話題:創作小説

湖の中央に小さな波紋がたち、それがみるみる内に大きくなったかと思うと、渦の中からギリシア風の純白のローブに身を包んだ美しい女性が現れた。

(これが世に聞く砂漠の幻か)

旅人は思った。が、先程と同様に、やはりそれは幻ではなかった。

女神「私は泉の女神です。何やらお困りのようですね…」

先程の仙人は飛んだ食わせ者だったが、女神さまなら大丈夫に違いない。ああ、助かった…旅人は喜んだ。

「はい、実は…」

女神「判っています。少しお待ちなさい」

女神は、その美しい顔で微笑むと再び湖の中へと消えた。

程なく姿を現した女神の手には、何故か一本の黄金色に輝く斧が握られていた。

女神「貴方が落としたのは、この金の斧ですか?」

当然、違う。

「いえ違います。と云うか…」

女神は旅人の言葉を手で制して、背中から別の斧を取り出した。

女神「それでは、この銀の斧ですか?」

「違います。と云うか…」

女神「では、この鉄の斧ですか?」

何処から出したのか、女神の手には三本目の斧があった。

「いえ、どれも違います…と云うか、そもそも私は斧など落としていないのです」

その瞬間、光の煌めきが更に増し竪琴の音色が“のど自慢”合格のメロディーに変わった。

女神「まあ!何て正直な方なのでしょう!…それでは貴方に、この三本の斧を全て差し上げましょう」

「あ、いえ、斧は別に…あっても荷物になるだけだし」

女神「そんな遠慮なさらないで、さあどうぞ…」

「いや、決して遠慮してる訳では…」

だが、女神は人の話など聞いてはいなかった、再びズブズブと湖の中へと消え、二度と姿を現す事はなかった。

オアシスに独り残された旅人は、無理やりプレゼントされた三本の斧を眺めながら、またもや思案に暮れ始めた。

数週間後…

旅人は、オアシスからだいぶ離れた砂漠の中を、金ダライと三本の斧を背負いながらヨロヨロと歩いていた。待てど暮らせどオアシスに誰かが通りかかる気配はなく、旅人は意を決して再び、砂漠の道なき道を歩き始めたのだった。

だが、旅人は三度目の限界点を迎えていた。金ダライに汲んだ湖の水も、ついに底を尽きてしまった。

(今度こそ本当にお終まいだ…)

ところが、ところが。

最期の気力を振り絞って見上げた空に、タケコプーを頭につけたドラえもんの姿があったのだ。

何という幸運だろう!!

「おーーーーーいっ!!」

旅人があらん限りの声で叫ぶと、それに気づいたドラえもんが空から叫び返してきた。

ドラ「のび太くんがピンチなんだ!急いで助けに行かないと!」

どうやら、かなり切羽詰まっているようだ。

旅人は取り急ぎ今の状況を説明し、助けて欲しい懇願した。

ドラ「じゃあ、道具を出してあげよう♪」

「あ、ありがとうー!」

ドラえもんは空に浮かんだまま四次元ポケットに手を突っ込んだ。

チャラララッチャラーン♪

ドラ「タイム風呂敷〜♪」
ヽ(*´▽)ノ♪

……

「タイム風呂敷はちょっと違うような…」

ドラ「でも〜…タイム風呂敷があれば、いつでも斧が新品状態になるよ〜♪」

「いや、斧はどうでもいいんです!斧の事は忘れてください。お願いします」

ドラ「そうなの?」

「そうです。これは、何というか、成り行き上ここにあるだけで…」

ドラ「判った。じゃあ、別の道具を出してあげる♪」

「お願いします!」

ドラえもんは再びポケットに手を突っ込んだ。

チャラララッチャラーン♪

ドラ「翻訳コンニャク〜♪」
ヽ(*´▽)ノ♪

……

「あ、あの…」

ドラ「ああ! もう時間がない!それじゃ、頑張ってね〜♪」

ドラえもんは、あっという間に視界から消え去って行った。

見渡す限り人っ子一人いない砂漠のど真ん中。ここほど、翻訳の必要性が低い場所もないだろう。

旅人は風呂敷と、その上のコンニャクを眺めながら三度の思案に暮れていた。

その数ヶ月後…

砂漠の麓の街、ちょうど街と砂漠とを隔てる境界線となっている道の上で旅人が倒れているのを、通り掛かった町の人が見つけた。

続々と集まってくる町の人々は心配そうに倒れている旅人を覗き込んでいたが、やがて駆けつけた医師が「疲労困憊のあまり眠っているだけで、命に別状はない」と告げると、辺りはホッとした安堵の空気に包まれた。

