感じが変われば漢字も代わる。

話題:文字や言葉

御歳暮→有り難すぎて頂けないなら、それは→御聖母。

洗濯機→山のような洗濯物を物凄い形相で洗っているから怖くて近寄れない→洗濯鬼。

生徒会長→羽根とクチバシが生えてきて→生徒怪鳥。

横断歩道→歩いている人がみな具合悪そうで→黄疸歩道。

胃拡張→原因は烏賊(イカ)の食べ過ぎだと語る人の→烏賊口調。

懐中時計→海に落っことして→海中時計。

心配無用→何故なら私は人造人間→心肺無用。

公文式→わけが解らず→苦悶式。

公開株→買っときゃ良かったと→後悔株。

完封試合→達成も、観客ガラガラ→寒風試合。



(縛り)…漢字の単熟語のみ使用OK 。ひらがなカタカナを使用した文章はNGとす。


ーおまけの俳句ー

浮遊霊

寒さが苦手で

冬憂い。


ーおまけの短歌ー

中年の

親父ギャグには

こう言おう

突っ込む言葉は

もう、エエっ中年っ!!
(゜o゜)\(-_-)



字余り。

お粗末!(゜◇゜)ゞ


ー現在、低出力省エネモードにて営業中ー

 

 




知る人ぞ知る、癒し系の中山くん。


話題:2ちゃんねる
 

最近、ちょっと腰が痛い。

そこで、満を持して登場したのが、知る人ぞ知る!知らない人は全く知らない!愛と情熱のフタコブ駱駝【中山くん】です。

【中山くん】はフタコブ駱駝の背中のような形をした“ツボ押し健康器具”で正式名称は【中山式快癒器】。しかし、所蔵者はみな親しみを込めて彼の事を【中山くん】と呼ぶのです。

【中山くん】の歴史は古く、起源は昭和二十年代に遡りますが、実は我が家の【中山くん】も昭和四十年頃の物なので、かなりのヴィンテージ品だと思われます。しかも、まだ現役バリバリで活躍中…阪神の金本選手に優るとも劣らない鉄人ぶりです。

さて、そんな【中山くん】ですが、使い方は至って簡単。【中山くん】の駱駝のコブ状になっている面を置き、その上に身体ごと乗っかるだけです。腰なら腰、首なら首、背中なら背中の下に【中山くん】を置いて、適当にその上でゴロゴロしていれば、彼が凝りをほぐしてくれるのです。

私の【中山くん】はヴィンテージ品なので恐らくは2億円ぐらいの値がつくと思われますが、最新式の物であればネットで3千円ぐらいで買えますし、電気も使用しないのでランニングコストも全くかからず、おまけに、大事に使えば(マジで)100年ぐらいは持つので、肩こりや腰痛もちの方は、一度調べてみては如何でしょうか?

しかし、

実は、気をつけなければいけない点もあります。

それは、うっかり【中山くん】を身体の下に置いたまま眠ってしまう事です。

白状すると、私は昨夜それをやってしまいました。

そうするとどうなるのか?…


1800CC のラッタッタ(昔の原チャリ)に乗った電撃ネットワークの南部虎太さんに追いかけまわされ、背中を電気鞭で打たれると云う…それはそれは恐ろしい夢を見るハメになります((((;゜Д゜)))


…それは置いておきまして、

この【中山くん】、世間ではどれくらい知られているのだろう?と思い、ネットで調べてみたところ…

まさかの2ちゃんねるで、《中山式快癒器》のスレッドを発見してしまいました。

しかも、2ちゃんねるのスレッドとしては珍しく絶賛の嵐で、のんびりとした進行ながらも、なんだか温泉場に湯治に来ている人達が湯に浸かりながら頭に手拭いを乗せて、まったりと会話を交わしているような、何ともほんわかとした雰囲気で、本当にコピペしてお見せしたいぐらい微笑ましいスレッドなのです。これも、【中山くん】の持つ、“心の凝りをもほぐす”快癒効果なのでしょうか?
(*´∇`*)


そんな本日の〆の言葉は、マリリン・モンローに愛された指圧の大家、浪越徳次郎さんの名言です。


『指圧の心は母心、圧せば命の泉湧く』


深い愛情をもって人に触れると、触れられた人に生きる力が湧いてくる…

そんなところでしょうか(*^^*)。

 








闘魂、大相撲ダイジェスト(軍配にグッバイ)。


話題:突発的文章・物語・詩
 



えー…只今の審議について説明いたします。

行司軍配は西方、大関【高飛車山】に上がりましたが、『先に高飛車山の足が俵の外へ出ていたのではないか?』と物言いがつき、審判員全員で協議した結果、土俵際で高飛車山が上手投げを打った際、高飛車山の左足の小指が先に俵を割って土俵の外へ出ていたと云う事で、行司指し違いとし、勇み足により東方、小結【極細川】の勝ち…

と、しようとしたところ…

『勇み足より先に、極細川が高飛車山の髷を掴んでいたのではないか?』と物言いがつき、協議した結果、高飛車山の左足が俵を割るより前に極細川が右手で高飛車山の髷を掴んでいたと云う事になり、行司指し違いを取り消し、軍配通り、大関【高飛車山】の勝ち…

と、しようとしたところ…

『それよりも前、立ち合いの際、低く当たった高飛車山の膝が土俵についていた七時はないか?』と物言いがつき、協議をした結果、間違いなく高飛車山の右膝に土がついていると云う事で、再度、行司指し違いで、小結【極細川】の勝ち…

と、しようとしたところ…

『それ以前に極細川は、実は女性なのではないか?』と物言いがつき、協議した結果、タイで性転換手術を行い、身も心も乙女そのものであると云う事になり、再度、行司軍配通り、大関【高飛車山】の勝ち…

と、しようとしたところ…

『高飛車山は、地球人に成り済ましたエイリアンで、横綱になって地球を乗っ取ろうとしているのではないか?』と物言いがつき、本人に確認したところ…“自分は地球を侵略しに来たエイリアンで間違い御座いません”と認めましたので、只今の取り組みは、軍配以前の問題で…

[両者失格]

…と致します。



そして、満員御礼の国技館に座布団が乱れ飛んだ。



猪木『バカヤローーーーっ!!』
(*`Д´)ノ!!!


