話題:だめだ、こりゃ

寒かった記憶…

基本的にトロピカル体質の私は、例えば、駅の北口方面に用事がある場合でも自然と足は
南口へ向かってしまう。植物が太陽の方へ向かって延びて行くのと同じ理屈だ。とまあ、そんな具合だから、寒かった経験と言ってもたかが知れている。

そんな中、思い出した場所がある。

それは、南極でも北極でもアラスカでも無い、東京の代々木上原と云う都心の一等地で、その気になれば新宿からでも渋谷のからでも歩いて行ける場所だ。

もっとも…その気にさえなれば大阪でも青森でもジンバブエでも新宿から歩いて行く事は可能なのだが…なかなか“そういう気”にはならない。あ、ジンバブエは無理か。

その、寒冷地とは言い難い代々木上原に存在していたのが 友人の安アパートで、何を隠そうこのアパートこそが、タイトルにある[氷河期アパート]なのだ。

私が初めてこの[氷河期アパート]を訪れたのは、絶え間なく小雪が降り続ける2月の事だった。
久方ぶりに学生時代の友人3人(+私)の4人が集まり、新宿でひとしきり飲み食いを重ねた後、4人揃ったと云う事で麻雀をやろうという流れになり、歩いて行ける問題のアパートへ向かった…と云うのが事の次第だ。

さて、その独り暮らしのアパートは都心の一等地にありながら家賃が月5万と云う破格の安さで、それを聞いた時は(もしや幽霊が出るとか?)と軽く恐れおののくも、いざ実際に建物を見てみると、なるほど、外観は昭和40年代を彷彿とさせていて、アパートと云うよりも遺跡と呼びたくなる物だった。間取も、一応は1D K となるのだろうが、はっきり言ってD とかK とか お洒落なアルファベットは似つかわしくない雰囲気で、部屋の中は、幻聴の“神田川(かぐや姫)”が流れていた。

そうか…これなら、月5万も有り得るか。

しかし、間もなく私達はワケありの“ワケ”が、建物の古さだけでは無い事を知る。

とにかく寒いのだ。

雪の降る2月の夜だから寒いのは当然だが、それにしたって、外よりも部屋の中の方が寒いと云うのはどういうわけなのだ!?

部屋のあらゆる壁という壁から入り込む隙間風が絶妙にブレンドされ、部屋の中で特殊な寒気の流れを形成している…恐らく原因はそれだ。

そして…これはアパートの問題では無いが…この部屋にはコタツ以外の暖房器具が一切ない。そのコタツにしても、かなり小さめ
の物。私達は、一旦は脱いだコートを再び羽織った。

そして、部屋中唯一の温帯であるコタツの中の空間争奪戦が始まった。コタツの上、卓上では麻雀の戦い。卓の下では場所取り合戦。複雑に絡み合う男4人の足と足、はっきり言って、気色悪い事この上ない。だが、背に腹は代えられない。そうして私達は夜が明けるまで麻雀をやり続けた。途中で眠るのはあまりにも危険なので頑張って起きているしか無かったのだ。

そんなふうにしながら何とか無事に朝を迎えホッとした私達は、雪原の王である部屋主の友人に、朝のドリンクを所望した。コーヒーでも紅茶でもいい、とにかく温かい飲み物が欲しかった。

ところが部屋主の友人は『コーヒーも紅茶も無いんだ』と言い放ったのだ。

『なら、お茶でも、いやこの際、お湯でもいいから何か温かい物をくれ』

皆の懇願にしぶしぶ台所に向かった友人が数分後に持ってきたのは…まさかまさかの[トムヤムクン]だった。

そうか。コーヒーも紅茶も、お茶すら無いのに、トムヤムクンは有るのですね。何とも不思議なライフスタイルだ。

とは言え…実は、それは、私が生まれて初めて飲んだトムヤムクンであり、以来、私はトムヤムクンが大好きになった…。

あの日あの時あのボロアパートで君に逢えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま。

『トムヤムクンは突然に』小田和正(ニセ)。



それが私の“最も寒かった記憶”。氷河期アパートの全容。
もっとも…気温のみで語るならば、恐らくはスキー場の方がずっと寒かったに違いない。しかし、スキーは始めから寒さを覚悟しているのに対し、代々木上原のアパートに対しては全く寒さの覚悟をしていなかった。そこの差が“スキー場よりも代々木上原の方が寒い”と云う印象を私の記憶の中に植え付けたのだろう。

全くもって、記憶と云うのは不思議なものだ…。


【終わり】。