その日、町は謎の旅人の話題で持ちきりとなった。

「あの旅人は、いったい何処から来たのだろう?」

「そりゃ、砂漠からだろう」

「いや、独りであの広大な砂漠を越えてくるなど到底不可能な話だ」

「確かにそれはそうだが…そうとしか考えられん」

「でも、それにしては服装が綺麗すぎる。まるで卸し立てのおニューの服ではないか」

「それにしても…あの珍妙な持ち物の組合わせは何なのだろう?」

「斧が三本と巨大でちょっと真ん中が凹んでる金ダライ…それと、唐草模様の風呂敷に、かじりかけのコンニャクか…う〜ん、まさしく謎だ!!」

町の人々は一様に首を傾げていたが、そんな中、“砂漠のシャーロック・ホームズ”と呼ばれる町きっての秀才が、その謎に対して或る一つの推理を呈示したのだった。

ホームズ「それはつまり、こういう事だろう…あの金ダライでスコールの雨水を貯め、三本の斧で砂漠の獣サンドワームを倒してその肉を風呂敷で包んで持ち運んだ。コンニャクは初めから所持していて少しずつ大切に食べた。ほら、コンニャクは少量でもお腹が膨れるからね。あの所持品は一見すると滅茶苦茶に思えるが、実は砂漠を越える為には、非常に理に叶っている絶妙な組合わせなのだ」

ホームズの天才的で中2的な推理に町の人々は大きく頷いた。やはり、あの旅人は独りで広大な砂漠を越えてきたのだ。そして、あの奇妙な持ち物の組合わせこそが、あの旅人に奇跡を起こした原動力に違いないと…。

だが、勿論それは大ハズレだった。

翌日、診療所のベッドで意識を取り戻した旅人は、誰に云うでもなく、こんな事を呟いたのだった。

「人生最期の思い出が、あんな悪戯けた奴らなのは絶対にイヤだ…私はまだくたばる訳にはいかない…せめて最期に、もう少しマシな思い出を掴むまでは…」

広大な砂漠から旅人を生還せしめた原動力は、そう、“生きる事への執念”であった…。

旅人の話を聞いた“砂漠のホームズ”は、こう語る。

「仙人と女神とドラえもん、あの三人は、旅人の中に微かに残されていた生への執着、生命の残り火を燃え上がらせる為に敢えて助けなかったのだ。旅人が自らの足で砂漠を越える事、それが最も重要だった。もし安易に助けてしまえば、あの旅人はこれから先、人生と云う名の広大な砂漠で迷い子となっていただろう。思うにあの三人は同一の存在で、その正体は旅人自身なのだ」

ホームズの言葉に納得した者は殆どいなかった。

それから時は流れに流れて、数十年後…

旅人は豪奢な屋敷の寝室で今度こそ本当に最期の時を迎えようとしていた。

旅人は今では知らない人のいないぐらい有名な大富豪となっていた。

砂漠の麓の街で息を吹き返した旅人は、まず金の斧と銀の斧を売り大金を手にした。その金で最期に良い思い出を作ろうと考えたのだ。ところが、いざ金を手にしてみて旅人の考えは変わった。金は使ってしまえばそれっ切り、だが、この金を元手に何かを始めれば更に素晴らしい思い出を得られるのではなかろうか?

旅人は、そんな風に“より良き思い出”を求め続け、気がつくと押しも押されもしない大富豪となっていた。

しかし、大富豪と云えども寿命には逆らえない。だが、旅人は十分に満足していた。あれから数十年、自分は数え切れない程の素敵な思い出を作ってきた。

さあ今こそ、“その中で最高の思い出”を心に描きながら人生最期の瞬間を迎え入れよう。

だが…

旅人の心に最期の最期に浮かんだのは、砂漠で出逢ったあの三人の悪戯けた奴らの顔だった。

あの三人を最期の思い出にしたくない、その一心で生きてきた旅人にとってそれは何とも皮肉な結末であった…。

旅人は最期まで不運だったのだろうか?

それを計るのには、秘書として旅人の最期を看取った“砂漠のホームズ”の言葉を引用すれば良いだろう。

「旅人は最高の笑顔を見せたまま安らかに息を引き取りました」

葬儀を終え、大勢の人が見守る中、墓に鉄の斧とコンニャク、そして、“あの風呂敷”で全身をくるまれた旅人の体が入れられたのだった…。

数分後…


【終わり】。