名もなき雨の前奏曲(PRELUDE )5 Unplugged -1《小さなマリア像》。

話題:連載創作小説


―Unplugged short story-1―

1838年 スペイン領マジョルカ島 晩秋。

楽園の孤島と呼ばれ、いつもは暖かな陽射しの降りそそぐ地中海のこの島も、時は十月、雨季の長雨に晒される肌寒い日々が続いていた。この年の雨は特に冷たく、風光明媚で知られる風景もすっかりとその豊かな色彩を失ない、空一面を重たく覆いつくす雨雲と共に見る者に憂鬱な印象を与えていた。

マジョルカ(マヨルカ)島の中心部からかなり離れた深い山の中にヴァルデモサという名前の村がある。落ち着いた雰囲気の石畳の街路に建ち並ぶ数々の建物もやはり堅固な石造りで、それを美しい稜線を持つ山並みが取り囲んでいる。

そんな絵葉書の風景のような美しいヴァルデモサの村の小さな修道院、その一室に若い男性の姿があった。年の頃は三十くらいだろうか。繊細さを感じさせる端整な顔立ち。しかしそこには深い翳りの色が確かに見えていた。

時刻は朝。しかし、昨夜から降り続く雨のせいで、朝の光はどこか弱々しく遠慮がちに窓の硝子を蒼白く照らしていた。

部屋の扉が静かに開く音がして、艶やかな長い黒髪の女性が姿を見せた。その女性は少し心配そうな顔つきで部屋の中にいる男に声をかけた。

「…起きていて大丈夫?もう少し横になっていた方が…」

男は、あまり力強いとは云えない微笑みでそれに答えた。

「いや、今朝はいくらか体調が良いんだ。ようやくピアノも届いた事だし…」

言葉の途中で男が激しく咳き込む。普通の咳ではない。女性が慌てて男に駆け寄り背中にそっと手を置く。

見ての通り、男の体は病に蝕まれていた。病名は結核。その転地療養の為、男は温暖なマジョルカ島を訪れていた。当初は島の中心部にある【風の家】という名の貸し別荘に滞在していたが、彼が結核である事が周囲に知られると、次第に其所に居づらいようになり、街から離れた山間の修道院へとその居を移したのだった。結核は当時、伝染性を持つ不治の病として知られていた。

男の咳は程なく止まった。

「すまない…もう大丈夫」

しかし、女が心配そうな表情を崩す事はなかった。

「やっぱり、もう少し休んでいた方が…」

だが、男はそれに対して小さく首を横に振った。


《続きは追記からどうぞ♪》



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閑話休題(4と5の間に)。


話題:連載創作小説


えー…現在、『名もなき雨の前奏曲』(プレリュード)を雅楽の如き“まったりとしたテンポ”でお届けしているわけですが…

次の【5】から、恐らくは読んでいて“ちょっと引っ掛かる”或いは“ちょっと気になる”、そういう箇所(部分)が出てくるだろうと思われます。

ここで一つ、皆様にお願いがあります。それは…

「私の銀行口座にお好きな金額を振り込んで欲しいのです♪最も金額の高かった方の名前を主人公の名前として採用します。いわゆる入札ですね。という事で、最低入札額は五十万円から宜しくどうぞ♪」

あ、そうそう…名前のオークションと言って思い出すのは【鬼気麒麟さん】…いや、【樹木希林さん】です。彼女は元々は【悠木千帆】という芸名でした。それを或る番組でオークションにかけ、競り落とした方に“悠木千帆の名前”を譲った。そして自分には新たに“樹木希林という名前”をつけた。

かなり昔ですが、そんな事がありました。

………

えーと何の話でしたっけ?

……そうそう、“お願い”の話でした。

次の【5】から色々と引っ掛かる部分が出てくると思いますが、出来ればそれを検索などで調べず、そのまま読み進めて欲しいのです♪ 何故なら、その方が話を楽しめると思うからです♪

まあ、既に知っている場合はどうしようもありませんが、取り合えずはそういう事ですので、何とぞ宜しくお願いします♪

というわけで…この先も“まったりとした進行”をお楽しみ下さいませ♪(/▽\)♪

名もなき雨の前奏曲(PRELUDE ) 4《この世には存在しない解》

話題:連載創作小説


彼女は慎重に言葉を選びながら、雨の日に必ずテラス席に座っていた青年の事をマスターに訊ねた。幸いにも、その理由について問い質されるような事はなかった。

正直、そこを突かれていたら彼女としては答えに窮せざるを得なかった。もともと、彼女と青年の間には関係と呼べるほどのものはない。けれども、あの青年はやはり彼女にとっては特別な存在だった。しかし、それを他人に上手く説明する事は限りなく不可能に近い。彼女は詮索されなかった事に内心で深く安堵しながらマスターの返答を待った。

