(隠蔽版)渋谷〜原宿間を1時間かけて走る山手線のように。

現在、また例によって妙チクリンなアレ…と言いますか…心の中に棲むトルストイの命令でアレされている訳ですが…

これ…本当に……と、何やら難儀な事になっております。

渋谷から原宿の間を1時間かけて走る山手線のような、ガラパゴスゾウガメにも追い抜かれそうな進行速度…。「アキレスは亀に追いつけない」と語ったゼノンの言葉がせめてものすくい投げです。いえ、救いです。

この「ゼノンのパラドックス」ですが、私はこのように解釈しております。

恐らくアキレスは野球帽をかぶっていた。そして、帽子のツバから糸を垂らし、その先端に亀を括りつけていたに違いない。つまり、目の前に糸に吊るされた亀がぶら下がっている形です。そして、その状態のままアキレスは走った。しかし、どれだけ走っても亀に追いつく事は出来なかった…。まあ、当たり前田のクラシックカーです。

そして、それを古代ギリシャの代々木国立競技場か何処かで見ていたゼノンは、「ゼウスと鶴」のパラドックスを思いついた…と。

ん?…違いましたっけ?

「アポロンと驢馬」?
「アルテミスと日高昆布」?
「アフロディーテとミジンコ」?

…まあ、「カルロストシキとオメガトライブ」みたいな感じのパラドックスを書き残したのです。

………

えーと…何の話でしたっけ?

そうそう。あの話でした。


で、また…肝心のアレも御茶ノ水〜水道橋間を総武線が1時間かけてまったりと進むような感じで…。

何とか、正月の餅つき大会に間に合うようにとは思っているのですが…

果たしてどうなります事やら。

と云うか、はっきり言ってこの先あまり時間も取れないでしょうし、かなり厳しいかと。

それまでは、モスクワ〜ウラジオストク間を20秒くらいで駆け抜けるシベリア超特急のような「超高速ダジャレ」でしのいで行こうと考えております。

それ以前にナンジャモンジャな可能性もなきにしもあらずなので、出来れば、今の話は全て忘れて頂けると有り難くおもいます…。

いや、是非ともこの話はなかった事に。


【終】。


佐野厄除け大師のCMでは明らかに雰囲気のミスマッチです。

と云うか…「こんな記事を書く暇があるなら、さっさとアレせい!」と、先程から心の中のドストエフスキーに怒られ続けております。





貴方はクライムサスペンスの主役に決定しました。


話題:妄想話



――――――

貴方は、明け方にかかってきた謎の電話が鳴らす、けたたましいベルの音で目を覚まします。

ベルの音だけで“謎の電話”と呼ばれるくらいですから、これはもう相当に謎めいています。

クライムサスペンスな一日の始まりは、そんな風に理不尽な時間に理不尽な形で訪れるのがベストだと考えられます。

半分寝ぼけ眼で受話器を取った貴方は「…Hello」と、うっかり英語で電話に出てしまいます。

貴方が寝泊まりしている部屋はパリの裏通りにある小汚ない下宿屋の二階ですが、貴方自身はアメリカ人です。ですが、訳あって現在は表向きフランス人という事になっています。

ここで貴方は、迂闊にも母国語である英語で電話に出てしまった事を軽く後悔して下さい。

ですが、こういう迂闊なミスが無いとクライムサスペンスは上手く話が展開して行かないので、むしろ、貴方はこの時“良い仕事”をしたと云えます。

終盤での迂闊なミスは明らかに命取りですが、序盤のミスは逆に吉兆と捉える事も可能です。

何故なら、クライムサスペンスの基本原則は先手必勝ではなく、先手必敗。最初に攻め込まれた方が最終的に勝利を収めるケースが多いからです。

しかし、それは製作者サイドからの観点なので、当事者である貴方は、自然体で自分の迂闊さを悔やんでいて下さい。


《続きは追記からどうぞ♪》


more...

