話題:SS




――【こってり編】――


小学生の頃、通学路の空き地に怪しげな物売りのオジサンが出没する事があった。現れるのは決まって日の暮れかかる下校時だ。古びた軽トラックの荷台に幌を広げ、学校帰りの子供たちを吸い寄せる。売っているのは聞いた事もないようなメーカーの玩具や手品グッズばかり。品物も怪しければ人物も怪しい。しかし、その胡散臭さは同時に魅力でもあり、一部の少年少女たちの怪奇趣味を満たすに充分な代物であった。

小4の秋の夕暮れ。校門を出た僕は、通りを吹き抜ける風に或る種の怪しい匂いを嗅いだ。そこで、いつもは真っ直ぐ進む文房具屋の十字路を右へと折れたのだった。その先には原っぱになっている空き地があり、その場所こそ件の物売りの出現ポイントに違いなかった。怪しい匂いはそこから吹いているように思える。煙草屋の、今はあまり見掛けなくなった旧式ノッポの赤い郵便ポストの角を曲がると怪しげな気配がますます強くなった。原っぱが目に入る。ふふん。果たして空き地の片隅にはくすんだ白の軽トラが停まっていた。

先客が二人いた。ランドセルを背負った小さな男の子、1年生か2年生だろう。二人の顔を見た私は一瞬ギョッとした。と言うのも、ちょうど同じ高さに並んだ二つの顔が全く同じ物だったからだ。双子の男の子。見掛けない顔だ。二人は私が近づくのを合図にでもしたかのように離れていった。この空き地はちょうど学区の境目あたりにあるので、もしかしたら隣の小学校の生徒かも知れない。空き地を去る二人の背中を夕陽が染めてゆく。この世の終わりを思わせるように空が真っ赤に燃えていた。電線には数え切れない程の烏がシルエットとなって浮かび上がっている。

指から出る魔法の煙、ドラキュラの入れ歯、荷台の上の商品たちは無造作に置かれているようでもあり、規則正しく列べられているかのようでもあった。混沌と秩序の不思議な同居。幌の隙間から中途半端に西日が射し込んでいるせいで目がチカチカしてくる。そこは日常から独立した黄昏色の夢の世界であった。球体のように閉じて独立した空間、時間も同じく茜色に燃える球体の中で完結している。

「なあ坊や、手品は好きかい?」

不意に話しかけられて僕は反射的にゴクリと唾を飲み込んだ。そして「うん」と小さく頷いた。「そうか、そうか」。物売りのオジサンは満足気な顔で先を続けた。

「実は面白い手品があるんだよ。とっても珍しいもので世界に3つしかない。やり方は簡単だけども誰もが吃驚(びっくり)する事受け合いさ」

それを聞いて僕の興味は一気に増した。世界に3個だって。それはすごい。幻のスーパーカー、ランボルギーニ・イオタだってもう少し数があった筈だ。

「オジサンは世界中を旅して、そのなかの2個を何とか手に入れたんだ。1つはシルクロードのガンダーラ仏跡、もう1つはポーランドの貴族の末裔のお屋敷で。で、1つはオジサンが自分で実演する為の物だから非売品だけれども、残りの1つなら売ってあげてもいいと思ってる」

オジサンはそこで言葉を切り、こちらの顔を覗き込むように見た。その時、僕はどんな顔をしていたのだろう。恐らくはキョトンとしていたに違いない。僕の反応がないのをみてとったオジサンは、柏手のようにポンと自らの手を打ち、こう言った。

「よし、判った。今からオジサンがその手品を実演してあげよう」

軽トラの横には粗末な感じの木のテーブルと椅子二脚が置かれており、僕とオジサンはテーブルを挟んだ対面に、喫茶店に来た親子のように座った。

「さあ、世にも珍しい〈コインの瞬間移動マジック〉の始まりだ」

そう言うとオジサンは、いつの間に懐から出したのか、一枚の金貨をテーブルの上に置いた。世界にも稀な手品だと言うから、もっと大掛かりな凄いものを想像していた僕は完全に拍子抜けしてしまった。けれども、オジサンはそんな事はお構いなしに、テーブルの上に両手のひらを上に向けて開くと、「さあ坊や、好きな方の手のひらの上にコインを載せてごらん」と言った。

僕は右の手のひら――僕の側から見れば左――の上に金貨をそっと載せた。

「こちらでいいのかい?」

「うん」

オジサンは両手のひらを握りこぶしに変え、上下の向きを逆さまにした。つまり、僕の目の前には手の甲が上になったオジサンの握りこぶしが2つ並んでいる訳だ。そのこぶしは意外にも綺麗で柔らかそうなものだった。オジサンの目は顔の大きさに比べて驚くほど小さく、あり得ないくらいまん丸である事に、その時初めて僕は気づいた。しかも瞳のすべてが黒目になっている。目が合うとまるで夜の深い井戸を覗き込んでいるような気持ちになる。

