話題:創作小説

でもね…今だから話すけれども、その時の僕の心にはちょっとした心配事があって、その不安は次の日の夕夜、見事に的中してしまうんだ。

それはつまり、どういう事かと言うとね…

地平線に夕陽が沈んで町に夜が訪れても、空には一番星が輝かなかったんだ。よく晴れた日だったから、一番星が雲に隠れて単に見えなかっただけなのとは違う。一番星そのものが消えてしまった、そうとしか思えなかったんだ。

消えたのは金星だけじゃない。昨夜と同じ学習塾の帰り途で僕が見上げた冬の夜空には星が一つも輝いてはいなかった。そう、星という星の全てが消えていたのさ。

原因は間違いなく夕べの僕にあるのだろうと思った。

昨日の夜の公園。星に降り注がれて僕の答案用紙は0点から100点に変わった。つまり“満点”になったわけだ。当然、僕のように科学的な人間はこう考える。これが夜空から消えた“満天の星”と無関係であるはずはない、とね。

星に願いをかけたせいで、満天の星空を僕は自分の答案用紙に閉じ込めてしまったんだ。

僕はとんでもない事をしてしまった。これは本当に大変な事だよ。

このまま、いつまで経っても空に星の輝かない夜が続いたら、きっと世間は大騒ぎするに違いない。早く何とかしなくては…僕は焦った。事が大きくなればなるほど僕は本当の事を言い出せなくなるだろうし、黙れば黙るほど犯してしまった罪の大きさにより苛まるに違いない事は明らかだったから。

まだ誰も気づいてない今の内に何とかして冬の夜空に満天の星々を戻さなくてはいけない。今夜中、それがタイムリミットだと僕は思った。

星を空に還す。
でも、どうやって?
…判らない。
でも、何とかしなくちゃ…

僕は昨夜と同じように白い息を吐きながら自転車を飛ばして家へ帰ると、“ただいま”も言わずに自分の部屋へ駆け込んだ。そして、机の引き出しから、満点答案用紙を引っ張り出して再び玄関へと引き返した。

唖然とする親には目もくれず玄関から飛び出した僕は、すぐさま自転車に跨がりペダルを漕ぎ始めた。向かう先はもちろん、昨夜の公園だった。

緩やかな夜の坂道。立ち漕ぎで登る僕の自転車からは時折り、金属が軋むような音が上がっていた。油の切れた部品たちが奏でる夜の遁走曲。真冬の夜の夢だ。

ほどなく公園に着いた僕は、昨夜と同じベンチに腰掛けながら、昨夜とは違う事で頭を思い悩ませていた。

昨夜、僕が奪い去ってしまった満天の星々を、再び夜空に輝かせる為にはどうすれば良いのだろう?…って。

僕は思いつく限りの方法を全て試してみた。昨日と同じようにベンチから寝そべって両腕を夜空に向かって突きだしてみる…ダメ。答案用紙を手で叩いて星を飛び出させてみる…これもダメ。昨夜とは逆に、星が空に戻るように願いをかけてみる…やはりダメ。

僕はベンチに寝そべったまま答案用紙を顔に被せ、完全に途方に暮れてしまった。星を閉じ込めた答案用紙は、僕が今まで嗅いだ事のないような、透き通った不思議な香りがするように感じた。

もしかしたら、花と同じように、それぞれの星は、それぞれ違う香りを持っているのかも知れない。ベテルギウスの香り、アンタレスの香り、南十字星の香り…そんな感じで。

けれども、その時の僕には夢想に耽っている時間などなかった。早く何とかしなくちゃならない。

そんな折り、答案用紙を畳んだ際についた折れ線に目が留まった時、ふと、或る一つのアイデアが頭に浮かんだんだ。

紙ヒコーキ。

答案用紙で紙ヒコーキを折り、夜空に向かって飛ばしてみる。少しでも星を元あった場所に近づけられれば、もしかしたら何かが起こるかも知れない。もちろん、そこには何の確信もなかった。それでも、僕は答案用紙で紙ヒコーキを折り、公園の中で一番高い場所、滑り台の上に登ったんだ。

公園はもともと小高い丘の上にあったから、その中でも最も高い滑り台の上は最高に見晴らしの良い場所だった。

高台から見下ろす、明かりの灯る夜の町並みは、まるでそれ自体が冬の星座のようで、その美しさに思わず僕は息を飲んでいた。

でも、今は地上の星座よりも空の星座だ。僕は、星が一つも輝いていない暗闇の夜空に向かって答案用紙の紙ヒコーキを思いきり放り投げたんだ。

冬の夜空を旋回する紙ヒコーキ。

何が起こったと思う?

