話題:妄想



*本編の前に*

今回の台風で被災された地域の方々に深くお見舞い申し上げます。そして、いち早い復興を祈っております。


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『引っ越しそばの事』

〇〇月××日【日曜日】

(曇り、ときどき、一反木綿)

通りを挟んだ斜め向かいの長らく空き地だった場所が造成され、新たに何軒か家が建った。そのせいか今日は、立て続けに引っ越しの挨拶に人が訪れた。

一人(組)目は如何にも現代風の共に茶髪の若夫婦。ダメージジーンズがボロボロ過ぎるのが気になるが、それは要らぬお世話、話した感じも如才なく、どうやら人は好さそうだ。

「そうだそうだ、これ、良かったら食べて下さい」

そう言って差し出して来たのは、どの角度から見ても明らかに炒飯であった。一瞬、絶句する私に男性の方が言った。

「あ、【引っ越し炒飯】です」

引っ越し炒飯?そんなもの聞いた事がない。

「あ、パラパラ系の炒飯にしちゃったんですけど、しっとり系の方が良かったですか?」

いや、そういう事ではなく。普通は普通は引っ越し蕎麦ではないのか、という話だ。しかしまあ、風習、慣習、しきたりは地域によって違ったりもするので、彼らの暮らしていた所では引っ越し炒飯が普通なのだろう。そう思って炒飯は有り難く頂く事にした。

2人目の来訪者は四十絡みの落ち着いた雰囲気の女性。何でも、子供が大きくなり部屋が手狭になってきたので、意を決して一戸建てを購入したとの話であったが――「お口に合うかどうか分かりませんけど、【引っ越しラザーニャ】です」。

引っ越しラザニア。これも引っ越し炒飯に負けず劣らず珍しい。

「いえ、ラザニアではなくラザーニャです。やっぱり、ラビオリの方が良かったでしょうか?」

“やっぱり”の意味が分からないが、彼女にとってはこれが普通なのだろう。勿論、これも有り難く頂いた。

3人目はパッと見まだ学生に見える地味だが真面目そうな若夫婦だった。半年前に結婚し、旦那の実家に住んでいたのだが、住宅支援ローンを受けられる事になったので新居を購入したらしい。

「あの…これ、【引っ越し煮麺(にうめん)】なんですけど…どうぞ」

引っ越し煮麺。これも初めてだが、炒飯→ラザニア、いや、ラザーニャと来ているのでもはや驚きはさほどない。むしろ、ついに麺類に来たか、という手応えさえ感じる。有り難う。頂いておきます。

4人目は初老のアメリカ人夫妻。夫はケビン・コスナーに似ていて、奥さんもケビン・コスナーに似ているという、よく判らない似た者夫婦だ。これはきっと、とんでもなくアメリカンな物が出てくるに違いない。【引っ越しホットドッグ】とか【引っ越しジェリービーンズ】、【引っ越しマンハッタンクラムチャウダー】など。ところが、私の予想は大ハズレで、「オー、ソーダソーダ、コレ、モッテキマシータ。ヒッコシソバデース」、何と!一番変な物が出そうなところで正解がやって来た!

と思ったのも束の間、彼らが持って来たのは蕎麦は蕎麦でも蕎麦湯であった。引っ越し蕎麦湯。蕎麦湯だけ貰っても仕方ないのだが、説明するのが面倒臭いし、大切なのは気持ちなので、笑顔で受け取る事にした。いい流れだ。かなり正解に近づいている。あと一歩だ。

と思っていたところに5人目がやって来た。5人目は見た瞬間にエリートと判る銀縁眼鏡の男性だ。歳は三十路あたりで、さしずめ外務省のキャリア官僚といったところか。引っ越し炒飯→引っ越しラザーニャ→引っ越し煮麺(にうめん)→引っ越し蕎麦湯。流れは良い。順当ならここで正解の【引っ越し蕎麦】が登場して大団円を迎えるはず。そして、ついにその時が訪れた……

「【引っ越し蕎麦】です。宜しければお納める下さい」

やった。今度は蕎麦湯ではない。正真正銘の日本蕎麦の生麺だ。終わり良ければ全て良し。私はホッとし、溜飲を下げたのであった…………と思ったところで、ふと、ある事が頭を過った。確か、空き地跡に建ったのは4件だったはず。が、引っ越しの挨拶に訪れたのは5人(組)。先程までの4組は話の中で確認が取れている。となると(ダック)、今目の前にいるエリート官僚は何処に越して来たのだろうか?私は訊ねた。すると……

「爽健美町のハト麦公園の隣です」

爽健美町のハト麦公園って…7、8q離れている所だぞ。電車の駅でも2つ離れている。

「いえね、うちの方では半径10q以内で同じ名字の家に引っ越し蕎麦を届ける慣習があるのです。という事で、もうお目に掛かる事は無いかも知れませんが、宜しくお願いします」

うむ。恐らくもう会う事は無いだろう。とは言え、人生というのは何が起こるか判らない。もしかしたら、この先深い関係になるかも知れない。私はこれまた有り難く納める事にした。それにしても、本当に様々な慣習があるものだ……。

〜おしまひ〜。