ところが、彼の口から出てきた言葉は彼女にとって全くの意外なものだった。

マスターは、彼女の話すような青年にはまるで心当たりがないと云う。

いや、彼女とて、なにもマスターが青年の氏素性まで知っているなどとは思っていない。それでも会話の一つや二つ交わした事はあるだろうし、もしかしたら名前くらいは知っているかも知れない。少なくとも会話の中に青年に繋がる何かしらのヒントが存在する可能性もある。そういう意味で彼女は訊ねていた。

しかし、マスターは「この店でそのような青年の姿を見かけた事はない」と、青年の存在そのものをきっぱりと否定したのだった。

そんな馬鹿な話はない。

彼女はこれ迄、雨の降る日に何度も青年の姿を見かけていたし、あれほどの美しさを持つ青年だ、印象に残らないわけがない。

彼女はもう一度同じ質問を繰り返した。しかし、返ってきた答えは先程と全く同じものだった。

表情や話ぶりを見る限り、マスターが嘘をついているとは到底思えない。そもそも、嘘をつく理由がない。彼女が店に入ったのも青年について訊ねたのも、全ては突発的な出来事だ。それに対して咄嗟に嘘をつこうとすれば、必ず挙動の何処かに不自然な感じが出るはずだ。ところが、彼の応対にはそういう不自然さはまるでない。

しかし……彼女は考える。そうなると、あの青年は存在しない事になってしまう。それは彼女が見た現実と符合しない。つまり、両者を同時に成立させる解は世界の何処にも存在しない事になる。

予想外の展開に彼女は次なる行動の指針を失なっていた。

すると、困惑で口をつぐむ彼女にマスターから助け船となる言葉が出された。

「…もし宜しければ、他のお客さんにも訊いてみましょうか?」

マスターに拠れば、名曲喫茶《平均律》は客の殆どがいわゆる常連と呼ばれる人たちで、毎日店に来る人も少なくないという。自分は彼女の云うような青年に心当たりはないけれども、常連さんなら知っているかも知れないので訊ねてみてはどうか?と云うのだ。

無論、その申し出を断る理由は彼女にはなかった。

常連らしき客たちの間を歩き廻るマスターの姿をぼんやりと眺めながら彼女は思っていた…

自分は此処でいったい何をやっているのだろう?名前も知らない青年を探して馴染みのない店へ入り、計らずもこうして他人の手を煩わせてしまっている。もともとこれは、彼女の心の中だけのごくごくプライベートな問題であったはずだ。彼女は自分の取っている行動がまるで理解出来ずにいた。


《続きは追記からどうぞ♪》




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名もなき雨の前奏曲(PRELUDE ) 3《ため息》


話題:連載創作小説

気がつくと彼女は名曲喫茶【平均律】のドアに手をかけていた。手のひらに真鍮の冷たい感触が伝わる。そのままゆっくり扉を引くと、カランカランという乾いたドアベルの音色が優しく辺りに響き渡った。

久しぶりに足を踏み入れた【平均律】の店内は、以前訪れた時と全く変わりのない姿を見せていた。時代を錯覚したような古めかしい椅子やテーブル、床や壁に染み込んだ年月が独特の芳香を放っている。

ぽつぽつと離れて座る客たちも現代の流行など“どこ吹く風”といった有り様で、それぞれが自由に本を読んだり物思いに耽っていたりと、気ままな時間を過ごしている。

彼女はさり気なく店内を見渡した。が、青年の姿は何処にもない。

やがて彼女が窓際の片隅の席を選んで座ると、水の入ったグラスを持ったマスターが静かな足取りで注文を取りにやって来た。

名曲喫茶【平均律】のマスターは穏やかさを絵に描いたような初老の痩せた男性で、黒い丸眼鏡の奥では小さな瞳が優しげな光を放っていた。

彼女はエスプレッソを頼んだ。

それから思い出したように雨で少し濡れている外套を脱ぎ、それを丁寧に折りたたんだ。そして、濡れている部分が上になるようにして向かい側の空いている椅子の上に置いた。

店内にはフランツ・リストの《ため息》が流れている。

質のよい大型のスピーカーから最適な音量で流れてくるリストのピアノ曲は、聴く者の心を魅了するに十分なものだった。

流石に名曲喫茶と銘打つだけの事はある。恐らくはスピーカーの配置も、客がどの席で聴いても曲の良さが損なわれないよう計算されているのだろう。彼女はすっかり感心していた。

同時に、二十歳の頃の自分がこの店を知っていたなら間違いなく通いつめていたに違いない、とも思った。

彼女は三歳からピアノを始め、半ば英才教育に近い形でそのまま音楽学校へと進んだ。将来はピアニストとして世界へ羽ばたく事が彼女の幼い頃からの夢であったし、当然そうなるものだと信じてもいた。

