話題:妄想を語ろう



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『流しのギター弾きの事』

〇〇月××日【金曜日】

(雨、時々、キターー!の目薬)

仕事の帰り、珍しく出勤していた社のCEOに誘われ、同僚四人と【初恋横丁】へ。【初恋横丁】は昭和の面影を残す古い小路に赤提灯がみっしりと軒を連ねる飲食店街だ。ノスタルジックな雰囲気に包まれながら他愛もない話に興じていると、『一曲どうだい?』、暖簾から顔を覗かせる者があった。瞬間、店の空気が一変する。それもその筈、その老年男性こそ〈伝説の流し・チューさん〉だったのである。“流し”というのは主にギター一本を持って飲み屋を渡り歩き、客のリクエストを受けて歌(演歌や歌謡曲が多い)を唄ったり演奏したりする職業の事だ。

それにしても、完全に都市伝説だと思っていたチューさんが実在していたとは驚きだ。西部劇から飛び出したようなウエスタンスタイル。背中に大きなアコースティックギターを背負っている。まるで“ギターを抱いた渡り鳥”(小林旭さん主演のシリーズ映画)だ。本名は不明。昭和初期〜中期の闇市の時代から既に伝説の流しとして知られていたらしいが、いったい歳は幾つなのだろうか。兎に角、全てが謎に包まれている存在なのだ。

そして、チューさんが伝説の流しと呼ばれている理由、それは違う曲のメロディと歌詞を自由自在に組み合わせて唄う事が出来るという特技にある。例えば、レミオロメンの[粉雪]のメロディにイルカ(伊勢正三)の[なごり雪]の歌詞を載せて唄ったり(敬略)、松田聖子の[青い珊瑚礁]の歌詞を藤山一郎の[青い山脈]のメロディで唄うなど洒落た事も可能だ。他にも、メロディはチェッカーズの[涙のリクエスト]で歌詞は殿さまキングスの[涙の操]とか、ミスチルの[HERO]のメロディに麻倉未稀の[HERO]の歌詞など、どのメロディにどの歌詞でも、組み合わせでは自由自在だというから、これは最早、特技を超えて異端の能力、異能と言って良いだろう。凄いのは、長さもムードも異なる曲を聴き手に違和感を与える事なくきっちり唄い切るという点だ。当然、日本に存在する全ての楽曲を知っており、尚且つ演奏出来るという事になる。まさに伝説の存在だ。

何はともあれ、一回の歌唱でメロディと歌詞、2曲分楽しめる上、異次元的な雰囲気に頭がクラクラして酔いの回りも速くなるので酒量も少なく済むので、かなりお得なのである。グリコでは無いけれども、一粒で二度美味しい。更に、チューさんの気分が乗ると、そこに物真似が加わる事もあるらしい。例えば、西城秀樹の[ヤングマン]のメロディに野口五郎の[私鉄沿線]の歌詞を載せ、郷ひろみの声で唄う、とか。そうなると、メロディ、歌詞、声色それぞれ別の物が一つとなり、これはもはや三位一体と言っても過言ではないだろう。父と子と精霊に栄光あれ。尾張、紀伊、水戸の徳川御三家もビックリ、トリオで変身・トリプルファイターという訳だ。


つごう12曲。チューさんの歌唱を堪能した私たちは幸福な気分で【初恋横丁】を後にした。伝説の流し。一生に一度遭遇出来たら大ラッキーと言われるぐらいの存在だが、また逢うことは可能なのだろうか。欲を言えば、もう少し唄が上手くなって欲しい。それから、CEO(瀬尾)くん、君は平社員なのだから、毎日ちゃんと出勤した方がいいと思うゾ。


〜おしまひ〜。