その時に起こった事、それは昨日に引き続いてとても信じられないものだったんだ。

漆黒の闇を背景に旋回する紙ヒコーキから、一個の小さな光が飛び出したのさ。そしてその光は、まるで磁石で吸い寄せられるように夜の天幕に吸い込まれていったかと思うと、いつの間にか夜空に星が一つ輝いているのが見えた。

そして、まるでそれが何かの合図であるかのように、宙を舞う紙ヒコーキから次々に光が飛び出して夜空へと散らばっていったんだ。

冬の夜空に星が戻った。

でも、なんだか数がすくない。それで僕は、夜間飛行を終えて砂場に不時着した紙ヒコーキを拾い上げて広げてみると、案の定、それは[92点]の答案用紙に変わっていた。つまり、今回のフライトで夜空に戻ったのは満点の中の8点分だけ。どおりで星の数が少ないわけだ。よく見れば、北斗七星はまだ、北斗二星にしか戻っていない。

僕はもう一度、答案用紙で紙ヒコーキを折り夜空へと飛ばした。色とりどりの光が夜空に飛び散り、答案用紙は[89点]になった。どうやら僕はまだまだ紙ヒコーキを折って飛ばさなければならないみたいだった。

そうして、紙ヒコーキを折っては飛ばし、また折っては飛ばし、そんな事を何度繰り返しただろう…。こんなにも一所懸命に紙ヒコーキを投げた事は後にも先にもない。とにかく、誰かに見つかる前に星を返そうと、そればかり考えていた。

だから、答案用紙がオリジナルの白紙答案に戻っているのを見た時、僕は心の底からホッとした。

冬の夜空には満天の星が煌めいていて、僕は星泥棒にならずにすんだわけだ。

上々の気分で滑り台の上から滑り降りた僕は、公園を出て自転車に飛び乗ると今度は坂道を下って家へと急いだ。

家に着く直前、僕はまた憂鬱な気持ちに戻っていた。…親になんて説明すれば良いのだろう?戻るなりまた家を飛び出した事の説明。昨日の答案用紙を持って出た事もバレている。そして今、僕の手の中にあるのは昨夜両親に見せた[百点満点]の答案用紙ではなく、白紙で[0点]の情けない答案用紙だ。

ちょっと迷った後、僕は包み隠さず本当の事を話そうと思った。

そして、僕は玄関で腕組みをしながら待っていた親に全てを話した。信じて貰えないだろうと思っていたし、怒られるだろうとも思った。

でも、そうじゃなかった。

父も母も僕の話を全部信じてくれたし、0点の答案用紙を見ても怒らず、逆に「そういう事もあるさ。大切なのは、それをどう明日に活かすかだ」と励ましてくれたんだ。正直、これには驚いた。まだラッキーは続いている。

それにしても、何だか昨日から本当に信じられない事ばっかりだ。

そして深夜、自分の部屋に戻った僕が0点の答案用紙を机の引き出しに戻そうした時、この不思議なお話の最後を締めくくる出来事が起こった。

もう星は残っていないはずの0点の答案用紙から、黄色くて真ん丸い小さな光が浮かび上がったんだ。やがて光は、部屋の窓ガラスをスウーッと音もなく通り抜けると、そのまま一直線に夜空の高い場所へと昇っていった。

そこで僕はようやく理解した。

普通ならばとても信じられないような僕の話を何故両親はすんなりと受け入れたのか。そして、何故、0点の答案用紙を見ても怒らなかったのか。

つまりは、そんな幸運の理由。

僕は冬の夜空にひときわ大きく輝いている満月を見上げながら思っていた。

全ての星を夜空に返した後も、僕の答案用紙には、まだ“ツキ”が居残っていたに違いない、と。

そんな僕の想いを知ってか知らずか、冬の星座は、まるで何事もなかったかのようにキラキラと当たり前のように美しく瞬き続けていた…。

――――――

とまあ、それが今夜の僕のお話なのだけれども…

そんな話信じられないや、って人もたくさん居るんだろうなあ。

でもね、世の中には、こういう不思議な出来事ってあると思うんだ。

宇宙にはまだ僕らが知らない事がたくさんある。

そう考えると、何だかちょっと嬉しい気持ちになるだろう?

だからね、今夜の僕の話を信じてくれた人、信じてくれる人、そんな人たちの真上にはきっと、信じられないぐらい美しい煌めきを宿した満天の星空が広がっている…。

そんなふうに、僕は思うのさ。

《終わり》