話題:ちょっwおまw

以前、デビッド・クルサードという名前のF1ドライバーが居てメディアにもそれなりに名前が露出していたのですが、その中で某大手新聞一社だけが、その名前をデビッド・コールサードとしていた事があったのです。

確かに外国人の名前の読み方(表記の仕方)は中々ややこしいものがあって、同じ名前でもアメリカ英語で読む場合とフランス語読みやドイツ語読みする場合では、いささか変わってくる事は広く世間一般に知られていると思います。アメリカにおけるマイケルは、フランスではミシェル、ドイツではミヒャエル。同様にバーナードはドイツでベルンハルトになったりする訳です。

そう考えると先のクルサードとコールサードの場合も、どちらかが正しくてどちらかが間違っているというような事では無く、恐らくはどちらも正解なのでしょう。幾つかある読み方の中のどれを選ぶのか、各自の自主判断の結果、某大手新聞一社だけがコールサードという読み方を選んだと、まあ、そういう事なのだと思います。

にしても、ほぼ全体のメディアがクルサードと表記する中で、最後まで頑なにコールサードと表記し続けた理由は勝手に推測させて貰えば、

『一度そう書いてしまった手前、引っ込みがつかなくなった』

そんなところだという気がします。

そういう“引っ込みがつかなくなる気持ち”というのも確かに判らなくはありません。その某大手新聞も内心では、

『うわあ〜!
他の新聞や雑誌みんな“クルサード”にしてるよ!マズったなあ〜…どうする?今から素知らぬ顔でしれーっとクルサードに直すか?…いや、でもなあ…バレたら、こっ恥ずかしいしなあ〜…しゃあない、コールサードで通すか!┐('〜`;)┌』

そんな葛藤があったのかも知れません。或いは逆に、

『ヌヌヌ!こうなりゃ、意地でもこのままコールサードで通してやる!( ̄ヘ ̄メ)』

半ば逆ギレ気味に、意固地さを増強させたかも知れません。

さて、このように新聞紙上の場合はあくまでも一方通行のまま話は終わりますが、テレビの場合はそうも行きません。そこで思い出されるのが、女子テニスプレーヤーのキム・クライシュテルスという人です。

これも、ほぼ全てのメディアはキム・クライシュテルスと呼んでいたのですが、私の記憶にある限りではただー社だけは断固としてキム・クリスタースと呼び続けていたのです。その一社、天下御免のNHKです。

事件は彼女の試合、生中継で起こりました。

実況をするアナウンサーはNHKの人間ですから当然、彼女の名前を“クリスタース”と呼び続けます。その辺りの統一に関しては、個人的にもちょっと知っているのですが、NHKは財津一郎氏も真っ青になるほどキビしい。

―余談―

私の祖母(故人)は一時期、彼の母親と同居しており、財津一郎氏の事も子どもの頃からよく知っているらしいのですが、子どもの頃の彼は「ヒジョーにキビしーい!!」とは一度も言わなかったみたいです。

当たり前体操…ジャンジャン♪

―余談終了―

ですから、アナウンサーは当たり前のように彼女をクリスタースと呼びます。ところが、ゲスト解説者の元プロテニスプレーヤー(男性、名前失念)に対しては、その辺りが徹底していなかったのでしょう。あろう事か、彼は、クリスタースではなく“クライシュテルス”と呼んでいるのです。

実況「〇〇さん、今日の“クリスタース”の調子はどう思われますか?」

解説「そうですねぇ…立ち上がりを見る限りでは良い時の“クライシュテルス”だと思います」

互いに一歩も譲りません。かたや国営放送としての意地、かたや元プロとしての意地があるのでしょう。とは言っても、そこは流石にプロ同士、険悪な雰囲気は全くありません。むしろ、時おり談笑を挟むなど、逆に和気あいあいとした空気する感じるぐらいです。ところが、いざ話し始まると…

実況「さあ、“クリスタース”のブレイクチャンスです!」

解説「このゲームをきっちり取れれば“クライシュテルス”にとって大きいですよー!」

淡々としながらも、どちらも絶対に譲りません。

実況「“クリスタース”としては…」

解説「ええ、“クライシュテルス”からすれば…」

実況「“クリスタース”が、もしこの試合に勝てば…」

解説「そうですね、“クライシュテルス”が勝った場合には…」

もう、試合の行方よりも二人の行き先の方が気になって仕方ありません…。

結局、二人は最後まで険悪な雰囲気にもならず、ただただ淡々と“一歩も譲らない”まま、中継は無事に終了し、私だけが軽く消化不良を起こしたのでした…。

そして、最後に一つ。

恐らくは誰もが知る、ミヒャエル・シューマッハという歴代最多のF1優勝を誇る有名なドライバー がいるのですが、どの出版社かは忘れましたけど、ー社だけ、彼の名前を…

【ミハイル・シュマイヒャー】

と書いた雑誌がありました。

お、お前さん!いくら何でもそれは違うだろう!と、思わず心の中でツッコミを入れた事も今となっては懐かしい思い出です。

退かぬのも勇気なら、退くのも勇気。

名前一つでドラマが生まれる。



では…また( ̄0 ̄)/。