話題:素晴らしい今日よ、さよなら。

買う買わないは別として、見かけると思わず手を伸ばしてしまう物があります。

それは“メロン味”の商品です。
本物のメロンが全く使われていなくても何ら問題はありません。色や味がメロンを真似てさえいれば、それで良し。

そう言うと、さも“メロン好き”なように聞こえますが、実は話はそう単純な物でもないのです。

確かにメロンは美味しいと思います。しかし、本音を言えば好物という程ではありません。

それが証拠に、本日付けの好きな食べ物ランキングでメロンは[キューリのQちゃん]と[三木プルーン]に挟まれた54位という微妙な順位となっています(ランクは日毎に多少変動します)。

にも関わらず、[メロン風味の物]は常に15位前後の好位置を常キープし続けています。

つまり、私はメロンそのものよりもメロン風味の物の方が好きなのです。

そこで、ふと思いました。

メロンよりメロン風味の物が好き。もしかするとこれは、

「石原裕次郎さんよりも、ゆうたろうさんの方が好き」

そう言う事になりはしないか?
そして同様に、これは…

「郷ひろみさんよりも若人あきら(我修院達也)さんの方が好き」

「イチロー選手よりもチチローさんの方が好き」

「中尾彬さんよりもネジネジマフラーの方が好き」

途中から明らかに例えが間違えていますが、兎にも角にも、そう言っているのと同じ事ではないのか?

本物よりも偽物を愛する。
それは本物に対して失礼だという気がします。私は何処かで人としての道を間違えたのでしょうか?

しかし…

これは以前にも一度述べた事がありますが、偽物には本物には無い物が二つばかりあるように私には思えてなりません。

それは、本物に対する“憧れ”と、どれほど憧れても決して本物にはなれない“あすなろ物語的な切なさ”です。

メロンパンを畑に植え、如雨露でメロンソーダをかけてもメロンの花は咲きません。

しかし…

そこでしか咲かない花もあるように私は思うのです。


メロンを半分に割り中をくり抜いて、残った皮を帽子もしくはヘルメットとして被ります。

そして、広大な夕張盆地の空を燃やす赤肉メロンのような夕陽を追いかけ、何処までも真っ直ぐにひた走るのです。

その時、人は初めて“メロン風味の気持ち”を知る事が出来るのでしょう。

思えば、神様は自分に似せて人間を造ったといいます。ならば、人間も“神様風味”の存在と呼べるのかも知れません…。

それでも人は素晴らしい。

完璧ではないが故に内包する“明日を夢見る気持ち”。それをニセモノと呼ぶなかれ。





道で友人が前を歩いているのに気づいて後ろから駆け寄り「よお♪」と肩をポンと叩くと、振り向いたのは、後ろ姿が友達風味の全然知らない人だった。

貴方の明日が、そんな素敵な一日でありますように…。


〜おしまい〜。

追記。

何だか、ワタナベのジュースの素が無性に飲みたくなってきました。