しかし、現実はそう甘くない。彼女がピアニストになる夢を諦め、一般の会社に就職したのが二十五歳の時。それは彼女がこの街で暮らし始めた時期でもあった。

現在の彼女は音楽とは無関係の事務の仕事をしている。彼女の心は音楽と一定の距離を保とうとしていた。

それで彼女は、この名曲喫茶の存在を知った後も意識的にそれを遠ざけてきたのだった。…あの日、雨のテラスに美しい青年の姿を見る迄は。

もしかしたら、雨の日の喫茶店という場所は、忘れかけていた記憶を呼び覚ます性質があるのかも知れない。

彼女は、リストの《ため息》を聴きながら、自分がまだピアニストを目指していた頃を思い出していた。

すると、不意に妙な感覚が彼女を襲った。

それは、あの美しい青年と彼女の中にある何かとを結びつけた。時計の長針と短針が十二時に重なり合うように、その二つは瞬間ピタリと彼女の中で重なり合った。

彼女の中で確かに何かが起こっていた。しかし、それが何なのか、それが判らない。

その時、テーブルにコトリと珈琲カップが置かれる音がして、彼女の思考は中断された。

「ごゆっくりどうぞ」

マスターは丁寧な口調でそう云うと、くるりと彼女に背を向けた。

「あ、あの…」

背中を呼び止められ、マスターが振り向く。

彼女は、あの青年について何か知っている事はないか、マスターに訊ねるつもりだった。しかし、どう切り出して良いのか判らない。彼女は自分から呼び止めておきながら、黙りこんでいた。けれども、マスターは柔和な笑顔を崩す事なく彼女が次に口を開くのを待ち続けてくれた。

これがもし客の回転率の高い簡易型のカフェ店舗であったなら、彼女の焦れったい態度に少なからず店員は苛立ちを見せていたかも知れない。そして、至近席の客たちも怪訝な眼差しを彼女に注いだ事だろう。

けれども、此処はそういう場所ではない。客が急き立てられるように時間に合わせるのではなく、時間の方が客のテンポに寄りそうように流れている。そういう特異点とも云うべき世界だ。

また、座席と座席の間に適度な距離をもつ空間があるお陰で周囲の目を気にする必要もない。

そんな店内のゆったりとした空気とマスターの落ち着いた態度、そして流れ続けるリストの《ため息》が、彼女の肩から不要な力と緊張を取り除いてくれた。

自らのテンポを取り戻した彼女は、自分でも驚くほど自然に話を切り出していた。

緩やかに流れる時間の川に、言葉の舟をそっと浮かべるように。

〜4へ続く〜。




名もなき雨の前奏曲(PRELUDE ) 2《翼のない天使の風景》

話題:連載創作小説

その日から彼女の日常は少しだけ変わった。いつもと同じ仕事の帰り道、喫茶店の前を午後五時半に通る時、彼女はそこに青年の姿を探し求めるようになっていた。

それは恋かも知れなかったし、或いは、そうではなかったのかも知れない。そもそも、恋自体、必ずしも男女の間にのみ存在するというものでもない。遠く離れた故郷に恋しい気持ちを抱く事もあれば、懐かしい料理の味を恋しく思う事もある。

理系ふうに云えば、「人と対象物の間に存在する非物質的世界に漂う科学では検出不可能な未知の元素」。文系ふうなら、「人と何かを結びつける純粋な慕情、思慕の念」。敢えて、恋という言葉を別の言葉で云い変えるならば、そんなところかも知れない。

いずれにしても、彼女が青年に対して抱いていた気持ちや感覚を一言で説明するのは困難であったし、また、そうする必要もないように思えた。

それから半月の間、彼女はそんな感じで、帰り道の喫茶店、そのテラス席に青年の姿を求めながら日々を過ごした。青年の姿がある事もあれば、ない事もあった。そして、青年の姿がそこにある時は決まって雨が降っていた。逆に云えば、この小さな街に雨が降る時、青年は必ずそこにいた。

青年はいつも一人で、テーブルに置かれた白い珈琲カップをただ一人の友として物憂げな表情で雨のテラス席に座っていた。遠い視線は、雨の向こう側にある此処ではない何処か別の世界へと注がれているように見えた。

そんな青年の前を彼女は足を早めるでもなく立ち止まるでもなく、ちらりと僅かな視線を投げかけるだけで通り過ぎる。他から見れば、それはありきたりな雨の日の風景に過ぎなかっただろう。

会釈を交わすでも話し掛けるでもなく、ましてや席を共にするわけでもない。青年が彼女の存在に気づいているのかどうかすら判らない。雨の街角で一人の男と女がすれ違うだけ。それだけの関係だった。


《続きは追記からどうぞ♪》




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