話題:切ない

ギラギラと太陽の輝く夏の昼日中(ひるひなか)は、事のほか日陰の有り難さが身に染みる。

18世紀のモロッコに、

「日陰は人の気分を蒸しダコから酢ダコへと変えてくれるオクトパシーな夏の避暑地である」

と云う格言があるかも知れないと云う話を聞いた事があるような気がしないでもないが、その例えが的を射ているかどうかは別として、少なくとも、焼きトウモロコシ気分からコールスローサラダの中のトウモロコシ気分に変わる事は間違いないと思う。

そのような感じで、或る意味《夏の人気観光スポット》とも云える日陰であるが、その中でどうにも納得しかねる日陰の存在がある。

改めて説明する迄もなく、日陰には木陰を始めとして様々な種類がある。うまい棒やチロルチョコも種類豊富だが、残念ながら日陰のラインナップには敵わない。何故なら、うまい棒やチロルチョコが作り出す日陰もあるからだ。

そんな多種多様な日陰の中で唯一私がジレンマを感じる日陰…
それは何を隠そう他ならぬ“自分の影が作り出した日陰”である。

自分自身が生み出した日陰でありながら、決して自らはその中に入って涼む事が出来ない。

今までに何度も自分の影の中に入って涼もうと試みたが、どうしても上手く行かない。

方法論は理解している。極めて単純な幾何の問題だ。

通常は、

[太陽→自分の体→自分の影]

である相対的な位置関係を、

[太陽→自分の影→自分の体]

に変えれば良い。それだけだ。

ところが、どう足掻いてもこの形にはならないのである。

自分のものでありながら、自分が利用する事は出来ない。

何と云うか、最下級の切なさを持つジレンマである。


〜おしまい〜。