話題:突発的文章・物語・詩
そろそろ眠ろうと枕元の灯りを消した途端、待ってましたとばかりにヤツが現れた。ぶ〜ん。音で判るその正体。そう、エスキモーだ。いや、モスコミュール。違う、モスキートだ。日本語で言うところの「あ」。ではなく「た」。いや「か」。そう「蚊」だ。
…………
おや?夏なのに“アキ”れた顔をしていらっしゃるのは何故ですか?
それはともかく、寝ようとしたところに蚊の出現。灯りをつけると姿を消す。そして、灯りを消すと、また現れる。よくある話だ。そんな追いかけっこを楽しみたいのはやまやまだが、生憎、今日はとても疲れている。買い物に出掛け、ほぼ半日歩き通しだったのだ。蚊と遊ぶだけのエネルギーは残念ながら残されていない。
そんな訳で、蚊は放っておく事にした。実を言えば、今日は蚊の当たり日で朝に一ヶ所、夕方に三ヶ所、夜にも三ヶ所と計7回も蚊に食われていた。いい加減勘弁して欲しいところだが、こればかりは仕方ない。これもまた献血の一つの形と割り切るしかあるまい。昭和的に表現すれば、出血大サービス。そう言えば、今日は街も夏の謝恩セール一色だった。家電ショップでは標示価格から20%オフで更にポイントが通常の10倍つくキャンペーンをやっていたし、お昼に入ったカレー屋でも全品10%増量で小サラダが無料になっていた。薬局も雑貨屋も服屋もそれぞれ価格が10%オフだったり何かしら特典がついたりしていた。
ぶ〜〜ん。蚊の羽音が顔の上を旋回する。着陸地点、乃ち、吸血ポイントを探しているような感じの音だった。さあ、どこからなりとも好きに吸うがよい。そして速やかに立ち去り、私をゆっくり眠らせてくれ。
ぶ〜〜ん。ぶ〜〜ん。
羽音が顔の上で止む。と同時に首筋にチクリとした小さな痛みを感じた。蚊に食われた瞬間である。が、どうも何かがおかしい。今まで何千回と蚊に食われてきた身だが、これ迄とは明らかに感触が違うのだ。吸われ感がまるでない。それどころか体中に力がみなぎって来るのが判る。血を吸われているのではなく、逆に元気を注入されている感じだ。
と、その時、耳元で微かな声がした。音ではない。声だ。そして、声は囁くようにこう言った。
「現在、“夏の大感謝祭”の期間中でして、本日吸わせて頂いた貴方さまの血液、その10%をキャッシュバックという形で還元させて頂きました」
えっ?訳が判らぬまま私は反射的に「あ、ありがとうございます」と答えていた。
「いえいえ、此方こそいつも有り難うございます」
話の相手は蚊で間違い。それにしても、蚊に血を吸うだけでなく吸った血を戻す能力があるとは知らなかった。これは驚きだ。更に驚きなのは蚊が人間の言葉を話せる事だ。
「蚊って人間の言葉を話せたんですね。不見識でした。お恥ずかしい」
「ええ、まあ、私たち蚊に限らず大抵の昆虫や動物、植物は人間の言葉を話せますけどね。ただ、人間って、ああ言えばこう言うで何かと面倒くさいので、皆話せないフリをしているだけなのです」
そうだったのか。それはショックだ。万物の霊長などと驕り高ぶっている場合ではない。
「ちなみに、私たち蚊を漢字で書くと虫ヘンに文ですけど、この文は飛ぶ時の羽音である“ぶ〜ん”から来ています。ぶ〜んなので文」
これまた私の知らない豆知識だった。色々と勉強になる。ありがとうございます。
「あ、すみません、今のは冗談です。モスキートジョーク」
……何と言う事だ。この手のジョークにコロッと引っ掛かるとは。さすがに今のはちょっと悔しい。
「ところで……」
蚊が言葉を続ける。
「ポイントカードはお持ちですか?」
藪から棒に何を言う。
「いえ、持ってませんけど」
「お作りする事も出来ますけど」
「う〜ん……」
その瞬間、時計の針が文字盤の12でピタリと重なった。
「あ、ただ今、日付けが変わりましたのでキャンペーン期間は終了とさせて頂きます。では、これにて失礼をば」
「あ、ちょっと待って、ポイントカード作りたいんですけど……」
ぶ〜〜〜ん。
どうやらもう蚊に人間の言葉を話す気は無さそうだった。
ぶ〜〜〜ん。
来年こそはポイントカードを作ろう、私は強く思っていた。どんな特典があるのかは全く判らないけれども……。
〜おしまひ〜。