【終わり】。




怪異、徒然草から飛び出した女。


話題:女子って怖い とおもった瞬間
 
件の事件が起こりましたのは、先週の木曜だったでしょうか…いえ、一昨日だったか…ああ、違います違います…本日も本日、ジャスト本日の御話で御座いました。

夜半と云うにはまだ少し早い夕刻の七時、すっぽりと夕闇の暗さに包また空に、日に日に秋めいてゆく季節の歩みを感じながら小雨の降る街をトボトボと歩いていると、

ちょうど交差点に差し掛かったところで、向こう側から渡ってきた四人組の妙齢の女性とすれ違ったので御座います。

折しも運悪く、その女性たちが横断歩道を渡ると同時に信号機が赤色へと変わりましたので、私はその場に立ち尽くし再度信号機が青色へと変わるのを待つより他なかったので御座いますが…件の服装や眉毛の長さ、更には鎖骨の形状などから恐らくはビジネスガールと思われる四人組の女性たちは交差点を渡り切った所で何やら立ち話のようなものを立ちっぱなしで始めたので御座います。

立ちっぱなしで立ち話。

何とも御寒い韻の踏み方でお恥ずかしい限りなのですが、兎にも角にも、そのような形で、私とビジネスガール4…略して“ビジー4”が横に並び立つ格好となったので御座います。

それで、聴くともなしに“ビジー4”の話を聴いていると、どうやら四人は会社の同僚で親睦を兼ねた食事会の帰りであるらしい。そして、四人の内、三人は駅方面へ、残る一人は住宅街方面へと別れてゆくのですが…

その別れ際の事です。

「お疲れさま〜」「じゃ、また明日ね」「気をつけて帰ってね〜」と手を振る三人に対し、ただ一人逆方面へと向かう女性が『ニャア〜〜♪』と鳴いたので御座います。

決して私の聴き違いでは御座いません。彼女は確かに『ニャア♪』と猫よろしく鳴いたので御座います。それが証しに、三人組の方も一瞬茫然とした顔つきをした後、「え、なになに?」「なんで猫になるの?」などと笑いながら突っ込みを入れていたので御座いますから…。

『いや、違う違う!“じゃあ♪”って云おうとしたら“ニャア♪”って云っちゃったの!』

慌てて取り繕う彼女に、三人組は「ニャア♪」「ニャア♪」「ニャア♪」と猫式の挨拶で応えたので御座いました。

それは端から見れば、単なる云い間違いが引き起こしたニャンとも微笑ましい光景の一つで御座いましょう。

しかしながら、私のような、増刊号から《ムー》を読み捲っていた手練れの目はそうそう誤魔化せるものでは御座いません。

あの『ニャア〜♪』こそが、彼女の本当の姿…

つまり、彼女は【化け猫】に相違ないので御座います。



[奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに、山ならねども、これらに も、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事はあ なるものをと言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞 きて、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひけ る比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、ただ独 り帰りけるに…]


とは、彼の有名な【徒然草】第八十九段に有る一節。

去りゆく彼女の“やや猫背”の後ろ姿を眺めながら、私はいよいよ確信していたので御座います。

彼女こそは、徒然草の世界から平成の街角に飛び出してきた現代の猫又(ねこまた)なのだと…。



では…(ねこ)また。三( ゜∀゜)

 






幻の裏表紙文学『本編のない短編集』。

話題:文学



本の裏表紙と云うのは、なかなか侮れない存在だと思う。

多くの場合、裏表紙には本編の要約のようなものが短い文章で書かれている訳だが、その出来の良し悪しは意外と重要で、ことにその本を買おうかどうしようか迷っている場合などは最終的な判断の拠り所になる事も少なくない。裏表紙をざっと読んで面白そうなら買い、いまいちなら買わない、そんな感じだ。

そんなふうに長年、数々の本の裏表紙を読んできて、ふと思った事がある。それは『裏表紙を独立した一篇の読み物として扱っても良いのではないか?』と云う事である。

実際、裏表紙の面白さに釣られて買った本を、いざ読み終えてみると、結局、裏表紙の部分が一番面白かった…などと云う事も珍しくない。いっそ、本編など無くして裏表紙だけにした方が完成度が高くなったのではなかろうか、と。

思えば、裏表紙と云うのは当然、紙幅が限られているので、どうしても書き手は慎重且つ適切に言葉を選ばざるを得ない。それは詩や俳句、短歌の書法に通じるとも云えるわけで、そう考えると、時に裏表紙に詩性や抒情を感じたりするのも納得がゆく。

そこで今回は、裏表紙を独立した一篇の読み物として提供すべく、架空の短編集の裏表紙を実験的に書いてみようと思う…。


《続きは追記からどうぞ♪》

 
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