話題:SS
突如として出現した岩の台座の上に腰かけた氷川が何やら見覚えのあるポーズを取り始めた。
「このポーズはまさか…」
「そう、あの有名なロダンの彫刻《考える人》です。このポーズをもって氷川暖炉は思考の海に飛び込み、天才ロダンへと変身するのです。…それでは先生、第二段階へ移ります」
「ああ、頼む」
「…第二段階があるんですか?」
「勿論です。では…第二段階スイッチON!」
すると今度は氷川のちょうど真上部分の天井がハッチ状に開き、そこから“何かモサッとした物”が氷川を目掛けて垂直に落下してきたかと思うと、それは見事に氷川の頭に着地を決めたのだった。
「これは…」
完全に目が点になっている女刑事に影山が平然と言い放つ。
「はい、ヅラです」
「…ヅラ?」
「そう、ヅラずら」
しょうもない会話を交わす二人を他所に、ロダンは思考の海に潜り始めていた。
二枚目の似顔絵…。
差異…。
裏通り…。
表通り…。
二つの通りを繋ぐ小路…。
事件を解くキーワードが思考の海中で色とりどりの魚へと姿形を変え、カラフルな軌跡を描きながらロダンの周りを回游し始める。
「《考える人》で何でヅラが出てくるんですか?」
現実世界では相も変わらず浪漫もへったくれもない会話が続いていた。
「それはですね……刑事さん、《考える人》の彫刻をじっくりと観察した事ってあります?」
「“じっくり”と言われると、ちょっと自信ないですけど…」
「では今度、《考える人》の髪の部分を入念に観察してみて下さい。ヅラだという事がすぐ判ると思います」
「…え、そうなんですか?」
二人の目撃者…。
近づいてくる男…。
ツートン青木…。
遠ざかる男…。
赤井秀和…。
水を得た魚という言葉があるように、難問を得たロダンの泳ぎは生き生きとしていた。
「あの髪は明らかに不自然です。フチというかヘリというか…髪の輪郭にあたる部分が余りにもクッキリとし過ぎている。それに、髪全体が頭部から少し浮き上がっているのも怪しい。あれは恐らくヅラである可能性が極めて濃厚だというのが私の見解です」
自信満々に熱く語る影山だったが、山本成海刑事はどうにも納得しかねていた。
「それ…単に彫刻だから、そういう風にしか造れなかったのでは?」
「小学生の夏休みの工作ならまだしも、造ったのはロダンですよ。深い考えあってのヅラ装着造形だと思います」
「深い考え…でヅラですか?」
「あまり物事をクヨクヨ考えすぎるとストレスで頭がハゲるぞ、という警告か…頭皮は常に清潔にして血行の良い状態を保っておいた方が良い、という健康的進言か…」
「そうかなあ…」
街頭防犯カメラ…。
固定カメラ…。
画角…。
村崎教授…。
氷川の思考体であるロダンの周りを回游する魚たちの描く軌跡がより一層輝きを増してゆく。
「あ、今の話は全てオフレコでお願いしますよ」
「話って…ロダンの《考える人》ヅラ装着説の事ですか?」
「そうです。実は今それに関して論文を書いているところで、機会をみて学会に発表しようかなと思っているので」
「…大丈夫なんですか、そんなの発表して?」
「兎に角、これは氷川先生にも内緒で進めている事なので、他言無用でお願いします」
「…そこは大丈夫です。警視庁内でうっかりそんな事を口走ろうものなら、無理やり休暇取らされる事間違い無しだし…」
ツートン青木…。
青…。
赤井英和…。
赤…。
物理の実験…。
事故…。
その時、思考の深海を泳ぐロダンの前に突如として眩い光の球体が出現した。
顔の包帯…。
ダイヤモンド…。
村崎教授…。
光の球体はみるみる内に大きく、より輝きを増してゆく。
「でも…《考える人》って、ダンテの神曲に登場する地獄の門の上に腰かけているっていう設定ですよね?そんな場所で頭皮の健康状態とか考えるかしら?」
「いや、むしろ、そういう場所だからこそですよ」
「…どういう意味ですか?」
「恐らく《考える人》は自らの頭の光で地獄を照らし、そこで苦しむ人々を救おうとしている。しかし、その為には自分がヅラである事を明かさなければならない。彼はその葛藤に悩み苦しんでいるのでしょう。…あくまで私見ですけどね」
「私見じゃ無かったら怖いです」
「地獄にこそ光が必要…逆に言えば、そういうツラい状況に陥って人は初めて光が持つ真の価値や有り難さを知るのかも知れない」
「光…ですか」
「そう、全ては光です」
ダイヤモンド…。
偏光…。
光…。
そうか…。
全ては光なのか…。
ロダンが、眩いばかりの輝きを放つ球体の中に飛び込む……と同時に、現実世界の氷川の体がピクンと小さく痙攣し、頑なに閉じられていた両の瞼が大きく見開かれた。
「あ、先生!」
氷川の帰還に気づいた影山が声を上げる。
「先生…その顔は…答えが見つかったんですね?」
確信の表情を浮かべる影山に、氷川がニヤリと笑って言う。
「ああ…クラムボンは笑ったよ」
★★★★
皆様、大変お待たせ致しました。
ついに、ついに、クラムボンが笑ってくれました。「いったい何時になったらクラムボンは笑うんだ?」そう思いながら毎日を過ごされていた方も多い事でしょう。
しかし、もう大丈夫。笑った以上、物語の大団円はもはや目と鼻の先なのです…。