話題:だめだ、こりゃ

こだわりの蕎麦屋だと聞いていた。

半信半疑で訪れた私ではあったが、いざ、こうして店内に一歩足を踏み入れると、まるで商売っ気の感じられない簡素を極めたような店構えとは裏腹に、店内の空気には何処か張りつめたような独特の緊張感があった。

ひょっとするとこれは、隠れた名店というやつかも知れない。

やがて現れた店主の風貌を目の当たりにした瞬間、私の体に寄生する“期待と云う名の芋虫”は“確信の蝶”へと華麗なるメタモルフォーゼを遂げたのだった。

マッキーの極太よりも更に太い一文字眉毛。定規で図ったかのような直線オンリーで構成された角刈り。粗塩に揉まれ鍛え上げられたような強靭な皮膚。眼光は獲物を狙う猛禽類の如き鋭さで、これはもう、絵に書いたような頑固親父の姿と云えた。名画で例えるなら【モナリザの微笑み】の対極に位置する【頑固親父の叱めっ面】。

緊張しながら席に着いた私に、頑固親父の野太い声が掛かる。

「うちの蕎麦は一種類だけだ。それでいいなら作る。気に入らねえなら帰ぇってくれ。どうするよ?」

おお!この、ティラノサウルスのような上から目線での物言いは正に頑固者そのもの!迫力に圧倒された私はもはや黙って頷くより他なかった。

「あいよ。じゃ、しばらく待ってくんな」

店主はギロリと一瞥をくれ、奥へと姿を消した。

…いったい全体どんな蕎麦が出てくるのだろう。情報には事欠かないネット全盛時代においても、この店に関する情報はほぼ皆無に等しい。つまり、それだけ、客たちがこの店の情報を外には漏らさないよう、つまり、ミーハーな客から店を守ろうとしているに違いない。

しかし、そこまでして秘密にされる“こだわり”とは果たして何なのだろう?出汁へのこだわりか?それとも蕎麦の麺へのこだわりか?或いは薬味や具材へのこだわりか?

私は期待に胸を膨らませながら“こだわりの蕎麦”を待ち続けた。

ところが、一向に蕎麦が運ばれて来る様子はなかった。頑固親父が奥に消えてから既に一時間近く経っている。その間、奥の厨房からはひっきりなしに頑固親父の苦悶の声が上がり続けていた。

「これじゃ駄目だ!」

「また失敗だ!」

「かーーーっ!」

「妥協しちゃ駄目だ!」

「もう一度!やり直し!」

「こんなの蕎麦じゃねーや!」

凄まじい自己への叱咤。それはまるで関ヶ原の合戦を一人で戦っているかのような激しい自分との戦いだった。

こんな戦いを見せられては、こちらとしても腹を括るしかない。“毒を喰らわばテーブルまで”だ。私は例え何万年かかろうとも親父のこだわり蕎麦を待つ事に決めた。

そうして、どれくらい経っただろうか…。

「よし!完璧!」

威勢の良い声と共に、待ちに待った“こだわりの蕎麦”が、ついに完成した。

私は目を閉じて蕎麦が運ばれて来るを待った。

背中に頑固店主の気配を感じる。

「へい、天ぷら蕎麦、お待ち!」

自信に満ち溢れた店主の声。さあ、いよいよ、伝説の蕎麦との感動の対面だ。

私は緊張に身を震わせながら、ゆっくりと目を開いた。

……こ、これは!

《続きは追記からどうぞ》

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