話題:突発的文章・物語・詩
半年程前、大学の先輩である上野さんにしつこく勧誘されて彼の勤める保険会社の自動車保険に入った。ダッジ・アレイ自動車保険とかいう聞いた事の無い社名の会社で、今時ホームページすら持っていない会社だったが、先輩に「今月、ノルマをクリアしないと首が危ないんだ、頼む」と手を合わされては流石に断り切れない。喫茶店で待ち合わせて話を聞いたところ、年間の保険料も今まで入っていた所よりかなり安い上、事故補償の方も「対人・対物ともに無制限だよ」と先輩が太鼓判を押してくれたので、まあそれなら、と気軽な気持ちでOKしたのだった。
そして今、私は農道に居て、目の前にはフロントバンパーがグシャグシャに潰れたマイカーがある。そう、事故を起こしてしまったのだ。ただ幸いな事に、事故といっても大したものではない。
いや、今日は朝から時折かなり強い風が吹いていたので、私としても気をつけて運転しているつもりではいたのだ。しかし、まさか、三体も同時にカーネルサンダースの人形が空を飛んで来るとは夢にも思わなかった。思わず、フライドチキンのフライとは空を飛ぶ方のフライなのかと言いたくなる。全く強風にも程がある。おまけに、人の車をこれだけ破壊しておきながら、カーネルサンダースは悪びれた様子もなく穏やかに微笑み続けているし。
しかし、カーネルに文句を言っても始まらない。いや、その前にそもそも私は英語が話せないのだから、文句のつけようがない。
そんな事より、肝心の破損の程度だが、見た目が酷い割にエンジンは一応掛かるし何とか走行も出来そうだ。取り敢えず一安心。とは言え、けっこうな壊れ具合。修理費用を考えると思わず血の気が引いてしまう。それに、もしかしたら壊してしまったカーネル人形を弁償しなければならないかも知れない。何せ相手は悪いのは全て相手側だという発想のアメリカだ。三体だとどのくらいの値段になるのだろう?こういう時、保険に入っていて本当に良かったなあと心から思う。
私はすぐさま保険会社に電話をして事故の報告をした。対物事故ケースである事は間違い無いし車両保険も当然ついているので、カーネル人形の弁償や車の修理費などは全額補償されるはず。取り敢えず、それを確認したかったのだ。
ところが、応対してくれた若井と名乗る若い男性は「ああ、それだと補償額は120円が限度ですねぇ」と訳の判らない事をぬかしてきた。そこで「ちょっと上の人に代わって貰えますか」と言うと、電話口に出てきたのは予感の通り、上野先輩だった。若い人は若井。上の人は上野。とても解りやすい会社だと思った。
しかし、感心などしてる場合ではない。子供のお駄賃じゃあるまいし、最大で120円の補償額では話にならない。私は挨拶もそこそこに先輩に対して説明を求めた。
120円までしか補償出来ないなんて…何かの間違いに決まっている。120万円が正解だろう。昔の八百屋はお釣りを渡す時など、よく「はい、お釣り80万円♪」と、本当は80円のところをわざと“万”をつけ、物凄いインフレ社会を作り出そうと画策していたが、今回はその逆パターンに違いない。
八百屋のインフレ政策VS保険会社のデフレ政策。現代がデフレスパイラルに陥っているのは、もしかすると日本全国の八百屋が衰退してバランスが崩れたせいかも知れない。
頑張れ日本の八百屋さん!
頑張れ日本の明るい農村!
私は秘かに心の中で日本の食自給率が上がるよう祈っていた。
そして、改めて先輩に事故の様子を報告した。すると…
「ああ、その場合だと…120円までしか出ないなあ」
さっきの人と同じ事を言う。驚いて再度問い質すも先輩の答えは変わらなかった。これは酷い。明らかな契約違反だ。
「先輩、あの時確か、“対人対物の補償は無制限だ”って言いましたよね?」私は喫茶店での会話を盾に先輩に詰め寄った。
「ああ、言ったよ。実際、無制限だし」
「ちょ、ちょっと待って下さい。じゃあ何で今回120円しか出ないんですか?カーネルサンダースって物ですよね?」
「いや、カーネルサンダースは人間だろ」
「人形の話ですよ。こんな農道のど真中で車が潰れてる状況で誰が“カーネルサンダースの人となり”について電話で悠長に語り合うんですか!」
話が一向に進まない。
「と、兎に角です。カーネル人形は物という事で間違いないですよね?」
「うん」
「で、その“物”がぶつかって破損した訳ですから、対物賠償となって損害額が全額補償される事になりますよね?」
「チューリッヒとかなら、そうなるだろうね」
「いや、チューリッヒじゃなくてもそうなるでしょ?」
「あ、ソニー損保の話かな?」
「先輩の会社の話ですよ!」
「うち?…一応うちも“対人・対物の補償”は無制限だけど…今回のケースは全然違うからね」
「完璧に該当してますから!」
「いや、まるで別でしょ」
それから30分近く電話でやり合うも、話は一向に噛み合わなかった。ところが、ある瞬間、先輩が何かに気づいた様子で、こんな事を言ってきたのだ。
「お前、ちゃんと契約書読んだか?」
…読んでない。私は契約書とかの細かい規約を読むのが苦手なのだ。
「あ、いや、それは読んでませんけど…喫茶店で先輩が“対人・対物の補償は無制限だ”って言ってくれたから信用した訳で…」
「書類、いま持ってる?」
「多分、ダッシュボードの中にあると思いますけど…」
「じゃ、いまちょっと読んでみ。それで解ると思うよ」
何の事やら、と思いつつも先輩に言われた通りに契約書に初めて目を通してみると…
そこには、こんな文言が書かれていた。
【タイ人・大仏…補償無制限】
ワオッ!何てこったい!
私が“対人・対物”だと思っていたのは、実は“タイ人・大仏”だったのだ。
先輩の言葉を耳で聞いただけで、文字として目で確認しなかった私のケアレスミスだ。
「先輩…やっと解りました。しかし、タイ人と大仏の補償って何ですか?」
「ああ、それはさ…例えば、いきなりタイ人が車の前に飛び出して来てムエタイキックで車を壊されたとか…うっかりハンドルの操作をミスって大仏殿に激突してしまったとか…まあ、そんなケースだな」
「それって…恐ろしく稀なケースですよね?」
「まあね。だから保険料が年間で60円と安いんだよ。アメリカンホームダイレクトには無いタイプの商品だな」
そこまで特化し過ぎな保険は確かにこの会社だけだろう。
あっ!
私はようやく社名の意味に気づいていた。
ダッジ・アレイ保険会社。
つい昨日までは外国資本の会社だろうと思い込んでいたが、実はそうではなく…ダッジアレイ…だじあれぃ…駄洒落保険会社だったのだ。
「どうやら、やっと解ってもらえたようだな。まあ、今回は俺が便宜を図って特別に150円出してあげよう」
「あ、有り難うございます」
礼を言いながらも私は、契約の更新は絶対にやめておこうと思っていた…。
〜おしまい〜。
《カテゴリ》ダジャレヌーボー。