「さてと、坊や、コインは今どっちの手の中にあると思う?」

そんなものは判りきっている。僕はオジサンの右手の握りこぶしを指さした。

「はい、正解」

オジサンが握っていたこぶしを開くと、当たり前のように金貨があった。

「今のはただの確認。ここからが本番さ」

そう言うとオジサンは先程と同じように手の甲の側を上に向け、再び両手のひらを握り直した。と同時に、何やらヘンテコな呪文を唱え出した。

「はぷひれさなやらか〜」

唖然とする僕を尻目にオジサンの呪文は法華のお経のようにだんだん調子を上げてゆく。

「あっちゃぷれ〜」


そして………

「ひゃいっ!」

気合い一閃。ひときわ熱のこもったかけ声を上げると、にゃりと笑って言った。

「はい。たった今、コインは右手の中から左手の中に移動しました」

そんな馬鹿な話はない。僕はずっと見ていた。金貨を持ち換えた様子は全くなかった。両手の握りこぶしの間には15センチぐらいの空間が保たれている。移動は不可能だ。

「おや、その顔は信じてないね」

僕は自信を持って頷いた。

「では、コインが移動した証拠をお見せしよう」

オジサンがゆっくりと手のひらを開いてゆく。すると……。

「えっ?」

またもや僕は呆気にとられた。金貨は相変わらずオジサンの右手、僕から見れば左側の手のひらの上にあったのだ。金貨は移動なんてしていない。いったいこれのどこが“世界でも稀な手品”なのだろう。

「あれれ、オカシイな……どうやらオジサン、手品に失敗してしまったようだ」

そうだろう。明らかに手品は失敗している。にも関わらず、オジサンの口調がやけにわざとらしいのが気になる。

「……と思わせて、やっぱりオジサンの手品は大成功だ。コインはちゃんと右手から左手に移動している」

言われた僕はオジサンの両手を見つめる。けれども、やっぱり金貨は移っていない。僕が置いた時と同じ、オジサンの右手、僕から見れば左の手の中にある。僕は不可解と疑念のこもった眼差しでオジサンを見つめた。

「坊や、よーく見てごらん。コインはどっちの手の中にある?」

「右」

間髪入れず僕は答えた。するとオジサンは何やら含みのある言い方でこう言った。

「そうかな?もっともっとよーく見てごらん。コインが載っている手は“本当に右手”なのかな?」

よく見つめる。別の角度から。物理的に心理的に。そこでようやく僕は察知した。オジサンの手品はちゃんと成功していた事に。

「ほほ、どうやら判ったようだな」

僕は頷いた。間違いない。金貨のある、対面の僕から見て左の手、オジサンの右手は信じられない事に親指が外側についている。つまり、それは紛れもない“左手”だった。コインが移動したのではない。コインの空間座標はそのままに、オジサンの“手首から先”が入れ替わったのだ。右手だったものが左手に。

ここまでくると最早、発想の転換などという問題ではない。何という気味の悪い手品なのだろう。

「さてさて、世にも珍しいこの手品のタネがたったの千円ポッキリだ。どうだい坊や、買わないかい?」

オジサンは傍らから小さな箱を取り出してテーブルの上にコトンと置いた。箱の表面、透明なセルロイドの窓から箱の中が見えている。オジサンが握っているのと同じ金貨、針と糸、赤チン(消毒薬)の小瓶、そして、痛み止めだろうか?[イタミトレール]と書いたラベルの貼られた謎の錠剤の瓶。

ついぞ気づかなかったが、オジサンの手首には周囲をぐるりと取り巻くように縫い付けたような傷痕があるのが見えた。
僕はゾッとして背筋が冷たくなった。こんな手品、欲しくない。赤チンとか痛み止めが必要な手品など金輪際聞いた事がない。

「オジサン、明日からまた世界に行っちゃうから、この機会を逃したらもう永遠に手に入らないかも知れない。それが千円。買った方がいいと思うなあ」

オジサンの背後で夕陽が燃えていた。地平線に沈む寸前のひときわ強い光。間もなく日は沈み、町は闇に包まれる。

「お金持ってないから」

僕は半ば振り向きながら短く言い捨てると逃げるように空き地を後にした。決して振り向いてはいけない。そこには魔術師がいて、振り向いたが最後、きっと僕は何処か知らない世界に連れて行かれてしまう。きっとそうだ。そうして僕は陽の落ちかかる茜色の町を一目散に家まで駆け抜けたのだった。

夕飯の席でこの話を家族にした。次の日、学校で友だちにも話した。けれども、誰もまともに取り合ってはくれなかった。「何かの見間違いだよ」「夢でも見てたんじゃないの」。

そうかも知れない。常識的に考えて、瞬間的に手首から先を入れ換える事なんて出来る訳がない。けれども、あれは絶対に夢ではない。僕はしっかりとこの目で見たのだ。もしかしたら、あのオジサンは世界中を旅して回る本物の魔術師なのかも知れない。そんな事を思うようになった。

その後間もなく、空き地の原っぱは無くなり、怪しげな物売りのオジサンが出没する事も無くなった。

その日以来、僕は妙な癖を持つようになってしまった。右手と左手が気づかぬ間に入れ替わったりしていないか、無意識のうちに確認してしまうのである。

そして最後にもう一つ。僕の前に先客としていた双子の男の子。隣の小学校に通っている塾の友だちに訊いたところ、自分の学校に双子の生徒はいないとの事だった。もちろん、僕の小学校にも双子の子はいない。いったい、あの男の子たちは何処からやって来たのだろう。幾ら考えてみてもそれだけは解りそうになかった。



〜おしまひ〜。


《追記に【さっぱり編】あります》

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