輪には穴がある事をあなたは知っている。だが、それを知った日付をあなたは覚えてはいない。何歳の時の何月何日か。あなたはまるで覚えていない。それどころか初めて竹輪と出会った日の事すら微塵も記憶していない。結局、あなたは竹輪について何ひとつ知りはしない。その事実に愕然としたあなたの目は光り溜まりの中で更に細くなってゆく。闇の中で視る光の眩しさに“竹輪初心者”という真実の放つ眩しさが加われば、もう、ルクスでは計り切れない眩しさとなる。眩しい、眩しい、眩しい……極限まで目を細めたあなたは、ふと何かに気づく。そして、不敵な顔でこう囁く。

――倍返しだッ。そしてニヤリ。

意図せずして堺雅人氏(半沢直樹)の表情モノマネを会得したあなたは幾分気を持ち直して再び竹輪の穴と対峙する。が、思い浮かぶのは月並みなものばかり。夜の寒さが身に沁みる。こんな事ならカーディガンの一枚でも羽織ってくるのだった。

不意にあなたの中に一つのイメージが飛び込んで来る。カーディガンの袖に腕を通すイメージだ。カーディガンの袖は竹輪に似てはいないだろうか?ならば、カーディガンの袖に腕を通すように竹輪の穴に指を通すのもありなのではないか?

あなたは意を決したように竹輪を握りしめる。そして、婚約指輪を嵌めるように竹輪を薬指に近づけてゆく。「結婚してください」。「はい」。「ヤメルトキモー、スコヤカナルトキモー……」。そう、ここは教会。今日は結婚式なのだ。深夜だから許される一人芝居。牧師まで登場してとても良い雰囲気だ。その刹那……

ヒーックシュン!

ぶるっ。加トちゃんばりのクシャミで正気に返ったあなたは身震いと共に慌てて竹輪を指から遠ざける。竹輪に指を突っ込むなど常識ある大人のやる事ではない。危なかった。ホッと胸を撫で下ろしたあなただったが、結局、事態は何も進展してはいない。振り出しに戻っただけだ。

ここで一度、細長いものという縛りを捨ててみる。マヨネーズやケチャップなどの調味料。昨夜の残りの冷やご飯。福神漬けやしば漬け。鰹節フレッシュパック。候補は無限に存在しそうに思えてくる。頭を使ったせいか、小腹の空き加減が増している。もはや一刻の猶予もない。すぐにでも竹輪を食べなければならない。しかし―あなたは未だ迷っている―いったい何を積めれば良いのだろう。

瞬間、あなたの脳天に閃光が走る。

竹輪だ。竹輪を詰めれば良いのではないか。灯台もと暗しである。あなたは目を閉じてイメージ像を結んでゆく。竹輪Aの穴の中にそれより細い竹輪Bを詰める。竹輪Bにも穴が開いているので何かを埋めなければならない。そこで登場するのが竹輪Bの穴よりも少し細い竹輪Cだ。竹輪Bの中により細い竹輪Cを詰める。更には、竹輪Cにも穴があるのでそこに竹輪Dを詰める。そのような感じで竹輪D→E→F→G……と詰め込んでゆく。どこまで詰めても竹輪には必ず穴があるのでキリがない。つまりは無限に竹輪を詰め込んでゆく事になる。

無限に進む竹輪詰め作業、その穴の中ではアキレスが亀を追い掛け走り続いている。しかし、いつまで経ってもアキレスは亀に追いつけず、あなたが竹輪が詰め終わる事もないのである……。


〜おしまひ〜。


*追記*

一般的な書物で見かける文章はほぼ【一人称】か【三人称】ですが、此所では久しぶりに【二人称】というものを使ってみました。これは、「あなたは……している」のように読んでいる者を主体にするもので、一時期流行ったゲームブックなどで使われていた書き方です。たまには、こういうのも宜しいでしょう。