ダジャレの前菜三種盛り合せ(哀しみの冷菜)。

話題:突発的文章・物語・詩


☆一品目『三蔵法師に会いに』


空き地に三蔵法師らしき人物がいると云う噂を聞きつけ、一目見ようと行ってみた。

着くと、確かに其処には何者かが
いるようだった。しかし、それは常に空き地の中を高速で移動しているらしく、まるで実体を掴む事が出来ない。辛うじて捉えられるのは、移動する半透明の影像のみであった。

そう。それは三蔵法師の偽者…

“ざんぞう法師”(残像法師)

だったのだ。


☆二品目『海のように泣く』


泣いている人がいた。

瞳からは涙の代わりに海洋生物が流れ落ちていた。

海のような泣き方をする人だ、私は思った。

その人は、それほど“さめざめ”と泣いていた。



☆三品目『まわり道』


有給休暇を利用して訪れた観光先でレンタカーを借り、気ままなドライブへと出た。

見知らぬ土地を車で行くのは楽しい。映る風景の全てが新鮮だ。

好天にも背中を押され、私は気の赴くまま車を走らせ続けた。

ところが、そんな上々な気分に水を差すように、道は途中で【通行止め】となっていた。

私の借りたレンタカーにカーナビの装備はない。道路地図もない。おまけに土地勘もない。さあ、困った。

かと言って、このまま進む訳にも行かない。回り道を探さなければ。

判りやすい国道を離れて見知らぬ一般道に入る事に不安はあったが、背に腹は変えられない。仕方なく私は目に着いた横道へと車を向けたのだった。

それがドツボの始まりだった。

まさか、その回り道を選んだ事により人生がガラリと変わろうとは、その時の私には知る由もなかったのだ。

かくして私は今、川に舟を浮かべている。そして、鵜を使って鮎などの魚を捕って暮らしている。

道を迂回するつもりが、気づいたら…

“鵜飼い”になっていたのだ。

川に架かる鉄橋の線路をJR の列車が通り過ぎて行く。

私はそれを見上げながら、こう呟く…

「これが本当の…“JR と鵜飼い”(JR 東海)だ」と。


〜おしまひ〜。



空前絶後の焼き肉のタレ。


話題:SS


家で焼き肉をやろうと思った。

肉はある。ホットプレートもある。油もある。

しかし、タレがない。

そこで、近所のひなびたスーパーに焼き肉のタレを買いに行った。

すると、ラッキーな事に「エバラ焼き肉のタレ」が特売品でかなり安く売られていたので、迷わずそれを買う事にした。

買い物を終えた私は、ダットサンに乗り込むと脱兎の如くスーパーを後にしたのだっと…いや…だった。う…心が寒い。

家に着き、肉を焼く。

なかなか良い塩梅に焼けた。

そこに、買って来たばかりの「エバラ焼き肉のタレ」をかける。

前代未聞の香りが部屋の中に漂い始めた。

焼き肉を一枚、口中へと運び、噛みしめる。

空前絶後の味が舌を襲った。

箸を置き、焼き肉のタレをみつめる。

それは、美味しいとか不味いとか云うレベルを超えた、未だかつて人類が経験した事のない味と香りだった。

このタレはどのような原材料で作られているのだろう?

パッケージの裏に記されている原材料表記を見る。

―原材料―

リンゴピューレ。ウスターソース。八丁味噌。ニンニク。唐辛子。生姜。牡蠣エキス。モロヘイヤ。ハバネロ。ココアパウダー。ザクロ果汁。ココナッツオイル。発酵バター。脱脂粉乳。ダッフンだぁ抽出物(天然由来)。イカスミ。タコスミ。カラスミ。クワタマスミ。益子直美。ナオミワッツ。乾燥フラミンゴ粉末。……etc. (その他100品はWebで確認ください)。

……。

何だろう、この節操のなさは。

「エバラ焼き肉のタレ」と云えば、定番中の定番商品。こんなアバンギャルドを求める必要などないはずだ。

もう一度匂いを嗅いでみる。

驚天動地の香りがした。

もう一枚肉を食べてみる。

国士無双の味がした。

こんな画期的な焼き肉のタレは初めてだった。いや、画期的を超え革新的かも知れない。いやいや、もはや革新的すらをも通り越し革命的とさえ云える。

それにしても、まさかあのエバラが、こんな革命的なタレを作るとは…。

私は何とも云えない気持ちで、卓上に置かれた「エバラ焼き肉のタレ」を見つめた。

そして、自分がとんでもない勘違いをしていた事に気づいた。

私がてっきり「エバラ焼き肉のタレ」だと思い込んで買って来た物は、デザインこそソックリだが、よくよく見れば全くの別物だったのだ。

その“革命的”な焼き肉のタレの本当の商品名はこうであった…


「ゲバラ焼き肉のタレ」。


私は思わずこう呟いていた…


「バカタレ」と。



素敵な大人の『Sasa ni kidogo bora』。


話題:ポジティブ

毎日の日々における普段の日常の通常の暮らしの生活の営みのライフの中で、不意に突然、いきなり予告もなく急にサドンリーに訪れる[Sasa ni kidogo bora]。

[Sasa ni kidogo bora]とは、皆さま御存知のように、スワヒリ語で“ちょっといい瞬間”と云った意味の言葉でありますが…

素敵に生きる大人には、この
[Sasa ni kidogo bora]=ちょっといい瞬間、が訪れる事があるのです。例えば…

☆美容室☆

初めて入った美容室や床屋などで、楽しくて愛想のよい美容師さんに当たり、会話も弾んで素敵な時間を過ごした挙げ句に“思っていたのとはだいぶ違う髪型”に仕上げられてしまった瞬間です。

にこやかな笑顔で満足気に「こんな感じで宜しいですか?」と自信満々で訊ねてくる美容師さんに、「…ええ…いい感じですね」と顔で笑って心で泣く時、それは間違いなく貴方にとっての[Sasa ni kidogo bora]に他ならないのです…。


☆雨風の強い日☆

素敵な大人のマストアイテムである百均のビニール傘が、雨風の強い日に[Sasa ni kidogo bora]を演出してくれる事があります。

貴方は強い雨風の中を百均のビニール傘をさしながら歩いています。そして、貴方の周りには同じように百均のビニール傘をさした人々がいます。

そこに、一際強い突風が吹きました。

貴方はビニ傘を盾に突風から身を守ります。周囲のビニ傘フレンズも同様です。ところが…

どういう理由だか、貴方のビニ傘だけが突風に負け、完全に裏返ってしまいます。これがまず第一の[Sasa ni kidogo bora]です。

次に貴方は、その裏返ったビニ傘を“フェンシングの突き”のように鋭く、そして素早く前方に突き出し、自らが作り出した風圧によって裏返った状態を元に戻そうと試みます。

それで傘が戻ればとてもスタイリッシュなのですが、そうは問屋が卸しません。傘は相変わらず裏返ったままで、貴方は周囲の人々の失笑を買う事になります。これが第二の[Sasa ni kidogo bora]です。

やがて、一発で傘を元に戻す事を諦めた貴方は、強い雨風の吹く中、裏返ってしまった傘の骨を一本一本地道に元の状態へと戻していきます。第三の[Sasa ni kidogo bora]。とどめです。

吹きすさぶ雨風の中、ズブ濡れで傘をいたわる貴方の姿は、これぞ正しく素敵な大人と呼べるでしょう…。


☆帰宅後のキッチン☆

仕事を終え帰宅した夜。貴方は、手洗いと着替えを終え、貴方はキッチンの奥にある電気炊飯器へと向かいます。素敵な大人は自炊生活が基本。もちろん、電気炊飯器のタイマーは朝、出掛ける前にセット済みです。

さあ、温かいご飯でエネルギーチャージだ。疲れた体に鞭打って貴方は炊飯器の蓋を開きます。

が、そこに広がる光景は、冷たく張られた水と、その底に沈む生米です。その静謐さは、まるで玉砂利を底に敷き詰めた神社の手洗い池のよう…。そこで貴方はようやく、炊飯器のコンセントが抜けている事に気づきます。

夜のキッチンの片隅で、冷たく張られた静かな水面に映る悟りを開いたような己の涼しい顔を見る時、貴方はついに【明鏡止水】という言葉の意味を知るのです。

そんな瞑想タイムはもちろん、[Sasa ni kidogo bora]です。



これらの他にも素敵な大人には様々な状況で[Sasa ni kidogo bora]が訪れます。

☆タクシーで降車する寸前、わずかタイヤが一回転する刹那の時間に料金メーターが一段階跳ね上がった時…。

☆レストランで自分の注文した料理が、自分より後に入って来た客に先に出された時…。

☆駅前でティッシュを配っているお兄さんやお姉さんが、自分にだけティッシュを渡してくれなかった時…。

☆駆け込み乗車で閉まった扉に服の裾を挟まれ、引っ張り抜こうとするも叶わず、見かねた周りの親切な人たちに一緒に裾を引っ張って貰っている時…。

☆靴の中に入った小石を靴を履いたまま取ろうと格闘している内に本格的に奥へ入り込んでしまい、やむなく靴を脱いで片足立ちのまま、天下の往来で脱いだ靴を引っくり返してシェイクし、小石を取り出そうと試みている時間…。



素敵な大人に訪れる“ちょっといい瞬間”…[Sasa ni kidogo bora]。

もしかすると、これらのラグジュアリータイムは、日々を素敵に、そして逞しく生きる大人たちへの神タマの贈り物なのかも知れませんね…。


では…また♪


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